133話 フィリス・アクエリアスの懸念
私は、レックスの師匠になったことを、これまでの人生で最大の幸運だと思っている。
ただ、闇魔法使いだからという理由で、師の仕事を引き受けた。それだけだったなら、もっと弱い人間と出会うこともあっただろう。
例えば、ミュスカ。彼女だって、才能はある。だからといって、レックスには遠く及ばない。それは明らか。私が魅せられたのは、レックスの凄まじい才能だから。
それに、同性だったならば、交配はできない。レックスと私の子を作ることで、闇魔法を持ったハーフエルフの研究をすることはできない。
あらゆる意味で、天の配剤だったのだろう。レックスと私が出会えたことは、まさに運命という他ない。
私の指導を素直に受けてくれて、研鑽も欠かさない。素晴らしい限りだ。ただでさえ優れた才能を、さらに引き出しているのだから。
闇魔法使いは、才能に溺れることが多いと聞いた。その原因は、きっと決まっている。
「……邪神。レックスに、何か影響を及ぼすかもしれない存在」
アイクの最後の言葉によると、邪神がレックスに何かをするのだという。正確には、邪神の存在を知ったことで、アイクに続くということらしいが。
つまりは、邪の道に堕ちるということだろう。レックスが歪む可能性なんて、想像もしたくない。私にとって、かけがえのない存在なのだから。
だから、邪神について調べることにした。レックスがどうなるのか、知るために。そして、止めるための手段を探るために。
ある程度の結果は出た。どうにも、闇魔法使いが悪に堕ちるのには、邪神の影響がある様子。もともと、悪人が闇に選ばれやすいとはいえ。
「……誘惑。それに負けると、意識を奪われる」
ある程度、闇魔法使いの欲求が高まると、邪神の声が聞こえるのだという。力を求めろと。自分を求めろと。そうなった先に、邪神によって支配される未来が待っている。
「……確認。レックスが、邪神の影響を受けるのか、調べないと」
絶対に、レックスが邪神に支配される展開は避けなくてはならない。そのためには、現状を確認するのが大切だろう。
邪神は、人の欲望を利用する。邪な心の、その隙間に入り込んで。だったら、レックスならば大丈夫だと思いたい。ただ、どんな人にも、魔が差すということはある。それに、レックスだって持っているであろう感情が鍵なのだから。
「……欲望。力を求めて、誘惑に負ける。それがきっかけ」
闇魔法の根源である邪神から、力を引き出すことによって。その力を通して、邪神が支配することによって。闇魔法使いは堕ちる。ただの悪と成り果てて、暴走して、やがて破滅する。
そんな未来は許せない。だからこそ、レックスが誘惑に負けないか、知るべきである。そう結論付けた。
「……戦闘。それで追い詰めたら、結果は分かる」
ということで、レックスと戦うことにした。もちろん、全力で。レックスが、力を求めるだろうくらいに。
結果としては、レックスはさらなる力を身に着けた。だけど、邪神の声を聞いた様子もない。当然、影響を受けることも。
一安心したし、嬉しくもあった。レックスが、私を超えるほどの魔法を使ったことは。闇魔法の可能性を、強く引き出してくれた。私が見たことのない魔法を、見せてくれた。
やはり、レックスは最高だ。そう思える。出会えて良かった。尊敬してくれることは、今でも伝わる。それが心地よいと感じるのは、レックスだから。
「……結論。レックスは問題ない。というか、判断は失敗だった」
結果論としては、正しい。レックスは新たな力を手に入れたし、迷いも振り切った。それでも、正しい判断だったとは言えない。
「……失点。邪神の誘惑があった時の対処を、用意していなかった」
もし邪神の影響があったのなら、私は何もできなかった。そんな事も考えられないなんて、愚かと言うしかない。
私は、どう考えても冷静さを失っていた。最悪の事態に、備えきれていなかったのだから。レックスが闇に堕ちたのなら、全てが終わりだったのに。
「……焦り。それが原因。私のレックスを、邪神に奪われるかもしれなかった」
本当に、怖かった。レックスを失うかもしれないことは。私の望む未来を、奪われるかもしれないことは。
だからといって、間違った判断でレックスに悪影響があったなら、最悪だった。もっと、慎重に行動するべきだった。
ただ、反省しすぎても仕方がない。結果論ではあるが、レックスは無事だったのだから。あまつさえ、私に勝ってくれたのだから。
私の魔力を奪って、制御もして、自分の魔力と組み合わせる。素晴らしいことだ。あの魔法を見た瞬間、私は絶頂していたのかもしれない。
「……歓喜。レックスは、もっと強くなれる。私の見たことない景色を、見せてくれる」
おそらくは、レックスと一緒にいる限り。だから、ずっと傍に居る。その未来は、誰にも邪魔させない。
「……懸念。何があっても、邪神にレックスを奪わせたりしない」
レックスを失ってしまえば、私の人生に意味なんてなくなってしまう。私を慕ってくれて、新たな景色を見せてくれて、共に生きてくれる相手を失ったのならば。
そんな未来を否定するためにならば、私は何でもする。そう考えた時に、頭に思い浮かんだものがあった。
「……支配。レックスがいなくなるくらいなら、私のものにする」
そう。邪神に奪われる前に、レックスのすべてを奪う。魔法も、人格も、体も、そのすべてを。手段は、頭の中にあった。
「……禁術。誰かを取り込んで、そのすべてを私の一部にするもの」
つまり、レックスを、私に取り込む。身も心も、魔法も、私の中に。そうすれば、私は闇魔法を使えるし、レックスと話せるし、ずっと一緒にいられる。
「……まだ。今は、必要ない。でも、最悪の結果になるくらいなら」
そう。レックスを、邪神が誘惑する。その兆候があったのならば、すぐにでもレックスに禁術を使う必要がある。私の子宮に取り込んで、ひとつになる禁忌を。
「……研究。禁術を使えるように、資料を探さないと」
今は、存在を知っているだけ。だから、使い方までたどり着く必要がある。そうなったならば、私はいつでも、レックスのすべてを手に入れることができる。
「……喜悦。レックスが私の一部になる。それはきっと幸せ」
想像しただけで、胸が高鳴る。禁術を改変したならば、レックスを別の形で生み直すこともできるかもしれない。それも、素晴らしい未来だろう。
いずれにせよ、レックスのすべてを奪う。それはとても甘美に思えた。どんな蜜よりも、甘さを味わえる。そう確信できた。
「……我慢。私は、レックスと話したい。成長を、見ていたい」
そう。レックスを取り込むことは、レックスの可能性を奪うこと。そうでないのならば、禁術が使えるようになってすぐにでも、私は実行していただろう。
だって、レックスと溶け合うなんて、想像するだけで達してしまいそうなのだから。だけど、もっと大切なこともある。だから、耐えるべき。
ただ、絶対に譲れないことはある。
「……願望。レックスが、誰かに奪われないこと。それだけでいい」
私とレックスが共に過ごす未来を、妨害するもの。そんな存在は、消してしまえば良い。私ならば、造作もないこと。人だろうと、エルフだろうと、従事んだろうと、神だろうと。
レックス。私達は、永遠に一緒。もし、レックスの命が失われる瞬間が来るのなら。寿命でも、戦いでも。その時は、絶対にひとつになる。
とても、楽しみ。




