237話 本当に欲しいもの
ペール家のとの戦いでは、アリアがMVPだったと言っていいだろう。ということで、何かお礼をしたい。できることなら、ちゃんとした報酬を渡したい。
ただ、アリアが受け取ってくれるかどうかは、かなり怪しいんだよな。どうにも、遠慮する未来が見える。信賞必罰という観点から見れば、報酬は大事なのだが。
とはいえ、アリア自身が喜ぶものを渡せなければ、何の意味もない。無理矢理報酬を押し付けたとして、単なる自己満足でしかないだろう。
本当に、難しいものだな。ブラック家の当主として考えれば、褒美を渡すのは大事だ。だが、俺個人としては、アリアの気持ちを何より大切にしたい。
きっと、なにか喜んでくれるものがあるはずだ。それを探すことができれば良いのだが。というか、本来なら、もっと早く知っているべきだった。
いま考えてみれば、アリアも含めて、みんなの好みをちゃんと知らない。大好きだと思っているのに、これはマズくないか? 今からでも、ちゃんと知っておくべきじゃないだろうか。
とはいえ、直接聞くのも、なかなか難しい。どうするのが正解だろうな。
まあ、まずは礼を言わないとな。それだけは、絶対に欠かしてはならない。ありがとうとごめんなさいだけは、いつでも言える人で居たい。現実に言えているのかは、自信がないが。
ということで、アリアの元へと向かう。探せば、すぐに見つかった。座っていたが、こちらを見ると立ってしまう。なので、両手を下に何度か下げると、頭を下げられた。だが、立ったままだ。これは、失敗したかもしれない。
それでも、いま去ったら不自然なだけだからな。本題に入るのが、まだマシな選択だろう。
「アリア、今回はありがとう。おかげで、だいぶ楽ができたよ」
「いえ、レックス様のお役に立てたのなら、十分です」
何気なく言っているが、それを肯定してしまえばブラック企業と同じなんだよな。やりがい搾取そのものというか。実際、健康を害するほどの労働はないと思う。顔色は自然なものだし。それでも、報いるのは大事なはずだ。
ただ、善意の押しつけも、それはそれで問題だ。アリアが喜んでくれる何かでないと、意味がない。いや、俺が考える必要はないのか? 本人に聞いてみれば、それで済むんじゃないだろうか。
ものは試しだ。聞くだけ聞いてみよう。帰ってこなかったら、その時に考えればいい。
「それじゃあ俺が満足できない。俺を立てると思って、なにか要求してくれよ」
「本当に、お優しい人ですね。ですが、私には特に望みもありませんし」
まあ、全く望みがないことは、あり得ない。ただ、穏やかな表情を見ている限りだと、現状に満足しているのだろうと思える。難しくなってきたな。いや、ひとつだけ手段があったか。欲しくなった時に、何かを与える。これでどうだろう。
「無理に考えろとも、言えないな。なら、貸しひとつという事にしておいてくれ」
「それでは、レックス様の心にトゲが残り続けますからね。そうだ。こちらにきてください。ほら、まっすぐ」
「あ、ああ……」
微笑んで、アリアは両手を広げる。胸に向かって進めということだろう。ゆっくりと近づくと、優しく抱きしめられた。蜜のような甘い匂いがして、少し落ち着く。
そうしていると、頭を撫でられる。抱えながら、ゆっくりと。こうされると、つい甘えたくなってしまうな。今なら、許されるのかもしれないが。
「一度、やってみたかったんですよね。レックス様を、この胸に抱きしめることは」
「こんなの、むしろ俺が礼をもらっている方じゃないか……?」
「それなら、お互いにとって嬉しいということですね。良いじゃないですか」
優しい声が聞こえる。こちらを落ち着かせようとしているかのような。喜んでもらえているのなら、ありがたい。お互いが嬉しいのなら、お互いにとって良いことなはずだ。
ただ、金銭的な価値なんてないだろう。形にも、残らないだろう。そこだけは、少し気になるが。
「アリアが満足しているのなら、それが一番だが。だが、こんな簡単なことでいいのか?」
「メイドのような端女が、主人を抱きしめるなど、とてもとても。ですから、本当に満たされているんですよ」
それは、確かにあるかもな。特にブラック家なんか、無礼討ちされてもおかしくない環境だろう。そう思えば、おかしい要求ではないかもしれない。まあ、俺が好かれている前提ではあるのだが。
ただ、アリアやウェスには、この程度のことは当然だと思っていてほしい。他人ならいざ知らず、ふたりは大事な存在なんだから。ただ触れ合うだけのことは、許されてしかるべきだ。
もちろん、相手が嫌がらないという前提ではあるが。少なくとも、俺は嫌がったりしない。だから、何も問題はないんだよな。こちらから触れるのには、抵抗があるとはいえ。相手からの要求に答える分には、いくらでも。
「まあ、俺の立場自体は否定できないが。他人が相手なら、拒否していただろうな」
「レックス様が喜んでくださる事実も、私にとっては嬉しいことなんですよ。これは、良い気分ですね……」
抱かれる力が、わずかに強くなる。まあ、痛くない程度だ。だから、アリアの喜びを感じられて嬉しいくらいだ。それに、抱きしめられているという事実が、心に穏やかさをくれる。安心感というか、満足感というか。
それが何かはよく分からないが、できればもっとと思ってしまう。俺も、弱っているのかもな。
「ああ。確かに、落ち着くな……」
「私は、レックス様と血はつながっておりません。それでも、母のように思っているのは事実なんです」
「ありがとう。そこまで、俺を大切にしてくれて。俺も、お前を家族のように思っているよ」
「過分なお言葉、ありがとうございます。レックス様の感情は、強く伝わっていますよ」
ちゃんと言葉にしたら、相手が喜んでくれる。それだけの事実が、心を満たしてくれる。やはり、感情を言葉にするのは、大切なことだよな。少なくとも、俺を大事にしてくれる相手には。
「なら、ありがたい。それにしても、こんな日常が続けば、それが一番なのだがな……」
「この世界は残酷ですから。力がなくては、生きていけません。だからこそ、私も暗殺の技術を身に着けたのです」
「ああ、同感だ。俺も、同じような理由で鍛えているからな」
「今回だって、フェリシア様が危険な目に遭いかけていましたからね。レックス様が弱ければ、また別の未来があったでしょう」
「まったくだ。本当に、嫌な世界だよ」
「この世界が、お嫌いですか?」
まっすぐに、目を見つめられる。嫌いかどうかで言われたら、嫌いな部分の方が多いかもしれないな。出会った人の多くは、褒められた人間じゃなかったから。でも、転生したことは良かったと思っている。理由なんて、単純なものだ。
「いや。お前達と出会えた。それだけで、好きになるには十分だ」
「私もです。醜い世界だとは思いますが、確かに輝くものはありますから」
「だからこそ、何度も苦しむのかもしれないがな。いったい、いつまで戦い続ければ良いのやら」
「きっと、誰にも分かりません。ですが、約束します。あなたの道の最後まで、ずっとお供すると」
強い力とともに、アリアの感情が伝わってきた。心からの誓いなのだろう。なら、それを叶えられるように、俺だって頑張らないとな。
もう、二度と失わない。そのために、俺のすべてを懸けるんだ。




