230話 ハンナ・ウルリカ・グリーンの嘆き
わたくしめは、レックス殿達がアストラ学園から離れてからの期間で、近衛騎士の試験に合格したのです。結果を聞いた時は、舞い上がりそうになりました。
そして、近衛騎士として、先達たちに混ざって訓練を繰り返すこととなったのです。そこからでした。わたくしめの世界から、色が失われたのは。
わたくしめより弱い人達に、強くなるコツを自慢気に語られるところから始まりました。わたくしめの力を見せると、精神がなっていないと言うのです。半笑いで、こちらの武器を隠したりしながら。
それで、城内10週を命じられたりもしました。余裕でこなせば、不正をしたなどとなじられる。
もはや、わたくしめの中から、尊敬という言葉も、憧れという言葉も、消え去っていたのです。所詮、くだらない人間の集団でしかない。そう、思い知らされたのですから。
叙勲の日、記章を受け取りました。ですが、わたくしめには、ただの鉄くずとしか思えなかったのです。
「わたくしめは、近衛騎士となったのですね。ですが、嬉しくはありません」
ひとりでため息をついても、何も変わりはしない。もういっそ、投げ出してしまいましょうか。そんな誘惑すらも、ありました。わたくしめにとっては、もはや何の価値もない立場でしたから。
ミーア様やリーナ様を守りたいという思いは、確かにあります。ですが、それを達成するだけならば、近衛騎士でなくてもよいのではと。あるいは、秘書として。あるいは、荷物持ちとして。それらの形でも、実現できるのではないかと。
そもそも、わたくしめ以外の騎士の実力では、とても守れるとは思えなかったのです。むしろ、ミーア様やリーナ様の足を引っ張るだけなのでは。そうとすら思いました。
日々の任務を、真面目にこなしているかどうかすら怪しい。そんな人達に、何ができるというのでしょう。
仮にわたくしめが反逆者となったとして、近衛騎士程度は打ち破れる。そう確信していました。
「憧れていた近衛騎士など、どこにもいなかった」
拳を握るだけの力も、抜けてしまいます。体力としては、有り余っているのですが。なんというか、気力が無くなっているという表現が正しいでしょうか。
目標を失って、その先には苦痛ばかりが待っていた。そんな今に、未来に、何を期待すれば良いのでしょう。
「なぜ、実力も人格も、褒められる人の方が少ないのですか……」
わたくしめから見て、何も良いところがない。そんな人の方が、多いくらいなのです。もう、泣いてしまえれば楽ですね。ですが、泣きわめくのは、わたくしめの理想とする騎士ではありません。
愚かですよね。現実を知ってなお、理想を捨て去れないのですから。かつてのあこがれを、今でも抱えているのですから。
近衛騎士なんて、何の価値もない。そう思っているわたくしめが居るのに、立派な騎士でありたいと思っているわたくしめも居るのです。
「ミーア様やリーナ様を守るための人員が、これで良いのでしょうか」
本当に、悩ましいです。頭を抱えたいくらいには。わたくしめは、ミーア様もリーナ様も大切に思っています。直接言葉にはできませんが、友達だとも。
そんな人の周りに、とても愚かな人達がいる。嫌で嫌で仕方ありませんが、喚いても現実は変わらないのです。
別の人だったらな。心から、そう思います。わたくしめには、尊敬できる人が多くいるのですから。
「ルースさんはもっと努力していた。フェリシアさんは誇り高かった。ミュスカさんは優しかった。他の皆さんだって」
実力も、人格も、きっと近衛騎士の誰よりも優れている。そんな友達に、恵まれたのです。ですから、わたくしめだって、皆さんにふさわしい存在でいたい。そう思うのです。
皆さん、努力を重ねています。才能を抱えています。人に優しくする心を、持ち合わせています。ですから、共に近衛騎士として戦えれば、どれほど素晴らしいでしょうか。転じて、今の近衛騎士はどれほど愚かなのでしょうか。
「あまつさえ、そんな方々を悪く言う。特に、レックス殿のことを。なんて、醜いのでしょう」
自分が嗤っている相手が、どれほど王家の役に立っているか、考えたことはあるのでしょうか。特にレックス殿は。確かに、大きな失敗はしています。ですが、それ以上に功績の方が大きいではありませんか。
何よりも、ミーア様とリーナ様が現在の関係になれたのは、レックス殿のおかげなのですから。それ以上に王家に貢献できた方は、どこに居るのでしょうね。鼻で笑ってしまいますよ。
「ミーア様は、今のままで良いのでしょうか。頼れる存在など、居ないではありませんか」
少なくとも、近衛騎士の中には。あるいは、わたくしめは頼っていただけるのかもしれませんが。ですが、期待薄ですよね。
わたくしめが同じ立場なら、王になどなりたくないと思うでしょう。それでも、前向きに頑張るミーア様もリーナ様も、素晴らしい方々です。
ただ、わたくしめは苦しいのです。悲しいのです。苦さを感じるくらいに。寒さを感じるくらいに。
「わたくしめは、何のために努力を重ねてきたのでしょう。少なくとも、つまらない馴れ合いのためではないはずです」
くだらない遊びを繰り返して、面白みもないことで笑う。そんな品のない行為をしたかったのではありません。わたくしめは、誰かを助けられる人になりたかったんです。輝ける人になりたかったんです。
つい、うつむいてしまいます。何も変わらないと知っていても。わたくしめは、弱いですね。
「私の友達の方が、ずっとずっと尊敬できます。近衛騎士が、そんなことで……」
皆さん、大切な誰かのために頑張れる人でした。それだけで、あの人達とは違う。つい、みんなで一緒に居た頃を、思い描いてしまいます。懐かしんでいるだけの行為に、意味などないと理解していても。
「称号だけにおぼれて、ただうぬぼれるだけの人達。わたくしめも、そのひとりでしかない」
結局のところ、わたくしめだって同じ穴のムジナ。外から見れば、近衛騎士の一員でしかないのです。あの、くだらない人達の。思わず、下ばかり見てしまいます。それじゃダメなのに。
「内側から変えるのに、何年かかることでしょうか。そもそも、今の人員は必要なのでしょうか」
わたくしめの力だけでは、きっと何も変えられません。誰かの手を借りても、遠いでしょう。それで、愚かな人達が横暴に振る舞うのを見ているだけ。そんな人生に、何の意味が。
「もういっそ、切り捨ててしまえれば楽なのですけれど」
近衛騎士達を殺す自分を想像したら、つい笑顔になってしまいました。相当恨んでいると、自覚できたのです。ですが、まだです。ミーア様やリーナ様に、迷惑をかけたくないですから。
「わたくしめ達の理想は、ここにはない。なら、作り出すしかないのです。どんな手を使っても」
守るべき人の力を借りてでも。この手を汚したとしても。わたくしめは、立ち止まりません。それでも、見ていてください。友達で居てください。
お願いですよ、レックス殿。




