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6-3 フェンリルの妊娠



 仕事に出かける前のひと時のこと。

 アパートのダイニングのテーブルで、ヒメとイヨと僕は紅茶を飲んでいたっす。

 ヒメがウキウキと体を揺らしていますね。

「もうすぐフェンリルとガゼルの結婚式があるニャン! 楽しみだニャン、楽しみだニャン~」

「本当」

 イヨが口角を上げて微笑します。

 僕は紅茶のカップを口につけてすすりました。

 ガゼルは無事に、フェンリルを妊娠させることができたようですね。

 妊娠期間は人間のそれよりも短いみたいです。

 妊娠からおよそ二か月で出産ということで、その前に結婚式があるっす。

 ミルフィは町の家々にチラシを配っており、結婚式は町の教会で大々的に行われるのだとか。

 ちなみに少し前、スティナウルフたちはみんな発情期を迎えたので、妊娠しているスティナウルフはフェンリルだけではないと聞いていました。

 妊娠中のメスたちは巡行狼車や虹の国大サーカス、夜の町の見回りの仕事を休んでいるようですね。

 巡行狼車の営業所では狼車を引くスティナウルフの数が足りず、再び馬が活躍しているようです。

 ヒメが頬をピンク色に染めて喜んでいますね。

 余程、フェンリルとガゼルの結婚が嬉しいようです。

「結婚式の日に、二人に何かプレゼントをあげるニャンよ~」

「そうね」

 首肯するイヨ。

 僕も頷きました。

「そうだね」

「何をあげたら喜ぶニャンかな~」

 ヒメが視線を上げて考えています。

 イヨも顎に手を当てて思考していますね。

 僕も考えを巡らせました。

 フェンリルとガゼルは、何をもらったら喜ぶのでしょうか?

