100話 隠すべき心
恐れられることが怖い。正確には、親しい人に恐れられることが。他人なら、苦しいにしろ耐えられる。だが、仮に王女姉妹や、学校もどきの人達や、兄弟、他の知り合いに恐れられてしまえば、耐えられる気がしない。
だからといって、強くなることが怖くなったからといって、努力は止められない。俺が弱いから、親しい人を守れない流れがあったら、それこそ自分が許せない。恐れられることなんかより、よほど怖い。
努力を続けることは決めていたし、実際に動いている。だが、心のどこかに恐怖がよぎる瞬間が、時々あるんだ。この恐怖を振り払える時は、いつになるのだろうな。
先の見えない暗闇に向けて歩いているような感覚がある。そもそも、俺の進んでいる方向は正しいのだろうか。そんな不安もある。だが、立ち止まることはできない。進み続けないと、俺は何もできないのだから。
みんなを守るために、どこまでもする。そう誓ったはずだ。人を殺してでも、恐れられてでも、絶対に脅威を打ち破ってみせる。それだけが、俺の生きる意味なんだから。
この世界に生まれ変わったのは、きっとみんなを支えるため。そう信じて、前を向く。それで良いはずなんだ。
ただ、胸の陰りは消えないな。時間が解決することだと信じるしかない。俺の手には、多くのものが乗っているのだから。俺の責任は、小さなことで立ち止まって良いものじゃないんだから。
ということで、ひとりで訓練を続けていく。すると、誰かが近寄ってくる雰囲気があった。
「レックス君、何かあったかな? やっぱり、様子が変だよ。私になら、何でも言ってくれて大丈夫だからね」
セルフィは、みんなの頼れる先輩というイメージだ。だから、俺なんかに時間を費やすこともないと思うが。まあ、俺が苦しんでいるのは本当だから、心配させてしまったのだろう。
やはり、俺は演技が下手すぎるようだ。これでは、父をごまかせていたのか怪しい。仮に騙せていないのなら、なぜ俺は殺されていないのか、疑問も浮かぶが。
とはいえ、セルフィに悩みを話してもな。みんなから恐れられるのが怖いとか、信用していない証のようなものじゃないか。
「やっぱり、バカ弟だわ。自分ひとりで何でもできるつもりなら、あんたには無理よ」
こうして、カミラもそばに居るのだから。余計に言えない。演技を抜きにしても。
「俺には何の問題もない。それよりも、他のやつらは良いのか? 苦しんでいる人間なんて、探せばいくらでも見つかるだろうさ」
実際、そうなんだよな。俺ひとりが不幸だなんて、あり得ない。というか、俺の身近な存在だけでも、リーナとか、ジュリアやシュテルにサラとか、ラナとかがいる。
みんな、誰かから見捨てられたり、雑に扱われたりしていたんだ。それを考えたら、ただ恐れられるだけのことなんて、小さな悩みのはずなんだ。
「ありがちなんだけど、勉強しないで勉強できないって悩んでる人に、なにかする気はないよ」
「流石に、当然だな。自立できない人間を助けたところで、感謝などされないだろうさ」
そうなったら、セルフィだって苦しいだろう。善意を雑に扱われるのは、俺だって嫌だ。というか、嬉しい人なんていないだろう。そう考えると、俺の行動も、あまり好ましい物ではないんだろうな。
「別に、感謝を求めている訳ではないんだけどね。でも、意味はないから」
「ふん、つまらない偽善じゃないの。あんたの助けなんて、誰も求めてないわよ」
「そうかもしれないね。でも、レックス君を助けたい気持ちだけは、本物だよ」
きっと、俺の知るセルフィなら、本心から言っているだろう。だからこそ、言えるのならば言ってしまいたいが。それはそれで、傷つけかねない。巻き込みかねない。難しい問題なんだ。
「だからといって、俺は何も言うつもりはない」
「その言葉こそが、君が悩んでいる証なんだよ。だから、私はいつでも良いからね」
「……確かにね。バカ弟、あまり抱え込むんじゃないわよ。いくらバカでも、あんたはあたしの家族なんだから」
やはり、カミラだって俺を大切にしてくれている。だからこそ、絶対に守りたいんだ。嫌われたくないんだ。恐れられたくないんだ。特に、カミラは一瞬とはいえ、俺を恐れた瞬間があったからな。
その恐怖を克服した人だと知っていても、嫌な想像をしてしまう。カミラの言う、俺は誰も信用していないという言葉、本当だったのかもしれないな。
「別に、私が信用できないなら、他の人でも良いんだよ。カミラさんとかね。とにかく、レックス君が元気になるのが大切なんだ」
「フェリシアあたり、ちょうど良いんじゃないの? あいつなら、案外ちゃんとするでしょ」
「その人でも、他の人でもいいから、自分ひとりで悩まないでね。君の味方は、ここにも居るし、きっと他にも居るから」
本当に、優しい人だ。つい、すがりたくなってしまいそうなくらいには。だけど、俺は俺の足で立っていないと。これから先、何度も決断しないといけないはずなのだから。
少なくとも、いずれブラック家とは決別する瞬間が来るはずだ。その時に、誰を選ぶのか。迷いはあるが、自分の手で決めるしかない。カミラやメアリ、ジャンと敵対する可能性を、どう考えるのか。
その判断を人に託した時点で、俺は人間として終わってしまうのだから。きっと、甘えられる人には、際限なく甘えてしまう。それは、自分でも分かる気がするんだ。
「別に、俺は悩んではいない。気の回し過ぎだぞ、セルフィ」
「それが本心なら、それはそれで良いんだ。レックス君が元気な証だからね」
「このバカは、あたし達を信用していないんでしょうよ。まあ、セルフィは当たり前だけど、あたしもよ?」
「姉さんは信じている。それは、理解してほしい」
なんて、どの口で言うのだろうな。つい言葉になってしまったが、姉さんはって。セルフィは信じていないとでもいうのか? それに、俺が言えたセリフじゃない。カミラから恐れられることへの恐怖を捨てられない俺には。
「私は、まだ出会ったばかりだからね。ゆっくり信用してくれれば良いよ。そして、君の心からの味方だと、理解してくれれば」
「セルフィのやつ、きっと本心よ。気味の悪いことよね」
「好きにしろ。お前がどう行動しようが、俺は変わりはしない」
本音ではないな。きっと、嫌われてしまえば傷つくし、見捨てられたら嘆くだろう。そう分かっていて今のセリフを言うのだから、すでに甘えているのかもしれないな。
「うん、好きにさせてもらうよ。君は、きっと迷惑だと思っていないって、信じているからね」
「このバカ弟が、素直に受け入れるとは思わないけどね」
「同感だよ。レックス君は、本心を隠してしまう人。それは、見ていれば分かるからね」
間違いなく、正しい。本音を言えない事情はあるのだが、それでも。俺は、結局のところ、誰かに支えられすぎている。もっと、ひとりで生きる力がほしい。心を強く持っていたい。
俺は最強なんだから、誰かに助けられるなんて、大問題なんだ。みんなを助ける側で居るのが、あるべき姿だろう。
「知ったような口を。まあ、一度言ったことだ。好きにすればいいさ」
「うん。ねえ、甘えたくなったら、いつでも呼んでね。私は、君を支えたい。その気持ちは、本物だから」
その言葉に甘えられたら、どれだけ楽だろうか。思い浮かんだ誘惑は、とても魅力的だった。