278話 アリアの葛藤
私はレックス様のメイドとして、インディゴ家でもお世話を続けています。とはいえ、今回はメイドとしての仕事をこなすだけなのですが。ヴァイオレット家の時のように、他に何かをする必要はありません。
少しだけ寂しさもありますが、メイドとしては普通のことです。本来ならば、歓迎すべきことなのでしょうね。ある一点を除いては。
それは、レックス様の居場所がブラック家ではないことです。もちろん、交渉や顔合わせなどの事情で外出するのは、貴族の義務ではあります。ただ、その領域を超えている気もするんですよね。
「今回はインディゴ家、前回はヴァイオレット家。レックス様が外に出ることが多いのは、厄介ですね……」
どうしても、ブラック家での役割が少なくなっていきますから。レックス様がご友人を大切に想う姿は、好ましいものです。だとしても、思うところはあります。
つい、ため息をついてしまいそうになりますね。あまり、メイドとしては好ましくないのですが。主に快適な空間を提供してこそのメイドですから。私の存在そのものが、レックス様にとって快適でなくてはいけません。不快感を表に出すなど、未熟の証ですよね。
ただ、完全に納得できている訳ではありません。もちろん、レックス様の邪魔をするつもりはないにしても。
「あくまで、ブラック家の当主としてあってほしいものです。そうでなくては、当主が変わりかねません」
ジャン様にその気があれば、乗っ取りだって不可能ではないでしょう。ですから、気を付けていただきたいものです。無論、信頼が先行する姿勢自体は、尊いものだとは感じていますが。
ただ、間違いなくレックス様の弱点でもあります。私のような存在が、支えなくてはならない程度には。言ってしまえば、脇が甘い部分があります。そんな人だからこそ、好かれている部分もあるのでしょうけれど。
レックス様は、基本的には人に好意を向ける方です。だからこそ、お父上にまで情を抱いてしまった。そんな弱さも、魅力だとは思います。ですが、心配にもなってしまうんですよ。
「レックス様が当主でなくなってしまえば、何の意味もないんですから」
少なくとも、私にとっては。そのために、チャコール家を潰したんですから。レックス様と、その血筋が当主で居続けられるように。
私にとって、唯一の希望。それがレックス様だったんです。腐り落ちる寸前だったブラック家に咲いた一輪の花。そんなところでしょう。
だからこそ、レックス様が当主でないブラック家など、もはや考えられません。かつてのように戻るなんて、許せるはずがないんですから。
「だからこそ、ブラック家に対する行動は重要になるでしょうね」
ブラック家が、しっかりと活動できるように。レックス様が、足を引っ張られないように。メイドとしてだけでなく、エルフとしての私も利用して。
長命であることは、今までは何とも思っていませんでした。ですが、今は違います。この長い生で培った関係は、確かに意味を持つのですから。レックス様のお役に立てるんですから。かつて以上のブラック家を作る支えになれるのですから。
掃除をする手にも、力が入りますね。やはり、私は誰かを支えるのが好きみたいです。このまま、レックス様の支配を深めていきたいものですね。
「とはいえ、メイドとしての仕事を放棄するなどあり得ませんが」
私とウェスさんが居なくなってしまえば、レックス様は困るでしょうからね。それに、彼が私の料理を喜んでくれる姿は大好きなんです。心が満たされる実感があります。
いつでも感謝してくれますし、私達への信頼も感じられます。私達が部屋のどこに居ても、受け入れる姿勢を崩しませんからね。
私やウェスさんは、レックス様とは種族が違います。それでも、彼にとっては当たり前に大切な存在なんです。それがどれほど素晴らしいことかなんて、きっと本人には理解できないのでしょう。
多くの人間は、ただ魔法の有無だけでも、多くの偏見を持つものです。貴族や平民なんて立場でも、簡単に。そんな世界で、異種族を受け入れることがどれほど尊いか。長い歴史を見てきたからこそ、よく分かるつもりです。
エルフだって、人間や獣人を見下す存在は少なくない。私の生では、軋轢ばかりを見てきました。いつだって、争い続けてきたのです。今だって、変わらずに。
だからこそ、異種族のメイドの存在は、大きな意味を持ちます。レックス様以外にとっては、勲章として。レックス様にとっては、絆の証として。この関係は、崩れてほしくないですね。そのためにも、仕事に励むべきでしょう。
「私の役割は、あくまでレックス様のメイドなのですから」
その事実は、誇りに思うべきものですよね。私とレックス様が出会えたことは、とても素晴らしい奇跡なんですから。
みすぼらしい格好をしていた私に、温かい食事と綺麗な衣装を渡してくださったこと。そこから、すべてが始まったんですから。
私は、レックス様との思い出を忘れたりしません。たとえ、どんな未来であったとしても。
「ただ、少し大変ですね。ブラック家がレックス様の手によって統一されない可能性が存在するのは」
というか、嫌です。レックス様が主であってこそ、ブラック家は輝くのですから。そのためには、もっと活動したいというのが本心です。
ただ、私にとって大切なものは他にもある。いま私とレックス様が繋がっている、その証こそが。
「結局のところ、私は単なるメイド。その職責より優先すべきことはありません。そのはずです」
レックス様だって、私がメイドとしての仕事を軽視すれば、悲しんでしまわれるでしょう。そんな未来は、避けたいものです。
それに、私以外の手によって世話を焼かれるレックス様というのは、あまり想像したくありません。ですから、私の本分はメイドの仕事をこなすことなのでしょう。
「それでも、レックス様を裏切るというのなら、どんな手を使ってでも排除しますけれど」
私にとっては、レックス様以上に大切なことなんてありません。あるいは、メイドとしての仕事よりも。ですから、レックス様を傷つけるものの存在なんて、許しておけないんです。
レックス様と過ごせるからこそ、ブラック家には価値があるのですから。それは、揺るがない事実です。
「私の望むブラック家は、レックス様の作るブラック家なんです」
それだけは、何があったとしても変わらないでしょう。レックス様以外の人に、ブラック家を汚されたくはありませんから。
私は、私とウェスさん、そしてレックス様が穏やかに過ごす空間こそを求めていたのです。他の誰かには、絶対に叶えられないものですから。
「レックス様が当主でなくなるくらいなら、ブラック家など必要ありません」
間違いなく、正しいことです。かつてのようなブラック家を望む存在なんて、ただの悪でしかありません。ですから、いっそ壊してしまえば良いのです。
もちろん、レックス様が当主でいられるように尽力するつもりではあります。そこだけは、間違えたりしません。
「きっと、初代様だって同じことを望むでしょう。あの優しかった方なら」
そうでなかったとしても、私の選択は変わりませんが。私にとっては、レックス様の方が大事なんですから。戻れるとしても、もはや戻る必要なんてありません。今の私は、確かに満たされているんです。
「これから先もずっと、レックス様に仕え続ける。それが、私の幸せなんですから」
そして、ずっと穏やかな時間を過ごしたいものです。そのためなら、何だってしますよ。
「あなたが望む未来を、私も望みますからね」
約束します。あなたと私が望む未来を訪れさせると。
ですから、ずっと一緒に居ましょうね。




