169話 最後の時間
父の部屋に向けて、廊下を歩いていく。そこで、扉の前に人が居るのを見かけた。目を凝らすと、母が居た。
なぜだろうか。普段は、特に父の部屋の前に居ることはないはずなのだが。やはり、何かあるのだろうか。俺の計画が、気づかれているとか。そうだとすると、ジャンと会ったことも説明がつく。
ただ、気づかれているのだとすると、なぜ攻撃されないのだろうか。まあ、ただの魔法使いが集まったところで、俺を消耗させられないか。
なら、父は俺を迎え撃つ準備をしているのだろうか。なら、気合を入れないとな。
そう考えつつも扉の前に向かうと、母は悲しそうな顔をしていた。
「レックスちゃん、やっぱり来てしまったのね……」
やっぱりという言葉と、悲しそうな顔。それらをつなぎ合わせると、今回の襲撃に気づかれている可能性が高い。
とりあえず、母は俺と戦う気があるのだろうか。それを知りたい。
「母さん、俺の目的を理解しているのか?」
「そうですわね。あの人を、殺しに来たんでしょう?」
「どうして、それを……」
推測はしていたが、気にはなる。こちらの情報が漏れているのなら、対処が必要だろう。父と戦う上で、方針を変えないといけない。
それに、母がどうするつもりなのかも重要だ。父の味方をされるのなら、殺さなきゃいけないだろうからな。
「レックス様、つまり、敵は備えてくるってこと?」
「どうなんだ、母さん?」
「王家の動きは、こちらでも察していたもの……。だって、レックスちゃんのことなのよ?」
つまり、王家にはブラック家のスパイも居るということ。まあ、当然か。ただ、今回の計画が漏れていたのは、結構な問題じゃないか?
下手したら、ブラック家が王家に攻撃することもできたはずだ。王女姉妹に、伝えた方が良いのかもしれないな。
いや、どうだろう。俺はあくまでブラック家の人間だ。王家に居るスパイにどう対応するのかは、考える必要があるだろう。
今回は王家が味方してくれているが、国王はあくまで別の派閥と言って良い。もし敵対されそうなら、事前に兆候を感じ取りたい。
まあ、取らぬ狸の皮算用か。王家に居るスパイが、俺の味方とは限らないのだから。
それよりも、母とはできれば敵対したくない。できることなら、見過ごしてくれないだろうか。無茶だとは思うのだが。仮にも、夫なのだから。それを殺そうとしている相手を、どう思うかなんて明らかだ。
「なら、分かっているだろう。通してくれ」
「ねえ、レックスちゃん。わたくしのことも、敵と思うのかしら?」
希望が見えたと言って良いのだろうか。どうせなら、このまま通してくれたのなら。そのためには、どんな言葉を選ぶべきだろうか。
とはいえ、今回だけを乗り切ったとしても、これから先に敵対されるのなら、同じことだ。だから、媚びるような姿勢はないな。
相手がどう出るか、確かめるべきか。なら、問いかけるような形で。
「母さんの行動次第だ。どんな状況でも味方と思う人間なんて、居ない」
「それはそうだよね。僕だって、レックス様に攻撃されたら、敵と思っちゃうかもしれないし」
「あなたが、レックスちゃんをたぶらかしたの……? いえ、もう遅いわよね……」
もはや、俺は止まれない。それを理解しているのだろう。暗い顔をする母を見ていると、つらくはある。だが、それでも進むべきなんだ。
だから、どうか邪魔をしないでくれ。せめて、少しでも殺す相手を減らしたいんだ。
「これは俺が決めたことだ。どかないのなら、母さんでも」
「それなら、通すしかないわね。レックスちゃんと、戦いたくなんてないもの。でも、もう少し話をさせて……?」
敵にならなくて済むのなら、それが一番だ。安心できる。だが、確かめるべきことがある。俺の計画に気づかれているのなら、母だって何かを企んでいる可能性はあるんだ。
できれば、疑いたくなんてない。それでも、手を抜いて良い部分じゃないよな。最悪の場合、大勢の犠牲が出る危険があるのだから。
「時間稼ぎのつもりは、無いんだよな?」
「僕が様子を確認しようか?」
「レックスちゃんが不利になるようなことは、しないわ。だって、可愛い息子なんですもの」
慈しむように、俺を見つめている。だから、可愛い息子という言葉は、本当なのだろう。だったら、信じたいものだ。俺を妨害している訳ではないと。
「なら、俺の邪魔はしないでくれ。そうされたら、敵だと判断するしかない」
「分かったわ。レックスちゃんの敵にはなりたくないもの。あなたを、愛しているから」
そんな相手の夫を、これから殺す。そう思うと、言葉を素直に受け止められない。母だって、悲しんでいるはずなのだから。
「……そうか。嬉しいよ、母さん」
「レックス様……」
ジュリアに心配をかけてしまっているな。だが、どうしても心が乱れてしまう。父と戦う前に、しっかりしなければ。
「ねえ、レックスちゃん。抱きしめさせてもらっても、いいかしら?」
「まあ、構わないよ。それで、引き下がってくれるのなら」
「もちろんよ。こっちに来て、ね?」
仮に何かを仕掛けているとしても、俺は魔力で守られている。だから、大丈夫だろう。そういう計算もあって、素直に受け入れることにする。
母の方に進むと、こちらを優しく抱きしめてくる。頬を寄せられたので、こちらからも抱き返した。せめて、少しでも母の心を慰められるように。
「ああ、レックスちゃんのぬくもりを感じるわ。幸せね……」
「母さんも、温かいよ」
俺が好意的であれば、楽に進む。そう信じて、言葉を重ねる。すると、ゆっくりと母は離れていった。
「受け入れてくれて、ありがとう。これからも、レックスちゃんの傍に居たいわ。それだけが、わたくしの望みよ」
その言葉は、本心なのだろう。俺から離れる時、名残惜しそうにしていたから。なら、せめて少しでも、母の傷を減らせたのなら。どうすれば良いか、よく分からないけれど。
「それは、これからの母さんがどうするかで決まる。俺だって、できれば敵対したくないよ」
「当たり前だよね。誰だって、好んで人を敵にしたくないよ」
「レックスちゃんの言うことなら、何でも聞くわ。だから……」
そんな風に、自分の意志を押し殺してほしくはない。ただ、母は原作では多くのエルフを殺していた人間だ。だからこそ、悩ましい。
母のすべてを肯定することは、不可能だ。それでも、少しは母らしく生きていてくれれば。
「母さんは、それで良いのか? いや、俺にとっては都合が良いけど」
「だって、レックスちゃんはわたくしのすべてなんだもの」
「愛されてるんだね、レックス様」
「そろそろ、十分だろう。通してくれ、母さん」
「分かったわ。ねえ、ケガしないで、またわたくしのところに戻ってきてくださいね」
これから夫を殺す相手を気遣うような言葉がかかる。なんてセリフを言わせてしまったのだろうと思うが、それでも、ここで立ち止まることはできない。
悪いな、母さん。でも、これが俺の選んだ道なんだ。
「行こう、レックス様」
「レックスちゃん。必ず、また会いましょうね」
次に会う時、俺はどんな顔をすれば良いのだろうか。そんな考えがよぎった。




