5-7 イフリート
太陽が西の空に傾いた頃の午後のこと。
そこは大きな山の麓の村でした。
狼車がグランシヤランに到着したっす。
村の入口には独特な模様の描かれた木の柱が左右に立っていますね。
見張りの小さな女の子が一人いました。
小さな女の子は、全身に赤い入れ墨をしていますね。
これは後で知ったことですが、グランシヤランはいまお祭り期間ということで、村人全員が赤い入れ墨をしているようでした。
体に彫った訳ではなく、筆で肌に描いただけのようですね。
僕はガゼルに声をかけて、狼車を止めます。
イヨが御者台を下りて、入れ墨女の子に歩み寄ったっす。
入れ墨の女の子が口を開きます。
「こんにちは、旅のお方。グランシヤランに何の御用でしょう?」
「こんにちは。あの私たち、闘技祭に出場しに来たんだけど」
ペコリと頭を垂れるイヨ。
入れ墨の女の子が胸の前に右手を開きます。
「では、お名前をどうぞ」
「イヨです。それとあと、テツトにヒメにレドナーです。エントリーされていると思うんだけど」
イヨが一瞬こちらを振り返ります。
入れ墨の女の子はコクコクと頷いて、
「そのお名前はエントリーされています。宿屋が予約されていますので、宿屋のわきに馬車を止めてください。次にイフリートさまへご挨拶に伺ってください。この道を真っすぐ行けば、村の広場があります。広場の西側に宿屋があります。イフリートさまの祭壇の場所は、広場から伸びる坂を登った先にあります」
「分かった。ありがとう」
会釈するイヨ。
入れ墨の女の子はコクリと顎を引いたっす。
「はい。明日はご武運を」
ガゼルが口を鳴らしましたね。
(我も入って良いのか?)
「傭兵ギルドからお手紙をもらっています。スティナウルフの入場は許可されています」
そう言って、入れ墨の女の子は道を開けるように右の柱に寄りました。
ガゼルがイヨを見上げます。
(イヨ、行くぞ)
「分かった」
返事をして、イヨがまた御者台に上がったっす。
ガゼルが歩き出して、僕たちは村に入りました。
真っすぐ広場を目指します。
僕は村の光景を眺めたっす。
家々の屋根がどれも赤いですね。
レンガの壁には火の模様が描かれています。
火の大精霊が住まう村は、火を崇めている、という事でしょうか?
まだ夜でも無いのに、村のあちこちに松明が灯っていました。
遠くから聞こえてくる打楽器や笛の音色。
お祭りムードですね。
「お祭りね」
隣にいるイヨがウキウキと肩を揺らしています。
僕も気分が高揚していました。
「そうだね」
「ニャンニャンニャカニャカ、ニャンニャンニャカニャカ」
狼車の中にいるヒメが笛の音色に合わせて歌っています。
それを聞いたイヨがお腹をひくつかせて笑ったっす。
なだらかな坂を一つ上がると、開けた地面がありましたね。
周囲には役所のような建物やお店の看板があります。
ここが広場ですかね?
たぶんそうだと思います。
(テツト、西はどっちだ?)
ガゼルが聞きました。
ヒメの懐中時計を右手に握っているイヨが答えます。
「ガゼル、左」
(分かった)
ガゼルが左に折れ、そのまま少し進むと宿屋の看板がありましたね。
その建物のわきには馬車が何台も止まっていたっす。
僕はガゼルを誘導して、馬車の一番わきに狼車を止めます。
馬車、狼車と、言い方を分けていますが同じものですね。
馬が引くのか、スティナウルフが引くのかの違いだけっす。
四人が狼車から下りました。
僕は車輪に車輪止めをセットします。
「おっしゃー! やっと着いたぜー!」
レドナーが両腕をストレッチしながら伸びをしているっす。
ヒメはふんふんと鼻歌を歌って、村の外観を眺めていました。
隣の馬車の馬たちがガゼルに恐怖したのか、立ち上がって震えています。
イヨが言ったっす。
「テツト、ガゼルの馬具をはずす」
「そうだね」
頷く僕。
二人でガゼルの馬具をはずしてあげます。
自由になったガゼルが隣の馬に背中を向けました。
(テツト、我はどこにいれば良い?)
「私たちと一緒に行く」
イヨが答えて、ガゼルの首を撫でました。
口を鳴らすガゼル。
(我が一緒では村人が怯えるぞ?)
