第四話 同じ顔
「ごめん、乃位くん」紬がお茶パックを挟みながら手を合わせる。「看護師さんとしゃべってたら楽しくてさー、時間がどんどんすぎちゃった。ほんとにごめんね!」
急いでお茶入れるね、と紬がお湯を沸かし始める。
それを見ながら楓苑はなんとなく、怒っても仕方がない気がしてきてそっぽを向いた。
「…いいよ、別に。こっちも師匠と話すことがあったから」
気まずい、と楓苑が心の中でつぶやく。
そんな楓苑の様子を横で見ながら、玲はニヤニヤと笑っていた。
「いいなあ、青春じゃねえか」
コソコソと楓苑の耳にささやいて玲が言う。
「…」
黙って楓苑は左足で玲の右足を踏んづけた。
「いってえ!」
下靴で素足を踏んづけられた玲が悲鳴をあげる。
「お茶淹れたよ~」
どうぞーと紬が楓苑と玲に湯呑みを配る。
ありがとうと受け取ると、湯呑みはほんのり温かくて、白い湯気に視界が包まれた。
一口飲む。
少し薄いけれど、ちゃんとした茶葉の味がした。
「波多江さん。こんにちは!調査隊第一小隊付属の研究員、御法川紬と言います」
右手を差し出しながら紬が玲に挨拶をする。
「おー、よろしくなー綺麗な人類の救世主ちゃん。嬢ちゃんのことはさっきこいつから聞いたわ。改めて、波多江玲だ」
玲がにかっと笑って紬の手を取る。
「えーそうなんですか?」
うれしー!と黄色い声を上げながら紬が喜ぶ。
二人の様子を見るに、かなり馬が合うようだ。
「・・・」
すぐに打ち解けた二人をよそに楓苑はなんとなく自分の存在の薄さを感じていた。
*
二人の楽しい会話は一時間経っても続いていた。楓苑はそれに混ざることはなく、ひとりで窓辺に座ってお茶を飲んでいた。することがないのだ。
ぼぅっと楓苑が外を眺めていると、一人の人影が病院の前を歩いているのを見つけた。人だった。その彼か彼女は身長が高く、黒いフード付きマントを深くかぶっていて、横から長い黒髪が流れている。そして、背中にはなにか大きな棒状のものを背負っていた。
この時間にここら辺を人が歩くのはとても珍しい。誰だろう。
なんとなく不審に思った楓苑はしばらくそのひとを見ていた。
二分も経たないうちにそのひとはふとこちら側をふり向いた。露になった顔に楓苑は思わず背筋に悪寒が走るのを感じた。
そのひとは男だった。
そして、顔が美しかった。しかし、それは人外な美しさだった。
目が合って、男はゆったりと楓苑に微笑んだ。
冷たい微笑みだ。心がないような。
そして、楓苑を見ながら男は口を開けた。
「少し話しませんか」
そう楓苑には聞こえた。いや、聞こえないはずだ。窓は締め切っていて、何しろここは病院の一番上、地上十階なのだから。
思えば、楓苑が男の顔を確認できたことも不思議だった。
しかし、そんなことは今の楓苑にはどうでもよかった。
楓苑は引き付けられるようにして、椅子から立ち上がり、病室を出た。
紬と玲にはトイレに行くと伝えておいた。
*
階段を下りて玄関を出ると、その男はいた。
楓苑を見て、ゆったりと微笑んでいた。
近くで見れば、なんだか彼そのものが夢のように感じられた。
そして、背負っている物は武器にしか見えなかった。
「こんにちは、楓苑」
先ほど聞いた声と同じ、よく通る声だった。
「こんにちは、誰ですか」
楓苑は男の目を見て言った。
「そうですね、ロイとでも呼んでください」
もちろん仮名です。と説明を加えた。
「なぜあなたは僕を知っているのでしょうか」
「何かの縁でしょう。それより、本題に入りませんか。あなたと話したいことがあるので。」
ロイは楓苑を見た。
楓苑もロイを見た。
「…そうですね、本題に入りましょう。」
「はい。では改めて、エーリュシオン代表のロイです。端的に伝えると、私はあなたの両親の居場所を知っています。」
「⁉」
楓苑は驚きのあまり、何も言えなかった。手が震えて、口が乾いてくる。
言葉を何度も反芻しても、実感がわかない。
しばらく時間がたって、やっと楓苑は口を開いた。
「どこにいる?」
「残念ながら、それはまだ教えることができません。私はあなたと取引するために来たので。知りたいのならば、代わりにこちらの条件も飲んで頂く必要があります。」
なるほど、と楓苑は考える。
無論取引に応じるのなら先に条件を詳しく知る必要があるが、現状ロイことは信じ切れていない。また、自分のことをよく知られているのだ。初対面の男がそんなのならば怪しく思うほかない。
