115話 モニカ・エーデル・ブラックの執着
わたくしは、誰よりも美しくなりたかった。若々しく居たかった。それは、女と生まれたからには、普通の感情だと考えていたわ。
だけど、わたくしの思いを異常だと否定する人ばかり。その状況は、確実にわたくしを追い詰めていた。異様な若作りだと言われたり、情熱がおかしいと言われたり、魔女だ何だと言われたり。
わたくしは、ただ努力を重ねていただけなのに。当たり前のように、わたくしよりも美人で居るエルフは、何も言われていなかったのに。
いま思えば、つまらない嫉妬だったのでしょう。誰もわたくしを認めてくれないのに、普通の顔をして生きているエルフ達に対する。
そんな感情を持ったところで、何も解決しないことは理解していて、だからといって納得はできなかった。
だから、わたくしは苦しんでいたのでしょう。わたくしを本当の意味で大切に思ってくれる人なんて、どこにも居なかったから。
夫だって、家どうしの関係で結婚しただけ。わたくしを、ヴァイオレット家の血だけで見る人間だった。貴族としては、間違っていなかったのでしょうが。
なにせ、魔法には血筋の影響が大きい。貴族を貴族たらしめる力を大切にするのは、真っ当と言ってもおかしくはない。
その事実が、わたくしの心をなぐさめてくれなかっただけで。結局のところ、わたくしは孤独にさいなまれていた。
だから、感情が暴走しそうになる瞬間もあったわ。その心を癒やしてくれたのが、レックスちゃん。
「レックスちゃんは、わたくしの気持ちを、理解してくれていますわ。キレイになりたいという、当たり前の感情を」
わたくしが、どれほどの気持ちで美にこだわっていたのか、きっと誰にも理解できない。そう考えていたのです。ですが、違った。ただひとりだけ、理解者が現れたのです。
探し続けて、見つからなかった存在。それは、わたくしの息子だった。人生をかけた熱量を、理解してくれる人。わたくしが、求めて仕方なかった人。
「そうじゃなければ、美容魔法なんてもの、生み出さないはずですもの」
レックスちゃんが生み出した、肌を若返らせる魔法。そんなもの、どこを探しても見つからなかった。つまり、自分で考えて、努力して、レックスちゃんの思いを重ね合わせて生まれたものなのでしょう。
「あの魔法は、どう考えても、わたくしのためだけのもの。つまり、レックスちゃんは、わたくしを……」
わたくしが美を求めていると知って、だからこそ作ろうとしてくれた。それは、疑う理由がないのです。だって、他の目的に流用できる魔法ではないのですから。
それって、どれほどの思いがあるかなんて、語るまでもないことじゃありませんか? だって、ただわたくし一人だけのためだけに、時間をかけて魔法を作り出したのですから。
他の誰かにだって、使えはするのでしょう。ただ、わたくしほど喜ぶ人なんて、きっと居ない。美しさを喜ぶ心は、誰にでもある。それでも、わたくしほどに努力を重ねた人間も、同じくらいこだわっている人間も、見ることすらなかったのですから。
つまり、わたくしを大切にしてくれている。それが、全てだったのです。わたくしが歓喜にひたるための。生きる希望を持つための。誰かを愛するための。
「思うに、わたくし自身を見てくれる方は、これまで居なかったのです」
どこに行っても、ヴァイオレット家の娘としてしか扱われなかった。いえ、貴族としては当然のことなのです。ですが、わたくしの心は満たされなかった。楽しみも、喜びも、それらしいものを知ることはなかったのです。
それを変えたのが、レックスちゃん。わたくしの、ただひとり愛する息子。いえ、これまで愛していたかと問われれば、違うのでしょうが。
きっかけは、もはや言うまでもないことです。彼だけが、わたくしの理解者で、大事にしてくれる人で、暖かく受け入れてくれる人だったのです。
「だからこそ、レックスちゃんだけは離したくない。ずっと、わたくしのそばに居てほしい」
そんな気持ちが生まれるのは、自然な流れだったのでしょう。なにせ、触れ合って嬉しい存在は、たったひとり。レックスちゃんだけ。そんな相手を失いたくないという気持ちが、離れたくないという思いが、間違いであるはずがない。
わたくしは、レックスちゃんを手に入れる。それだけが、望みだと言ってもいいのです。
「そのためならば、何を失ってでも。たとえ、美しさだとしても」
かつてのわたくしが聞いたのならば、喜ぶでしょうか。鼻で笑うでしょうか。信じないでしょうか。どれでも、あり得そうな気がします。間違いなく言える事実として、わたくしは変わった。
今のわたくしにとって、何よりも優先すべきものは、ただレックスちゃんだけ。他の全ては、捨て去っても良いもの。それだけなのです。
「だって、レックスちゃんだけなんですもの。ただのモニカを、愛してくれる人は」
他の人は、何かを通してわたくしを見る。ヴァイオレット家の娘。ブラック家の妻。三属性の魔法使い。それらの混ざった目は、とても気持ち悪いものでしたから。
それでも、仕方のないことだと諦めていた。そんな瞬間に生まれた希望は、確かにわたくしを変えたのです。何を優先すべきかも、誰を愛するべきかも。
ただ、悲しいというか、苦しいというか、残念なこともある。それは、否定のできない事実だったのでしょう。
「ジェームズさんじゃなくて、レックスちゃんが当主だったのなら……なんて、そんな可能性は、あり得ませんわよね」
それならば、レックスちゃんと結ばれることができた。婚約者として、ヴァイオレット家とブラック家の繋がりのための結びつきで。
ただ、わたくしが居たから、レックスちゃんは生まれた。その事実がある限り、もしもとしても考えにくい可能性でしか無いのです。
「フェリシアちゃんが羨ましいわ。ただの幼馴染として、レックスちゃんと仲良くできるんですもの」
同じヴァイオレット家の人間なのに、何もかもが違う。レックスちゃんに大切にされているフェリシアちゃんと、ただの道具として扱われるわたくし。
醜い嫉妬をしてしまいそうで、必死で抑えていましたけれど。レックスちゃんは、フェリシアちゃんを大切に考えている。それは、見ているだけで分かりましたから。
だから、フェリシアちゃんと敵対してしまえば、レックスちゃんは遠ざかってしまうかもしれない。それが、とても恐ろしかったのです。
「同じ年のレックスちゃんと出会えていれば、わたくしは、どれほど幸福だったか……」
わたくしを理解してくれて、支えてくれて、大切にしてくれる。そんな相手が幼馴染なんて、どれほどの幸せか。考えるまでもないでしょう。
想像しても無駄だと分かっていても、つい頭に思い描いてしまう。愚かではあるのでしょう。ただ、空想は確かに幸福を運んでくれる部分もあったわ。
でも、どうしても現実を思い知らされてしまう。結ばれられない運命を。出会えなかった宿命を。
「ただ、今のわたくしも、レックスちゃんのそばには居られるわ」
それだけは、確かなこと。これからも変わらない事実。わたくしの、大きな支え。幸福。運命。
「恋人にも夫婦にもなれないのは、悲しいことですわ。ですが、確かな希望もあるのです」
親子という関係は、絶対に切れないもの。他の誰かは、望んでも得られない関係。苦しさがあったとしても、失いたくないもの。
「せめて今は、母と子の関係を、最大限に楽しむといたしましょうか」
ですから、ずっと一緒にいましょうね? これから先も、途切れないように。
わたくしから離れようとしたならば、わたくしが何をするかなんて、分かりませんからね?