 気持ちのこもった贈り物であれば、プレゼントが何であれ、喜んでくれるとは思います。

 しかしですよ。

 贈り物をする方としては、悩みどころでした。

 嬉しそうなヒメの瞳がくりくり。

「やっぱり、美味しい食べ物が良いニャンかな~」

「うーん、お祝いのプレゼントだから、長く使える物が良いと思う」

 イヨが人差し指を立てます。

「長く使える物ニャン?」

「うん。幸福が長く続きますようにって、願いを込めて」

「んにゃん。それなら服を送るニャンよ~。ユメヒツジの服は、夏に着ていても涼しいニャン」

「うーん、それも悪くない。だけどユメヒツジの服は値段が高い」

「イヨ、ここは奮発するニャンよ~」

「んー、ミルフィが何をプレゼントするかも聞いておかないと。ミルフィのプレゼントよりも高価なものをプレゼントする訳にもいかない」

「んにゃん? なんでニャン?」

「ヒメちゃん、人には立場があるの」

「立場ニャン?」

「そうなの。立場って言うのはね……」

 二人が長話を始めましたね。

 僕は椅子の背もたれにゆったりと背中を預けながら、考えていました。

 思うに、服のプレゼントは賢明ではないですね。

 二人は狼の姿になったり、人狼化したりします。

 その度に着替えるのは面倒ですよね。

 なので、贈るのなら違う物が良いと思ったっす。

 そんな日の朝のことでした。

 部屋の扉が外側からノックされましたね。

「はーい!」

 イヨが返事をして、椅子を引いて立ち上がります。

 玄関に行き扉を開きました。

「おはよう! イヨさんにテツトくんにヒメちゃん」

 顔を見せたのは、領主館の昼の門衛に勤めている初老の男、ドルフでしたね。

 ヒメがぴょこんと右手を上げます。

「ドルフ、おはようだニャーン」

「おう、ヒメちゃんは元気が良いのう」

 ニカッと笑みを浮かべるドルフ。

 イヨが聞きます。

「何かご用ですか?」

「それがな。ミルフィさまが三人をお呼びだ。何でも、フェンリルさんの結婚式のことで話があるらしい。一緒に来てくれるか?」

 ドルフがきりっとした顔をしたっす。

 僕とヒメも椅子を引いて立ちましたね。

 頷くイヨ。

「分かりました。すぐに準備します」

「おう! ではワシは、下の狼車(ろうしゃ)で待っているからな」

 ドルフが扉を閉めたっす。

 僕たちは顔を見合わせて笑顔を浮かべました。

 ヒメが言いましたね。

「ミルフィが呼んでいるニャーン」

「うん。行きましょう」

 イヨがテーブルのカップを回収して流しに置いたっす。

 僕は頷きながら、

「今日は仕事を休むことになるね」

「それは仕方ない」

 イヨはカップを水につけて、手早くささっと洗い、蛇口を閉めて、自室へと歩きます。

 ヒメが思いついたように言いました。

「あ、あたし、今度こそマニュアル本の続きを借りるニャンよ~」

「あっ、そうね」

 二人が笑みを浮かべて部屋に入ります。

 マニュアル本って例のアレですよね。

 僕は苦笑してしまいました。

 僕は特に準備をする必要が無く、ダイニングで待っていました。

 そう言えば、今日もレドナーは傭兵ギルドの前で僕たちを待っていると思います。

 最近では毎日一緒に仕事をしているんです。

 僕たちが仕事を休むことを伝えられれば良いのですが……。

 残念ながら、この世界には携帯電話が無いっす。

 僕は心の中でレドナーにごめんと謝りました。

 やがて支度を終えた二人が部屋から出てきて、三人でアパートを出ます。

 扉に鍵をかけて出発でした。

 ドルフが御者をする狼車に乗って、領主館を目指します。

 ヒメが機嫌良さそうに肩を揺らしていますね。

「フェンリルから、子供は何匹生まれるニャンかな~」

 そう言えばそうです。

 フェンリルはスティナウルフなので、一人の子供が生まれる訳ではないですよね。

 元の世界の犬は確か、一度に五、六匹かそれよりも多くの子供を生みます。

 イヨが苦笑して答えました。

「たぶん、いっぱい生まれる」

「んにゃん~、じゃあ一匹もらうニャンよー! あたしたちのペットにするニャン」

「く、くれるかな?」

「頼んでみるニャーン」

 ヒメがわくわくと両手を振っていました。

 僕は首を振ったっす。

「ダメだよヒメ」

「んにゃん、何でニャン?」

 疑問そうなヒメの顔と声。

 僕は両手を膝につけて説明しましたね。

「僕たちは泊りがけの仕事をすることもあるんだから、ペットは飼えないよ」

「んー、じゃあペットも仕事に一緒に連れていけば良いニャンよ~」

