143話 信じ続ける誓い
今日は、ミュスカに部屋に呼ばれることになった。信じるとは決めたものの、ちょっとだけ怖い。
良くない考えだと分かっているのだが、いずれは俺を殺そうとするのではないかと、どこかで頭によぎるんだ。
だからといって、誘いを断るなんてありえない。そうしてしまえば、何よりも自分自身を裏切ることになる。ミュスカを信じると決めた自分を。
部屋でふたりの時間を過ごしていると、穏やかな空気が流れていると実感できる。ミュスカは柔らかい印象があるからな。
いつでも笑顔だし、人を肯定することが多いし、話していて楽しいのは事実だ。
「こうしてレックス君と一緒に過ごせると、とっても楽しいな。これからも、ずっと一緒に居たいよ」
安心しているような顔を見ていると、もっと信じたくなる。本当の友達になれるのなら、それが理想だ。今でも変わっていない考えだからな。
実際、ミュスカに死んでほしいとは思わない。仮に裏切られたとしても、死んで償えとは考えないだろうな。
ただ、悲しいだけだろう。これから先の未来で、笑い合うことができないのだと思えば。
だからこそ、心からの信頼関係を作りたい。ミュスカが俺を裏切らなくて済むように。それで幸せになってくれるように。
ミュスカだって、自分の幸福を捨ててまで、誰かを裏切りたいだなんて考えないだろう。そう思えば、彼女を本当に幸せにすることが、一番いい回答なんじゃないだろうか。
「そうか。好きにすれば良い。お前を拒絶する理由は、特にない」
「レックス君と仲良くできて、本当に幸せなんだ。あれ……?」
突然、ミュスカの頬を涙が伝う。笑顔だったのが、急に困惑したような顔になって、そして悲しそうな顔へと移り変わっていった。
本当に、自分でも理解できていないような顔だ。いったい、どうして?
「ミュスカ……? どうした、急に……? 涙なんて、お前らしく……」
「どうしてかなんて、簡単だよ。恋に決まってるじゃん! なんで分かってくれないの!?」
怒りを秘めたような、それでいて嘆くかのような顔をしている。俺をにらんでいるにも関わらず、その奥の瞳は、ただつらそうだ。
俺が、泣かせてしまったのだろうな。そう思いながらも、心のどこかで疑っている自分がいる。今の表情も涙もすべて、何らかの演技ではないのかと。
とりあえず、話を聞かないと。恋とは、どういうことだろうか。俺を好きになったとして、なぜ悲しいのだろうか。いや、答えは分かりきっている。考えたくないだけで。
「落ち着け。お前は何を考えている? 言葉にしなければ、分からない」
「何をって、レックス君はずっと私を信じてくれない! こんなに想っているのに!」
やはり、そうか。俺が疑っているのには、気づかれていたものな。信じるという決意も、形だけのもの。そういうことだよな。
「それは……」
「ねえ、命を助けてもらって好きになることの、何がおかしいの!?」
そう言われれば、間違っていないとしか返せない。まあ、助けたから惚れるほど、単純でもないだろうが。きっかけくらいには、なるだろう。
なのに、相手の好意を疑っている。それは、傷つけて当然の行動でしかない。分かっていたはずなのだがな。正しくは、理解できていなかったのだろう。
「確かに、おかしくはないが……」
「なら、信じてよ! キスすれば分かってくれる!? 裸になれば分かってくれるの!?」
叫ぶミュスカは、服に手をかける。本気なのだと、心から伝わる。流石に、止めないとまずい。
「よせ、ミュスカ。自分の価値を下げるようなマネは……」
「レックス君のせいでしょ!? 私、なにか悪いことでもした!?」
そうだ。ミュスカは悪事などおこなっていない。ただ、印象が悪いと言うだけで疑っていた。どれほど罪深い行為なのか。考えるまでもない。
「悪いことなど、何も……」
「だったらなんで!? 好きって言うことすら許されないの!?」
強い興奮が伝わってくる。言葉が終わると、息を荒らげている程度には。ミュスカの気持ちをないがしろにしていたのは、間違いのない事実だ。
俺は、反省するべきなのだろうな。相手が何も言わないことに、甘えすぎていた。
「お前の感情なんだから、お前の好きにすれば良い」
「そうだよね? なら、どうして疑うの? 私の感情は、想いは、許されないことなの?」
先程までの叫びがウソかのように、静かに詰め寄られている。だが、余計に怒りが伝わる。俺が悪いのだから、謝るしかないだろう。
「済まなかった。俺は、自分の感情を整理できていなかったようだ」
そう口にすると、うっすらと笑みを浮かべて、こちらをじっと見てきた。しばらく見つめ合って、満面の笑みへと変わった。涙の跡は、まだ残っているにしろ。
「なら、レックス君を好きで居ても良いよね。ずっと隣に居ても、構わないよね」
「ああ。俺はお前を信じる。そうさせてもらう」
そうだ。俺は信じるべきなんだ。どんな未来が待っているにしろ、ミュスカを最後まで信じ抜く。それだけだ。
もう、ミュスカの居ない未来なんて考えられない。分かっていて、疑うべきではない。何よりも、信じたい。傷つけたくない。その感情に従っていればいいんだ。
「ふふっ、ありがとう。レックス君なら分かってくれるって、信じていたよ」
「それなら、涙を流したりはしないだろうに……」
「演技だって、思わないんだね。やっぱり、レックス君は優しいね」
柔らかく微笑むミュスカを見ていると、正解を選べたのだと思える。そうだよな。ずっと今みたいな笑顔が見られるように。俺の努力は、その道であるべきだ。
「信じるって言ったばかりだろうに。まったく、仕方のないやつだ」
「私が苦しんでいるのを、嫌だと思ってくれたんだもん。だから、好きなんだよ」
「そうか。目の前で泣かれては、わずらわしいだけだったのだが」
「ウソだよね。レックス君が自分を偽る理由は、何なのかな? ちょっと、気になるかも」
やはり、気づかれていたのか。だが、言えない。ミュスカを巻き込んで、何も良いことなんてない。ブラック家の闇は、深いのだから。
だって、原作では、他者の命を捧げて、力を手に入れようとしていた家なのだから。
そもそも論として、暗殺を平気でおこなう家に関わらせたくない。ミュスカが敵対してしまえば、あるいは、なにか秘密を知ってしまえば。命が危ういのだから。
「俺の問題は、俺で解決する。あまり干渉してくるな」
「言えないなんて、信じていないの? ……なんてね。私にだって、隠し事はあるからね」
少し、ドキッとした。だが、楽しそうに笑うミュスカを見ていると、大丈夫だと思える。うん。すべての秘密を知りたいと思うことが、信頼ではない。
相手が何かを隠していたとして、それでも信じる。それが正しい道のはずだ。
「当たり前のことだろう。誰にだってあるものだ」
「そうだね。私だって、知られたくないことはあるよ。でも、レックス君になら、いずれは……」
その秘密を明かしてくれる瞬間を、楽しみに待っていよう。
「言いたくなったら言えばいいさ。俺だって同じようにするだけだ」
「そうだよね。これから先も、レックス君とはずっと一緒なんだから。あらためて、よろしくね?」
今度こそ、俺はミュスカを信じ抜いてみせる。目の前にある笑顔に、誓った。




