174話 ようやく言えること
母はしばらく俺に抱きついた後、ようやく離れていく。名残惜しそうにはしていたものの、ずっとひっついているのは無理だと理解できていたんだろう。
そして、再びジュリアとふたりになった。それを確認して、軽くため息をついてしまう。
「さっきは大変だったね、レックス様」
「ああ、そうだな。父さんは死んで、母さんはあのザマ。ブラック家はメチャクチャだな……」
そういえば、今なら俺が本音を言っても大丈夫だよな。俺を殺す可能性のあった父は死んだのだから。俺が、この手で殺したのだから。魔法が父の胸を貫く感触が蘇ってきて、ちょっと気分が悪くなった。
だが、自分の言葉で気持ちを伝えることは、楽しみにしていたはずなんだ。だから、今はその喜びを味わおう。せめて少しでも、前向きでいたい。
「どうしたの、レックス様?」
「そういえば、お前に礼を言っていなかったな。ありがとう。今日のことも、今までのことも」
ようやく、言えた。ずっと言いたかったことが。これから先、他の人にも言えることだ。だが、まずは目の前のジュリアに、しっかりと気持ちを伝えないと。
「レックス様にもらったものを考えれば、当然だよ」
明るく笑うジュリアの様子からは、紛れもない本音だと伝わる。俺のしたことは、無意味ではなかった。少なくとも、ジュリアは幸せそうなのだから。
父を殺して、母を壊した。それでも、確かに手に入れたものはあるんだ。だから、それを取りこぼさないように。もう、失わなくて済むように。
仮に離れ離れになるとしても、言いたいことが言えなくて後悔しなくて済むように。いま思えば、父には敵意しか伝えられなかったのだから。殺す瞬間まで、ずっと。
悪人だとしても、確かに大切だと思っていた相手を、何も伝えないまま殺す。そんなの、一度きりで十分だ。俺の手で殺さないとしても、同じことだよな。
「いや、それでもだ。お前は、いつも俺を支えてくれていたよな」
「う、嬉しいけど、突然だと驚いちゃうよ……。いったい、どうして急に?」
首を傾げるのも、当然だろう。それに、真っ赤になっている。この分だと、感謝は伝わっているはずだ。照れさせるくらいには。
「いま思えば、俺が自分を偽る理由は、多くが消えたからな。言いたいことは、言っておきたかったんだ」
「やっぱり、レックス様は本音が言えなかったんだね……」
「気づいていたのか? やはり、俺の演技は甘いようだな」
「まあ、みんながレックス様を優しい人だって思っているからね」
やはり、父も気づいていたのだろうな。その上で、見逃されていた。なら、他の手段もあったのではないだろうか。そんな気がする。いまさら何を考えても、遅すぎるのだが。
それよりも、今は目の前のジュリアに向き合うべきだろう。穏やかな顔をしていて、俺に対する感情が伝わってくるようだ。まるで慈しむかのような、あるいは安らいでいるかのような。
どちらにせよ、俺を受け入れてくれているのは確かだ。能力を抜きにしても、出会えて良かった。そう言い切れるな。
「それは助かると言えば助かるんだが。それでも、自分の下手さにあきれるよ」
「ひねくれた人だと思っていた人は、居るんじゃないかな。僕も、少しくらいは思っていたから」
まあ、仕方のないことだ。というか、単に暴言だと思われないだけマシだろう。周囲の人には、俺の気持ちは伝わっているとは思う。だが、こうして言葉にすることで、新しく見えてくることもあるよな。
そうだな。これからは、できる限り本音を伝えていこう。そうすることで、今まで以上に親しくなれるはずだ。そう信じたい。
あるいは、父を殺してまで手に入れたものが、大した価値のないものだったと思いたくないだけかもな。いや、あまり考えない方が良い。伝えるべきことは伝える。その大切さは、前世以上のはずなのだから。
この世界では、別れの原因になることは多いだろう。だから、後悔する前に、ちゃんと想いを届けないと。
「正直、かなり失礼な発言もあったよな。済まなかった」
「謝ることじゃないよ! 自分の命を守るためだったんでしょ? 仕方ないよ」
「それもあるが、俺が失敗したら、周りも巻き込みかねなかったからな」
「ああ、そうだね。レックス様の前であれだけど、お父さんはかなり残酷というか、良い人じゃなかったから」
実際、他人から見て良い人間とは思えない。ジュリアだって、本音では父を嫌っているのだろう。俺の前だから、言えないだけで。
「気を使わなくて良い。事実だからな。それでも、俺の父だった。それは事実ではあるが」
「ねえ、レックス様。今なら、言いたいことは言えるんだよね。だったら、苦しいことも、全部言ってよ」
そう言うジュリアの顔は、本当に何でも受け入れてくれそうだった。活発なジュリアには似合わない言葉かもしれないが、聖母を想像させるような。
だからかもしれない。簡単に、言葉がこぼれた。
「ありがとう。本当に、俺はどうすれば良かったんだろうな。結局、誰かを天秤にかけるようなことをして」
「僕にも、分からない。でも、僕は嬉しかったよ。僕達を大切に考えてくれていることは」
そうだな。それだけは、真実のはずだ。ジュリア達との未来を失わないために、今の道を選んだのだから。
だから、これから先は全力でみんなを守る。わざわざ父を殺しておいて、みんなを失ったのなら、何の意味もないのだから。
「そうだよな。少なくとも、お前達は失わずに済んだんだ。今は、それを喜ぼう」
「悲しいことは、無理に我慢しなくていいよ。泣きたくても、仕方ないんだから」
すでにジュリアの前では、涙を流してしまっている。本音を言うと、今でも泣きたい。父のことだけでなく、母のこともあるのだから。
ただ、あまり甘え過ぎたら、俺は転がり落ちてしまいそうだ。誰かに頼る心地よさは、抗いがたいものなのだから。だから、今は我慢しよう。せめて、平和な未来が訪れるまでは。
「それでも、お前達の前では、格好をつけたくなってしまうんだ」
「レックス様は、今でも格好いいよ。僕にとっては、ヒーローなんだ」
原作の主人公であるジュリアに言われると、自信がつきそうだ。ただ、それは色眼鏡でしかない。大切な人にとってのヒーローであることの方が、よほど大事なはずだ。
「そうか。嬉しいな。誰かに格好いいと言ってもらえるのは」
「なら、何度でも言うよ。レックス様は、最高だから」
宝物を自慢するかのような顔で言われる。その表情を見ただけで、心が満たされるようだった。俺は、ジュリアにとっては最高なんだ。だから、父より優先したことは、間違いじゃなかったはずだ。
「ありがとう。お前達に恥じない自分で居られるように、頑張るよ」
「それはこっちのセリフだよ。レックス様にふさわしい僕になるから」
「何度も言うが、本当にありがとう。俺をそこまで大切にしてくれて」
「お礼なんて言われることじゃないのに。でも、どうしてもって言うなら、ずっと一緒に居てよ。それだけで、十分だから」
それは、俺の望みでもある。だから、答えは決まりきっていた。