 ヒメは親にペットをねだる子供のような雰囲気です。

 イヨがヒメの肩に手を置きます。

「ヒメちゃん、私たちの仕事は遊びじゃない」

「んにゃん~、でも、ペットが欲しいニャン、欲しいニャン」

「ダメ」

「欲しいニャン、飼うニャン」

「ダメー」

「飼いたいニャーン」

「ヒメちゃん、めっ」

「んにゃん~、残念にゃん~」

 悲しそうなヒメの表情っす。

 それから少しして、狼車が領主館に到着しました。

 僕たちは降りて、ドルフに運んでくれたお礼を言います。

「「ありがとうございます」」とイヨと僕。

「ドルフ、ありがとうニャーン」とヒメ。

 御者台からドルフが降りて軽快な声を響かせました。

「おう! お前たち、ミルフィ様に失礼のないようにな!」

「はーいニャーン」

 ヒメがぴょこんと右手を上げましたね。

 ドルフは門の金網に鍵を差し込み、開けてくれました。

 僕たちは中へと進みます。

 玄関で呼び鈴を鳴らすと、すぐにメイド長のサリナがやってきました。

 ヒメが元気に彼女の名前を呼びます。

「サリナニャーン!」

「お三方とも、お待ちしておりました。リビングでミルフィさまがお待ちです。どうぞ上がってください」

 おじぎをするサリナ。

 イヨとヒメが返事をしましたね。

「ありがとう」

「ありがとうニャン~」

 そして、サリナがリビングへと案内してくれました。

 僕たちが室内に入ると、サリナはキッチンの方へと歩いて行きます。

 リビングでは、暖色系の赤い長ソファに腰かけているミルフィがいて、立ち上がりましたね。

 彼女が丸メガネの縁をくいとあげます。

「ようこそ三人とも、お待ちしておりましたわぁ」

「おはようミルフィ」

 イヨが言って、ミルフィの対面に歩きましたね。

 ヒメが思いついたように自分のカバンを触ります。

「ミルフィ、マニュアル本の続きを貸して欲しいニャンよ~」

「あ、ヒメちゃんはお気に入りの本が見つかったのですねー!」

 人差し指を自分の頬に当てるミルフィ。

 いたずらっぽい笑顔です。

「んにゃん!」

「分かりました。後ほどお楽しみにしていてくださいねぇ」

 女性三人がクスクスと笑いました。

 僕は苦笑したっす。

 ミルフィの対面のソファに三人で並んで腰を下ろしました。

 ミルフィも座りましたね。

 イヨとヒメとミルフィが近況報告を始めます。

 その様子からして、ミルフィは夏祭りの日の事件のことを忘れているみたいでした。

 ヌムザリ草の副作用には忘却作用もあるようです。

 イヨとヒメも僕も、もう怒っていませんでした。

 サリナがすぐにコーヒーの入ったカップを四人分、オボンに載せて持ってきてくれます。

 テーブルに並べました。

「ごゆっくりどうぞ」

 そう言ってサリナが部屋を出て行きます。

 イヨがミルフィに聞きました。

「ミルフィ、今日は何の用事なの? ドルフさんからちょっと聞いたけど」

「はい~。それなんですがぁ」

 ミルフィが声を弾ませます。

 続けて言いました。

「今度、フェンリルさんとガゼルさんの結婚式があるのは知っていますよね! それでなんですけれど、私たちで協力して、素敵なプレゼントを製作して贈ろうと思うんです」

「なるほど」

 イヨがコーヒーカップに口をつけます。

 ヒメはテーブルに置いてある瓶から角砂糖を五つ取って、コーヒーに入れました。

 スプーンでゴロゴロとかき混ぜます。

 かなりの甘党ですね。

「プレゼントを作るニャーン!」

 どうやらミルフィもプレゼントのことを考えていたようです。

 みんな考えることは同じですね。

 フェンリルとガゼルは幸せ者っす。

 ミルフィが両手のひらを合わせました。

「それでなんですが、私考えたんですけれど、プレゼントはマジックアイテムが良いと思うんですー」

「うんうん」

 イヨの唇に笑み。

 ミルフィが人差し指を立てます。

「何か、良いマジックアイテムがあれば良いと思うんです。それで私、色々考えたんですが、何にするか決めることができていなくて、ですね」

「マジックアイテムなら、ティルルに聞けば良いニャンよ~」

 ヒメが笑顔で体を揺らします。

 ミルフィは眉をひそめて聞きました。

「ティルルさん?」

「あ。ミルフィ、町の南区にあるテッセリンマジックアイテム店って知らない?」とイヨ。

「いえ、知っていますわぁ。もしかして、そこの店長さんがティルルさん?」とミルフィ。

「そう」とイヨ。

「んにゃーん」とヒメ。

