第三話 病室の英雄
5分ほど歩いて楓苑と紬がたどり着いたそこは、調査部隊本部の近くにある何かの施設だった。大きな玄関を持つ十階建てほどの白い壁が月明りを反射し、微かに光っている。いくつかの窓にはカーテンが閉められていて中の様子はうかがえないが、カーテンが開いている窓からは僅かに明かりが漏れていた。
「えっと、病院?」
その建物の玄関前に立つ紬が楓苑に聞く。
「うん。君も聞いたことがあると思うけど、ここは日本調査部隊付属病院だ。」
別名、ハコ病院。ハコの病気に罹る患者を治療する病棟がある病院である。基本的には調査部隊の隊員が、所属中にケガや病気になったときに治療や入院をするところだが、この病院には外国で調査部隊に参加した調査隊員の中で、ハコの病気に罹ってしまった者が入院する専用の病棟がある。
時々楓苑はこの病院に来ているが、何しろこの施設は一見普通の雑木林だと思ってしまうほど草むらと木に囲まれているため、慣れている者でも時折迷ってしまうのだ。また、社会では存在さえ忘れられてしまうほど、ひっそりと静かにただ佇んでいるので、人気が常にない。
「あー、研究員の友達から聞いたことあるかも。もしかして、乃位くんの知り合いがあの病棟に入院してるの?」
「そんなところ。」
それだけ答えて、楓苑は中に入った。
*
一番上の階に上り、楓苑が一つの病室に入る。紬は少し遅れて閉じかけた引き戸を急いで支えながらから入った。
部屋の中は一人用の病室で、机の上にある本以外に私物らしいものはなく、窓際に置かれた花瓶に一輪の花が外の光できれいに反射していた。
「…寝てる。」
ボソッとベッドを見た楓苑が呟く。その声に花を見ていた紬が反応して振り向いた。
「ええっ!」
ベッドに寝ている男を見て思わず大きな声を出した紬がはっと口を噤む。
呼吸を整えた後、ひそひそと楓苑に顔を近づけた。
「この男の人ってあの英雄の波多江玲?」
「うん。」
そうだよ、と言いながら
紬が驚くのも無理はない。日本人で初めて調査隊に参加し、幾つものハコの調査を生きて帰ってきた英雄、波多江玲。その男が今、目の前のベッドに眠っているのだ。
若くして引退した英雄がこの病院にいる理由は一つ。
「彼は前回のアメリカのハコ調査で例の病気に罹って引退した。それで今はこの病院で治療中。」
紬の目が大きく見開かれる。
「じゃあ波多江さんは今何ステージ?」
「あまり時間は経ってないから、ステージⅡだったと思う。」
ハコの病気は、5つのステージに分けられており、ステージⅠ~ステージⅤまである。ステージⅠの症状はほとんど出てこないが、ステージⅤにもなると、寝たきりから動けず、五感が消えていってしまうほど重い病気になる。時間が経てば経つほど死に近づいていく。
「ステージⅡならまだ大丈夫だね。それにしても、マジで本物だ。はじめて見た。」
しげしげと玲の顔を見て紬が呟く。
楓苑は勝手にしろと言わんばかりに
「あ、私お茶淹れるね。乃位くん何がいい?」
「なんでもいい。」椅子に座る楓苑が少し俯く。「あのさ、…意外だった」
「ん、私もお茶ぐらいは淹れるよ?」
コップを取り出しながら紬が言う。
「いや、そういうことじゃなくてさ、…君は、僕達調査隊員を軽く見ているっていうか、馬鹿にしていると思っていたんだ。」
ギュッと握った手に力を籠める。
それは楓苑が紬に抱く完全な偏見だった。
彼女は怒るだろうか。僕は怒られて当然のことを言った。
楓苑はじっと紬の言葉を待った。
パタパタと音を立てながら踊り舞うようにカーテンがはためく。
「えー、私そんなこと思われてたんだね。まあ、無理もないか。だから私乃位くんと合わないのかなーって感じてたのかあ。」
わざとだろうか、紬は手を上げてオーバーリアクションをした。
「…悪いと思ってるよ。」
「あはは、べつに気にしてないよ~もー。乃位くん堅苦しんだから」からからと紬が笑う。「あ、お茶っ葉ないや。私看護師さんに新しいの貰ってくるね」
じゃ、と駆け足で病室を出ていく彼女を楓苑は黙って見送った。
彼女が考えていることは全く分からない。しかし、なんだか少しだけ、紬と自分の関係が軽くなった気がした。
「かわいい嬢ちゃんだな。」
不意に横から声がかかり、楓苑は驚いてベットを振り向いた。
「…起きてたんですか、師匠」
「まーな」
顔の上に点滴をつけた右腕をかざして、玲が返す。
「盗み聞きはやめてください。それに、しっかり寝ないとまた病気が悪化しますよ」
少し顔をしかめて楓苑が咎めるが、玲は同じくしかめっ面で返した。
「るっせー。俺の部屋だ。好きにさせろ。」
そう言いながら玲はゆっくり起き上がり、楓苑が綺麗に片付けた本から一番上のものを取った。アメリカのハコ調査について書かれた本だった。
そんな本を読む人だったか?
