184話 サラの方針
私は、レックス様に悲惨な生活から助けられた。そのレックス様が大変な状況にいるというのは、あまり好ましくない状況だと言える。
細かいことは、実は知らない。ジュリアが関わっているというのは、感じていたけれど。だけど、私に知らせないということは、それが必要だということ。そう納得していた。
ある日から、レックス様の雰囲気は明確に変わったと思う。どこか、陰をまとうようになった。きっと、つらいことがあったのだと思う。それを支えたいという感情は、当然あった。だけど、レックス様はどこか離れてほしそうにしていたから、手を伸ばせなかった。
もどかしさを感じながらも、レックス様が助けを求めたら応えられるように、心の準備はしていた。そして、その日がやってきた。
なんでも、ブラック家に着いてきてほしいのだとか。きっと、今のブラック家には問題が多いのだと思う。レックス様が、自分から助けを求めるくらいだったから。
だから、頼みを受けることは決まりきっていた。だけど、私の想像していたものとは、少し違うのかもしれない。今はまだ、分からないけれど。
「レックス様、言葉が優しくなった。これまでとは、全然違う」
私達に感謝を告げて、大好きだと言ってくれた。それは、とても嬉しい。だけど、私は反対した。理由として、レックス様を軽く見る人の存在をあげた。
本当のところは、レックス様の優しさは尊いと思う。私達のような平民にまで、心を尽くしてくれるということも。
「でも、ダメ。もしレックス様を好きになる人が増えたら、困る」
そう。私にとっては、単純なこと。分かりきった答え。もちろん、レックス様が舐められる可能性も、あるとは思う。だから、警戒は必要なはず。
けれど、私の本心ではなかった。レックス様を魅力的に思う人が増えてしまえば、問題だから。それだけが、私の心を占めていた。
「撫で撫でも、抱っこも、妾の立ち位置も、譲らない」
私は、ずっとレックス様のそばに居たい。少しくらい、苦しい出来事があったとしても。どうせ、今までの人生を超える苦しみなんて、そうはないから。
凍える中でぼろ切れだけを頼りにするのも、飢える中で自分の手を噛んでごまかすことも、物乞いをするたびに殴られることも経験した。そんな私が嫌だと思うことなんて、死ぬことくらい。
だから、レックス様のそばで味わう苦しみなんて、きっと大したことはない。だって、彼は私を守ってくれるから。そこを超えて苦痛を感じることなんて、想像できない。
レックス様は、誰よりも強い。そして、能力の幅も広い。魔法の才能はそれなりにある私だから、余計に理解できること。
そんなレックス様は、貴族としての立場まで持っている。好かれるための条件なんて、いくらでもある。だから、過剰な好意にはずっと警戒し続ける必要がある。
「でも、レックス様が嫌われるのもダメ。気をつけないと」
あくまで、私とレックス様の幸せを守るため。その前提を忘れてはならない。間違った道を進んでしまえば、自分で自分を嫌いになるだけだろう。そして何より、レックス様に嫌われるだろう。それは嫌だから。
「やっぱり、私も頑張らないと。レックス様と周りの距離を調整するために」
だからこそ、簡単にはレックス様の心に触れさせない。多くの人は、自らの環境に対する感謝だけを抱いていれば良い。
「レックス様の本音は、私のもの。それは正しい」
私と、あとはほんの少数だけ。それだけの人が、レックス様の本心を知っていれば良い。きっと、彼は私達より大切なものなんて、作ろうとしないから。だから、私達が理解者である限りは、レックス様の幸福は壊れないはず。
それに、レックス様の本当の心は、どこか危険でもあるから。
「だって、優しい貴族だと、付け入られるスキにもなる。インディゴ家は、その例のはず」
噂話で知っているだけでしかないけれど。それでも、甘さに付け込まれたというのは、正しい情報だろう。つまり、私の方針は、実利の面でも間違っていないはず。レックス様に、スキを作らないためにも。
「でも、私にはもっと優しくしてほしい。どこまでも、ずっと」
それだけで、ふわふわする多幸感も、燃え上がるような熱情も、暖かい安らぎも、全部を手に入れられるから。結局のところ、私の心はレックス様でいっぱい。
「レックス様が好きって言ってくれるなら、とても嬉しい」
その感情だけは、どんな未来でも変わらないはず。私は、大きく変わった。かつては敬語でレックス様に話しかけていたけれど、今は友達のように話している。それは、レックス様を信じる心を手に入れたから。絶対に裏切らない人が、そばに居てくれるから。
「私だって、レックス様のことが好き。それは本当のこと」
いや、大好きなんだ。あるいは、それ以上かもしれない。レックス様にもらった感情は、今でも宝物だから。そして、これからも。
未来の幸せを信じることができるのも、レックス様の存在あってのこと。だからこそ、誰にも奪わせたりしない。
「まずは、学校もどきから。レックス様は、みんなにとって遠い人。それが正解のはず」
私達のように、レックス様を手の届く存在だと思っている人は少ない方が良い。それは絶対。だけど、嫌われもさせない。その両者を満たすものは、要するに高嶺の花。
「貴族で、強くて、賢い。そう思わせればいい。でも、優しさは知られなくていい」
そう。絶対に対等になんてなれない人。それを目指すべきなんだろう。そう、みんなの感情を操作するべきなんだろう。私のやるべきことは、単純。みんなに伝える情報を制御して、結果として狙った感情を与えること。
「レックス様が身近だと思われたら、負け」
気軽に話しかけていい存在じゃない。友達か何かだと思っていい相手じゃない。そう認識させるために、手を尽くす。それこそが、私の目指すべき道。
「そう。レックス様は、天上の人であるべき」
仰ぎ見ることしかできなくて、尊敬することは当たり前で。そうできれば、きっと完璧。
「私達にだけ、手を伸ばしてくれればいい。そうすれば、みんな幸せ」
私達も、レックス様も。私達は、レックス様がそばに居てくれて幸せ。レックス様は、あまり多くの人に気を配らなくてよくて幸せ。これが、お互いにとって最善の道。私はそう信じている。
「うん。だから、レックス様は下々に関わらなくていい。それは、私達の仕事」
そう。私達の手で、レックス様から遠ざける。彼に手をかけさせない。そうすれば、お互いの役割としても成立しているから。
結局は、私達はレックス様の手足。だから、実際に動くのは私達でいい。レックス様は、命を下すだけでいい。
「頑張って、レックス様に褒めてもらう。楽しみ」
そして、撫で撫でも抱っこも、全部もらう。いずれは、妾にしてもらう。
私の全部をもらって。その代わりに、あなたの優しさをもらうから。