 ミルフィがまた尋ねます。

「三人は、ティルルさんと面識がありますかー?」

 イヨとヒメが顎を引きます。

「うん」

「ティルルとは仲良しだニャンよ~」

 ミルフィはコクコクと頷いて、それから拝むように両手のひらを合わせましたね。

「イヨ。ティルルさんに聞いて、フェンリルさんとガゼルさんの結婚式にプレゼントするのにふさわしいマジックアイテムの情報を聞いてきていただいてもいいかしら?」

 イヨが頬にえくぼを浮かべましたね。

「分かった」

「まっかせるニャーン」

 そこで四人がコーヒーカップに口をつけてすすります。

 ちなみに僕はまだ一回も喋ってないっす。

 すごく楽ちんでした。

 カップをテーブルに置いて、イヨが疑問を口にします。

「ミルフィ、もしもプレゼントにふさわしいマジックアイテムがすでにティルルさんのお店にあって、売ってたらどうするの? 買うの?」

「うーん」

 ミルフィは両目をつむって思考を巡らせました。

 やがて目を開きます。

「それでも買わずに、みんなで製作しましょう。その方が、気持ちがこもると思うんですぅ」

「それはそうね」

 同意するイヨ。

 ミルフィが右手のひら胸に当てます。

「とても心苦しいのですが、私は領主としてのお仕事がありますので、マジックアイテムの素材調達には参加できません。ですが、その代わりと言ってはなんですが、みなさんにはまた修行をしてさしあげます」

「修業?」とイヨ。

「修業ニャン!?」ヒメの頬がビクビクして、怖がっているような表情です。

 ミルフィは満面の笑顔で頷きます。

「はぁい。今夜一晩、またみんなで女子トークですね!」

 イヨとヒメが顔を見合わせて微笑しました。

「それは楽しい」

「女子トーク、だニャーン!」

 嬉しそうな雰囲気っす。

 しかし、ですよ。

 美味しそうな餌に引っかかった感がありました。

 修行と言えば、あのミルフィの醜い顔を思い出します。

 僕はちょっと、恐怖を思い出して心がざわついたっす。

 イヨが僕に顔を向けます。

「テツトも今夜良い? 合宿みたいだけど」

「い、良いけど僕は」

 僕は顔をひきつらせて頷きます。

 ミルフィがまた両手のひらを合わせました。

「皆さんで強くなって、ちょちょいと素材調達を済ませてしまいましょう!」

「ちょちょいのちょいちょい、合わせてちょいちょいだニャーン!」

 ヒメが笑顔で両手を打ち鳴らします。

 みんながクスッと笑いました。

 ミルフィはそこでコホンと一つ咳ばらいをして、両手を太ももに置きます。

「今回は三人とも、マジックアイテムの製作をお願いしますねー」

 ヒメが両手を万歳します。

「みんなでフェンリルとガゼルの為に、一肌脱ぐニャーン!」

「そうなりますね!」

 ミルフィは顔をほころばせました。

 イヨが聞きます。

「ミルフィ、修行って、具体的に何をするの」

「それは、ですね」

 ミルフィが人差し指を頬に当てたっす。

 いたずらっぽく微笑みました。

「とっておきの修行を用意してありますわ。お楽しみということで」

「お楽しみ?」とイヨ。

「お楽しみニャン?」ヒメが首をかしげています。

「はい、お楽しみです」数回頷くミルフィ。

 四人でコーヒーカップを持ち、すすりましたね。

 イヨは「分かったわ」と言い、言葉を紡ぎます。

 少し声をひそめました。

「ちなみに今、フェンリルはどこにいるの?」

「フェンリルさんはいま妊娠中だけど、領主館の執務室で事務仕事をまだしているの」

 ミルフィが説明しましたね。

 鼻を鳴らして頷くイヨ。

「ふーん」

 ミルフィは両手のひらを合わせます。

「私もそろそろ仕事にいかないといけません。イヨ、ヒメちゃん、テツトさん。ティルルさんに聞きに行ってもらっても大丈夫かしら? 昼はこの領主館で一緒にお昼ご飯を食べましょう」

「分かった」とイヨ。

「んにゃーん」とヒメ。

「分かりました」と僕。

 これで今日やることが決まりましたね。

 それからイヨが、今朝ジャスティンとルルに頼まれたところの話をミルフィにしました。

 ミルフィは数回頷いて、「フライドポテトを無料で配るんですか?」とびっくりしたように言い、了解をくれましたね。

 そして。

 僕たちは領主館を出て、巡行狼車の停留所に行きました。

 目指すは町の南区にある、テッセリンマジックアイテム店です。


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