「人狼化すれば良いんじゃないかな?」
僕が提案しました。
イヨが首肯したっす。
「それが良い、そうすれば大丈夫」
(分かった)
ガゼルはおすわりをして空を見上げます。
「アオーン!」
首に下がっている月の雫が光りましたね。
青い狼の体が白い光に包まれたっす。
やがて背の高いイケメンの人狼がその場に立ち上がりました。
服はありませんが、下半身や両腕は青い毛で覆われているっす。
「これで良いか?」
ガゼルが聞きます。
イヨが右手のひらで丸を作りました。
「バッチリ」
「うむ」
両腕を胸に組むガゼル。
レドナーは人狼姿のガゼルを初めて見たようで、目を丸くしていますね。
「お前、人型になれたのか?」
「ついこの間な」
ガゼルが笑みを浮かべます。
ヒメが駆け寄ってきて、ガゼルの足を撫でました。
「ガゼルは背が高いニャンねー、あたしを肩車して欲しいニャン」
「良いぞ」
ガゼルがその場にしゃがみました。
その犬耳を掴んで首にまたがるヒメ。
「行くにゃーん!」
「うむ」
ガゼルが立ち上がります。
僕の二倍以上の背丈がありますね。
レドナーが顔をひきつらせて、悲しげに言ったっす。
「天使さま、肩車ならこの俺が……」
「ガゼル、れっつごーだにゃーん!」
「どこに行けば良い?」
ガゼルがイヨに顔を向けます。
イヨが右手を顎に当てて、
「確かあの女の子、広場から坂を上がるって言ってた」
「坂を探そう」
僕は頷きました。
イヨも顎を引きます。
「そうね」
そして僕たちは広場の中心の方へと足を進めます。
「赤い屋根ー、赤い屋根ー、ふんふんふーん」
ヒメが陽気に歌っていますね。
赤い入れ墨をした村人たちが好奇の視線を向けていました。
人狼化してもガゼルは目立つようですね。
広場の奥に、上へと続く坂を見つけました。
僕たちは登っていきます。
坂を二つ登った先に平たい地面があり、広い正方形をした祭壇がありました。
祭壇は木造りですね。
祭壇の階段の下に槍を持ったおじさんがいます。
白いローブを着ていますね。
僕たちが近づくと、階段を通せんぼするようにおじさんが立ちました。
イヨが前に出ます。
「こんにちは」
「ああこんにちは。この奥はイフリートさまの祭壇だ。何か御用か?」
やはりこのおじさんも赤い入れ墨をしています。
イヨが説明をしたっす。
「私たちは明日、この村の闘技祭に出ます。さっき到着したばかりで、イフリートさまにご挨拶に来ました」
「そうか。それでは、名を名乗ってもらおう」
「私はイヨ。後ろにいるのはテツト、レドナー、それにヒメと、青い毛をしているのはガゼルです」
「……ん? ガゼル? ……そいつは亜人か?」
槍のおじさんがガゼルを指さします。
「いえ、人狼化したスティナウルフです。傭兵ギルドから手紙が行っているかと思うけど」
「人狼化? ふ、ふーん。確かに、青い狼のモンスターが馬車を引いてくる組があるという連絡は受けている。スティナウルフと言ったな。そいつが、本当にスティナウルフなのか?」
ガゼルとイヨが同時に頷いたっす。
「うむ」
「うん」
ヒメが両手でガゼルの犬耳を握って振ります。
「そうニャンよー」
槍を持つおじさんはたじろいだ様子で、顎を二度引きました。
「そ、そうか、分かった。では、イフリートさまへのご挨拶を許可する。ついて来い」
「んにゃーん!」
ヒメが元気に返事をしましたね。
おじさんを先頭に階段を上って行きます。
祭壇の上には村人がたくさんいて、様々な楽器を演奏しているっす。
響き渡っている、どこか民族を感じさせるメロディー。
独特な音色で賑やかですねー。
真っすぐ行くと、祭壇の奥に巨大な火の玉がありましたね。
火の中に赤い皮膚をした巨人がいて、あぐらをかいた姿勢のまま宙に浮かんでいます。
イフリートでした。
その前にたどりつくと、おじさんが声を張ります。
「イフリートさま! 闘技祭に出場する者たちを一組連れてきました! 挨拶をしたいとのことです! よろしくお願いいたします!」
「ほお」
イフリートが野太い声で返事をしましたね。
おじさんが振り返り、僕たちを睨みつけます。
「お前たち、前へ!」
「「はい!」」とイヨと僕とレドナー。
