170話 決意のきっかけ
いよいよ、本当の始まりだ。目の前にある扉を通れば、父が待っている。そして、殺し合いをすることになる。
分かっているんだ。父は、多くの人から見れば単なる悪人でしかないと。だから、殺した方が大勢が幸せになれるのだと。
それでも、心のどこかにためらいがある。俺にとっては、大切にしてくれる親だったからな。
転生したばかりの頃は、恐れていたというのに。当時の気持ちのままならば、悩まなくて済んだのだがな。なまじっか、他の家族とは和解というか、協力できているからかもしれない。
ただ、もはや引き返せる段階は過ぎ去っている。ここで手を止めてしまえば、何人に迷惑をかけるのか。分かったものではない。それも、他人ではなく、親しい相手の多くに。
だから、やるしかない。一度深呼吸して、隣を見る。心配そうなジュリアの顔が見えて、気を引き締め直した。
そうだよな。いま俺が戦わなければ、ジュリアが代わろうとするだろう。そうなってしまえば、危険だ。それに、できることならば、人殺しなんてさせたくない。だって、人を傷つけることは苦しいのだから。そんなことを、ジュリアに押し付けたりできない。
やはり、俺の答えは決まっている。これから先も、ジュリアに誇れる俺で居るためにも。そうだよな。
決意を込めて、父の部屋の扉を開く。その先では、椅子に座った父がこちらを向いていた。
「よく来たな、レックス。待っていたぞ」
「父さん……」
「レックス様、大丈夫?」
ここで大丈夫でないと言ってしまえば、ジュリアは困るだろう。というか、自分で戦おうとするだろう。だからこそ、いつもの自分を取り繕わなくては。
今でも気が重いとはいえ、それは言い訳にはならない。ジュリアを危険な目に合わせる理由にはならない。そうだ。覚悟を決めろ。
「気にするな。お前は、お前の仕事をこなせ」
「ブラック家の財で育てた人間が、私の敵になるとはな。レックスの計画に、乗るべきではなかったか?」
「学校もどきは、必要な事業だった。ジュリアは、俺の役に立っているのだから」
それに、シュテルやサラも。ラナと出会えたことも含めて、学校もどきは大きな財産だ。その過程に、父の悪事も関わっていると思うと、素直に喜びきれないが。
「レックス様……」
「それで、レックスよ。私の計画を受け入れれば、お前は強くなれるのだぞ?」
そんな誘いを受ける。だが、論外だ。闇の宝珠《ダークネスクレスト》に魔力を注ぎ込むだけでいいのなら、手段はある。とはいえ、もとは王家の秘宝なのだから。盗んだもので強くなろうと思うほど、俺は堕ちてはいない。
しかも、魔力が必要というのも、並大抵の量ではないのだろう。そうでなくては、大勢の生贄を必要とはしないのだから。まあ、五属性ひとりで、魔法使い数百人分の魔力を超える世界でもあるが。
あるいは、ジャンに伝えられていないだけで、魔力以外の条件が必要という可能性もある。いずれにせよ、慎重に事を運ぶべきだろう。
「くだらないことを言う。俺は俺の手で強くなる。それだけだ」
「レックス。お前が闇魔法に目覚めた時には、福音だと思ったよ。私の悲願が叶うのだと」
つまり、その闇魔法が目当てで、俺に優しくしていたのだろうか。あり得る話だ。そんな感情にほだされている俺が、バカバカしくも思うが。
父の目的を達成するために、俺の闇魔法が必要だった。だから、俺の真意に気づいていながら、見逃していた。そんな可能性もある。
それだけの情報で、父を嫌いになれれば、楽だったのだがな。ただ、俺が多くの味方を得られたのも、人を好きになる性質のおかげだとは思う。だって、相手を大切にしている感情が伝わっているのは、感じるのだから。
結局のところ、俺が俺でいる限りは、今の苦しみは避けられなかったのだろうな。嘆かわしいことだ。
「どんな計画だというんだ?」
「ろくでもないことだろうね、レックス様」
「やはり、平民には素晴らしさなど分からんか。当然のことではあるが」
「分かりたくもないよ。生贄を捧げようとする人の考えなんて」
俺も同感ではある。というか、すでに犠牲者が居るのだから。そんなことをしてまで達成することに、価値なんてあるはずない。そこは、ジュリアと同じ気持ちだ。
「レックスよ。お前が闇の宝珠《ダークネスクレスト》で力を得れば、王家との交渉材料になる」
「それで? ブラック家の権勢でも拡大したいのか?」
「くくっ、そんなつまらないことではないよ。お前とミーア姫を、結婚させるのだ」
そんなことのために、王家の秘宝を盗んだのか? 下手人が誰かに気づかれているのだから、王家の心象は悪いだろうに。
しかも、ミーアが望まない結婚をする計画なんて、受け入れるつもりはない。俺が相手だというのなら、なおさらだ。
「ミーア様と……? そんなの、ミーア様は喜ばないよ!」
「相手の感情など、問題ではない。何より重要なのは、王家の血筋に、ブラック家の血が残ることよ」
そのメリットは、確かにいくつかあるだろう。だが、だからといって肯定はできない。ミーアを苦しめてまで手に入れる利益に、何の意味があるというのか。
「まったく、ふざけたことを。俺の相手は、俺が決める」
「貴族として生きる人間に、結婚相手の自由があるとでも? 笑わせるな」
「だからといって、相手を脅して良い関係が作れるとでも? 父さんこそ、笑わせるな」
「分かっていないな。王家の親族となる意味が」
政略結婚の意味を考えれば、まったく分からない考えではない。ブラック家のやり口を考えれば、ミーアの子供を人質として利用するとか、あり得るよな。だが、許せない。
ミーアだって、王族としての立場も考えて結婚相手を選ぶのだろう。だからといって、明らかに不幸になる結婚なんて、絶対にダメだ。
「そんなことのために、大勢を巻き込むなんて! 許せないよ!」
「まったく、父さんは。目先の利益のために、大局を見失うなど」
「何を言う。数代先まで見据えた大局ではないか。お前こそ、大局を見失っているのではないか?」
「そのために、無軌道に敵を増やしてか? そもそも、レプラコーン王国は、世界のすべてではないぞ」
「話は平行線のようだな。ならば仕方がない。レックスよ。こうなってしまえば、道はひとつだな?」
そうだな。もはや戦うしかない。最初から、分かりきっていたことだ。ジュリアのためにも、俺が殺してみせる。今では、ミーアの未来がかかっていることもあるのだから。
やはり、俺は大切な相手のためにじゃないと、動けないのだろうな。今はもう、父を殺す覚悟が固まった気がするから。
「レックス様、僕が代わりに戦おうか?」
「黙っていろ。これは俺の問題だ。俺の戦いだ。ジュリア、お前が邪魔をするな」
「懸命な判断だよ。たかが平民に負ける私ではない」
「レックス様、絶対に勝ってね……!」
「当たり前だ。ただの魔法使い程度に負ける俺じゃない」
「さあ、かかってくるがいい。我が研鑽を、見せてやろう!」
さあ、行くぞ。ミーアの未来のために、ジュリアに負担をかけないために。