しかし、もしロイの言葉が本当なら、わざわざハコに自分の足で行って危険を犯す必要もなくなる。
ようやく決心がついて、楓苑が言葉を発そうと口を開ける。
しかし、
「乃位くん!」
見れば紬が顔を青くして楓苑とロイのもとへ走って来ていた。
「…今日はお暇させていただきます。楓苑、返事はまた今度聞きましょう。」
そう聞こえて楓苑がロイのほうを振り向くと、もうそこには誰もおらず深い闇が漂っていた。
「ねえ、大丈夫⁉」
肩を揺さぶられて楓苑が初めて紬が前にいることに気づく。
「あぁ、うん。」
「乃位くんトイレ遅いから心配して様子を見に来たら知らない男の人と話してるからびっくりしたよ。ってあれ?さっきの男の人どこにもいない。」
紬が驚いて辺りを見回す。
「なんでもない。人違いだったみたいだ」
「そっか。ならいいんだ。もう行こう。早く帰らないと玲さんもっと怒っちゃうから。」
駆け足で紬が病院に戻っていく。
いつの間にか呼び方が玲さんになっていることに違和感を感じながら楓苑は頷いて紬の後に続いた。
*
「おう、遅かったな楓苑。なんか俺に言うことあんだろ?」
「遅くなり申し訳ございません。」
ぺこりと九十度腰を曲げて楓苑が謝る。
「ほんと真面目だな、お前。」
痛いものでも見るかのように玲が楓苑を見る。
解せぬ。
「まあいいや。お前ら早めに帰れよ。今日は満月だからな。ハコが来る。」
玲が空に浮かぶ月を見ながら言う。
今は夜の八時。ハコがいつ来てもおかしくはない時間帯だ。
とは言っても、ハコは地球のどこかに月一出現するので、必ずしもこの国に来るとは限らない。
それに、この街にはすでに一つ、十五年前初めて出現したものがある。二つ目だなんて、宝くじを当てるぐらい珍しいものだ。
「それでは、師匠もお気を付けて。」
「あと楓苑。」
「はい。」
病室を出て楓苑が帰ろうとすると、玲に呼び止められた。
既に紬の姿は見えなくなっていた。
「これ持ってけ。」
玲がピラッと一枚の紙を楓苑に渡す。
その紙を裏返してみて、楓苑は目を見張った。
「これは…」
「お前の両親の写真だよ。」
その写真には成人の男と女が、女のお腹に手を当てて微笑んでいる様子が写っていた。
「裏に名前書いてるだろ」
そう玲に言われて楓苑が写真を裏返すと、そこには「乃位春樹、乃位亜里沙」と油性で書かれていた。
「やるよ。楓苑は二人の顔を見るの初めてだろ。今度の調査にお守りとしてでも持ってけ。じゃあな、楓苑。」
玲がフリフリと手を振る。
楓苑がドアに手をかけると、玲のほうを振り向いた。
「…ありがとうございます、師匠。」
ニッと玲が笑う。
「おう」
*
「ん、その写真なあに?玲さんにもらったの?」
病院からの帰り道、楓苑が持っている写真を見て紬が尋ねる。
「うん。…僕の両親の写真。」
「まじで?みしてみして。」紬が写真を覗き込む。「わわっ!」
紬は春樹と亜里沙の写真を見て、驚きを隠せない様子だった。
「何?」
「いや…」紬がうつむく。「ほんとに乃位くんの両親?美形すぎない?」
「…」楓苑が白けた表情で紬を見る。「あ、そう。」
「え、これもらっていい?」
「いいわけないでしょ。」
即答されて紬が頬を膨らませる。
「…」
紬がなにやら話している間も楓苑はじっと春樹の顔を見ていた。
髪型や服装は違えど、さっき会ったロイにそっくりの顔だった。
双子?いや、もう親類はいないはず。
あれが本当に父さんだとしたら、僕のことを知っていて当然なのかもしれない。そうだとしても、あの表情から家族としての温かみは感じられなかった。
溜まったため息を吐くと、スマホが振動し始めた。赤尾からの電話だった。
「もしもし、乃位です。」
「楓苑、無事か。今どこにいる」
赤尾の焦った声が電話越しに伝わってくるのが分かった。
また、電話にはたくさんの人の声が雑音と共に聞こえてきた。
「日本調査部隊附属病院の近くです。只今から調査隊本部に戻る予定です。御法川研究員と同行していますが、二人とも無事です。」
「そうか、ならよかった。では、今から急いで調査隊研究施設に来い。三十メートル級のハコが出現した。詳細は来てから伝える。」
「なっ!わかりました。御法川研究員にも伝えて急いでそちらに向かいます。」
「ハコのメモリー~無名の調査隊員とその記録~」第四話を最後まで読んでくださってありがとうございます!
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