153話 ハンナ・ウルリカ・グリーンの嫌悪
わたくしめは、ミーア殿下の命によって、人材の選定をおこなっていました。
ブラック家の当主が死ねば、その内において、様々な混乱が起こるでしょう。それに備えて、雑務を任せるための人員です。
つまり、当主が死んだブラック家において、レックス殿の代わりに実務をおこなう人間です。
それを悪用すれば、ブラック家の乗っ取りすら可能になるでしょう。ですが、それは我々の望みではありません。ですから、選定は慎重におこなう必要があるのです。
「この方は、自己利益を優先する人でしょうね。採用は、やめた方が良いでしょう」
ただ、やはり様々な思惑を持った人間が集まるものです。レックス様の利益になるように、良い人を選びたいとは思うのですが。
最終的には、国王であるアルフォンス様も、選定に携わるとか。まあ、わたくしめのような小娘の判断に、すべてを任せることはできないでしょう。
とはいえ、陛下はレックス様のことを、高く評価している様子。ですから、極端な陰謀には巻き込まないと、信じたいものです。
結局のところ、わたくしめの力が及ぶ範囲は、限られている。それでも、少しでもレックス殿に良い未来が訪れるように、努力するつもりではあるのです。
「今度は、別の貴族の手がかかっています。こちらも、見送りで」
ただ、レックス殿を利用しようとする人間は、あまりにも多い。うんざりしてしまいそうなくらいには。
調査結果を目にするたびに、人間というのは醜いのだと思い知らされるようで。ですから、少しずつ人が嫌いになっていく感覚がありました。
わたくしめは近衛騎士を目指しているのですから、悪意に触れる機会は多くなるでしょう。ですから、耐えなくてはならないとも、思っていたのですが。
これまで、わたくしめは周囲の人間に恵まれていたのだと、ようやく実感できたのです。ミーア殿下やリーナ殿下、ルース殿にレックス殿。他の友人も、みな優れた人たちでしたから。
だから、私欲のために、つまらない打算を振り回す人間が、より汚く見えたのでしょう。
「レックス殿の味方をしてくれそうな人は、少ないですね」
もちろん、ブラック家の評判がありますから、積極的に関わりたい人間は、少ないのでしょう。それにしても、ブラック家の財産や権益を奪いたい人間ばかりで、嫌になってくるのですが。
レックス殿は、お優しい方です。ですから、少しでも悪意に触れなくて済むように。そう思うのです。
「それなら、最低でもミーア殿下のご意思を優先してくださる方を……」
人員の選出は、とても難航していました。とはいえ、最低限の足切りはできたと思います。少なくとも、レックス殿が当主としての形は、残るだろうと思える程度には。
ただ、気が重いのです。これから先、レックス殿には苦難が待ち受けている。その道を、わたくしめの手で作っているかのようで。
「ミーア殿下、これで本当に良かったのでしょうか……?」
どうしても、迷いは振り切れません。もっと、他に道はなかったのでしょうか。そう思ってしまうのです。
「レックス殿は、わたくしめ達の味方をしてくださるでしょう」
そこは、疑っていません。だからこそ、心苦しいのですが。自らの手で、わたくしめ達の側を選んで、父君を殺す。わたくしめ達が居なければ、過酷な選択をせずに済んだのではないか。そう思えてならないのです。
レックス殿は、おそらく覚悟を決めるでしょう。そして、決断をしてくれるでしょう。
「ですが、きっと心では傷つくのです。そこまでして父君を殺させる価値は、あったのでしょうか?」
わたくしめとしては、もっと楽な道で良かったと思うのです。レックス殿は、わたくしめ達の味方。そんなこと、分かり切っているのですから。
おそらくは、多くの貴族よりも、ミーア殿下やリーナ殿下、そして、わたくしめやルース殿。そういった人達を、大切にしてくれているのですから。
だからこそ、彼は苦しい道でも歩んでしまうのでしょう。わたくしめ達を、傷つけないために。
「レックス殿が、心配ですね……」
きっと、強がると思います。なんでもないことのように、装うと思います。だからこそ、感情を吐き出せないのではないかと。
レックス殿が本心を語るのならば、まだマシなのでしょうが。その本音を、わたくしめなら、受け止めてあげられるのに。
わたくしめは、レックス殿を大切な友達だと考えているのですよ。だから、弱音くらい。
なんて言っても、きっと彼は、ひとりで突き進んでしまうのでしょう。自分が嫌なことに、周囲を付き合わせる人ではないのですから。
わたくしめは、彼を止めたいのでしょうね。傷つかなくて良い道があるのだと。
「それでも、もはや立ち止まることはできない。もう、戻れない領域まで進んでしまったのですから」
いまさら、どうやって話を無かったことにするというのか。不可能だということは、わたくしめでも分かります。
もう、レックス殿が父君を殺すことは決まったようなもの。だから、彼の心はズタズタになってしまうはずです。どこか、弱さを見せる人なんですから。
「せめて、事が終わった後のレックス殿には、寄り添いたいものです」
わたくしめにできる、せめてもの気遣いです。レックス殿を傷つけようとする人ばかりで、嫌になりそうな世界。そんな状況での、彼の数少ない味方なのですから。
レックス殿はきっと、涙を流すことすら、ためらってしまう人。自分の弱さだと、切り捨てようとしてしまう人。だからこそ。
「きっと、しばらくの間は、レックス殿は笑えない。そんな気がしますから」
そんな彼に、少しでも安らぎが与えられたなら。そう思うのです。
「わたくしめが同じ立場ならば、きっと苦しみましたから。だから、今度はわたくしめが支える番です」
かつては、わたくしめが支えられた。だから、それ以上の想いで、レックス殿を包み込むべきなのです。
「意地を張っていた、わたくしめを見守ってくださったこと、忘れていませんから」
そう。何度も迷惑をかけて、それでも許されたのですから。そんな彼を傷つけようとする人は、嫌いです。
ただ、わたくしめにできることは、少ない。感情だけで人が殺せるのなら、今回の人材選定で、多くの人間が死んだことでしょうに。
現実的には、彼の敵を殺す手段なんて持ち合わせていない。だから、心の奥底で恨むことしか、できないのです。
「せめて、少しでもレックス殿の傷が少なくて済むように。そう祈るばかりです」
わたくしにできる、数少ないことのひとつ。だから、真剣に祈るのです。レックス殿が、少しでも安らかで居られるように。
「わたくしめは、レックス殿の味方なのですよ。それを、覚えていてくださいね」
多くの醜い人達と違って。彼よりも悪だと思える人達とは違って。
レックス殿。どんな汚泥にまみれたとしても、あなたのそばに居ますからね。