楓苑の頭にふと疑問が頭をよぎるが、考える間もなく玲が口を開けた。
「そういやお前がガールフレンドを連れるなんてめずらしいなぁ」
ケラケラと茶化すように玲が言う。
その言葉に楓苑の少しのしかめ面がしかめっ面に変わった。
「誤解しないでください。」苦々しく楓苑が言う。「彼女はアレでもあの例のデテニィを開発した研究員なんです。研究の資料集めということで特別に連れてきただけです。」
半分ぐらいは嘘なのだろうが、真実を玲に伝えるよりはましだと思った結果だった。
「へえ、あのちんちくりん嬢ちゃんが、高名な研究員様ねぇ。」
なるほどなーと玲が本をペラペラとめくり始めたが、ふとその手を止めた。
「あの嬢ちゃん、お前と同い年だろ」
ニヤッと笑って玲が言う。
「…ええ、まあ」
なんでわかるんだよ、と思いながらも楓苑は肯定する。
一方の玲は顎に手を添え、目を細めて楓苑を見やった。
「あー、お前今なんでわかったとか思っただろ」
図星。
「おいおい、お師匠様なめんな。何年お前の親代わりやってると思ってる」
「はいはい、一五年です。」
窓を閉めながらそっけなく楓苑が答える。
「ったく、俺は可愛げのない弟子を持ったなあ」
「同感です」
「自分で言うか」
突っ込まれた。
返すのも面倒なので、花瓶に入れる水の音で聞こえないふりをした。
「来週からハコの調査が始まるらしいな」
「はい」
そういえば、まだ師匠には言ってなかったな。花の向きを整えながら楓苑は思い出す。
「あと、お前の第一小隊が前線に配属されたらしいな」
「何で知ってるんですか」
「さあな」
玲がプイッとそっぽを向く。
「…赤尾大隊長ですか」
「何も言わん」
ムッと玲が顔をしかめながら答える。
確定だ、と楓苑は確信した。赤尾大隊長もいくら英雄で、元同僚だとしても調査隊内の情報を流すのはどうか思う。
「そうですか。とにかく前線に配属されてよかったです。」
「正気か、お前」
「正気です」
信じられないものでも見るかのような目で玲が見るのに対し、楓苑は平然としていた。
「俺が参加したアメリカの調査隊では前線で戦った奴らはほとんどふるさとの土を踏まずに還ったぞ。」
思い出したくなかったのか、玲の眉間にしわが寄った。
「関係ありません。僕は両親を探します。」
はっきりと楓苑は返す。
一五年前、僕と一緒にハコに飲み込まれた両親。二人を探す、それだけのためにこれまで勉強や日々の訓練を重ねてきた。
やっと両親を探しに僕は行けるのだ。迷いなどはなかった。
「…俺がお前を見つけた時、お前の産着は赤く染まっていた。」
「師匠、それ何回も聞きました。僕は遺体でも遺言でもなんで探します。前線じゃないと自由には探せませんから。」
それが両親のだって、分かったわけでもないじゃないですか。と楓苑が微かに笑う。
…そういえば御法川さん遅いな。看護師さんならすぐそこにいるだろうに。お茶がないのか?
「餓鬼が」
「僕、十五歳ですよ。」
師匠、と楓苑。
それに対し玲はけっと鼻で笑った。
「俺からしたら十五歳は青二才にもならねーよ。だからお前は餓鬼なんだよ。」
バカ弟子が、と玲。
…。
ムッと楓苑が顔をしかめる。
「…僕は、第一小隊隊長です。」
「そんなん関係ねえ」
不治の病の病室で患者と面会者が騒がしく子供のような喧嘩をしている。これはたから見ればかなり異質な状態であった。
なぜそんなにも反対されなければいけないのか、楓苑にはわからなかった。自分の勝手だろうに。
仕方がない、と息をつく。最終手段だ。
「僕をこうなるように育てたのは師匠です。」
うぐっと、玲は言葉を詰まらせた。
「それは、…そうだな。」
「はい」
満足そうな顔で笑って楓苑は花瓶にもう一本花を挿した。
「今日も花、入れときますね。」
「…なあ、楓苑。」
「はい?」
何でしょうとご機嫌気味に楓苑が尋ねる。
「お前生きて帰って来いよ」
「…」
その言葉に楓苑は驚いた顔をしたがすぐに少し微笑んで、
「はい」「ごめん、遅れたー!」
返事がちょうど紬がドアから顔を出したのと被ってしまった。
「…」
楓苑が紬を無言で睨んだ。
「なんで今に限って帰ってくんの」
「ハコのメモリー~無名の調査隊員とその記録~」第三話を最後まで読んでくださってありがとうございます!
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