「はいニャーン」ぴょんと右手を上げるヒメ。
「う、うむ」ガゼルの声はどこか緊張した様子です。
イフリートが右肘を膝につけて、手のひらに顎をのせたっす。
イヨが一歩前に出ます。
「イフリートさま! ご挨拶に伺いました。私の名前は……」
「名前などいい」
イフリートが遮るように言ったっす。
続けて、
「お前らに聞きたい。何故、闘技祭に出場しに来た?」
イヨが声を張って答えます。
「それは……傭兵のランクアップ試験のためです! 一回戦でも勝てば、私たちはランクアップを約束されています!」
「ほお、それで?」
イヨが少し困ったような表情になりましたね。
「それで、とは?」
「他には? 優勝して、俺の力を分けて欲しい、という訳ではないのか?」
「分けて欲しいニャーン!」
場違いに明るいヒメの声。
イフリートは「ふむ?」と言って、イヨから視線をはずしましたね。
ヒメに顔を向けます。
「お前、俺が力を分けたとして、その力をどうする?」
「もちろん! その力を使って、悪い奴らをやっつけるニャンよ~」
ヒメが喋りながらガゼルの犬耳を前後に動かします。
そのたびにガゼルの表情がピクピクとしていますね。
イフリートが問います。
「聞こう。悪い奴ら、とは誰をさす」
「悪い奴らは悪い奴らだニャンよ~」
「……ほお」
イフリートが両目を細めましたね。
両腕を胸に組みます。
続けて言いました。
「純真無垢なその金色の瞳。頭は足りないようだが、それ故に信用には足る」
「んにゃん? あたしの頭が足りないニャン?」
ヒメが首をかしげましたね。
イフリートが一つ頷きました。
「闘技祭でのお前の戦い、楽しみにしておこう」
そしてまた、イフリートが肘を膝につけて、手のひらに顎をのせます。
「下がっていい」
「むー、何か偉そうだニャンねー」
ヒメが眉をひそめました。
そこで初めてイフリートが笑みを浮かべたっす。
「実際俺は偉いからな」
「んにゃん~、絶対に力を分けてもらうニャンよー!」
イヨが振り返り、小さな声で「ちょっとヒメちゃん」と注意しましたね。
イフリートは愉快そうに体を小刻みに揺らします。
「お前らには良い仲間がいるようだ」
ふと、後ろに控えていたおじさんが声を張ります。
「おい! イフリートさまは下がれと言ったのだ! お前たち、もう下がれ!」
「すいません」
イヨがおじさんに体を向けて頭を垂れました。
僕とレドナーがイフリートに頭を下げてお礼を言います。
「「ありがとうございました」」
イフリートはもう何も言わなかったですね。
その瞳は興味深そうにヒメを見つめています。
……下がって、いいんすよね?
僕たちは振り返って歩き出しました。
後ろから槍のおじさんが着いてきます。
祭壇を下りたところで、おじさんが言ったっす。
「お前たち、今夜の夕食は宿屋の食堂で摂るように。闘技祭の説明は夕食時に担当の者がすることになっている。別の食堂に行かないようにな」
「分かりました」
イヨが首肯します。
おじさんは槍を地面にトンとついて、
「闘技祭は明日だ。グランシヤランの祭りを楽しんでいくようにな」
「はい」とイヨ。
「はいニャーン」ぴょこんと右手をあげるヒメ。
そして、僕たちは祭壇を後にします。
坂を下っている途中。
レドナーが頭の後ろに両手を組んでぼやきましたね。
「なーんか俺、イフリートさまに見向きもされなかったなー」
「僕もっすよ」
苦笑しつつも同意でした。
「私も」
イヨも笑っています。
「あたしは見向きされたニャーン」
ガゼルの肩の上からヒメが笑顔を向けたっす。
「さすが天使さまです」とレドナー。
「んにゃん、レドナーも、これぐらいできるようにならないとダメニャンよ~」
ヒメはなんだか得意げですね。
……たまに思います。
ヒメの性格には、どこか特別なものがあるような気がするんですよね。
誰をも信用させてしまうというか、周りを味方につけるというか。
上手く言えませんが、そんな感じっす。
天性の素質かもしれません。
そして僕らは宿屋へと行きました。
自分たちの割り振られた部屋へと行って、荷物を運び入れます。
空は夕暮れでした。
もうすぐ、夕食の時間っす。