4-3 フェンリルの好みの男性像
昼の十時を少し過ぎたころ。
アパートのダイニングで僕は紅茶を飲んでいたっす。
首には理性上昇効果のネックレスがあります。
一度千切れたんですが、イヨが拾っていてくれて、直してくれたんですよね。
ありがたいっす。
そろそろ領主館へ出発する時間ですね。
僕はレザーの上下を着ており、仕事着でした。
イヨとヒメは自室にいて、何か話し合っています。
声が漏れて聞こえてくるっす。
「イヨー、せっかくミルフィの家に行くニャンから、マニュアル本の続きを借りたいニャン」
「私も続きが気になってた。あの、薄紅色に染められて、っていう本」
……エロ本の話でしょうか?
僕は苦笑を浮かべました。
二人の会話です。
「イヨは薄紅色に染められて、が好きニャン? あたしは無理やりバージンロードが良いニャンよ~、あれ面白いニャン!」
「無理やりバージンロードも、悪くない。ちょっと鬼畜な内容だけど」
「んにゃん~、あたしはこういうのが好きだニャンねー。とっても続きが気になるニャン。全巻借りるニャンよ~」
「全巻は、貸してくれるかな」
「ミルフィに頼んでみるニャン」
「そうね。あ、あと、口下手男のマリア様、私あれも好き」
「あー、分かるニャン。あれは~、主人公がなんかテツトに似ていて面白いニャン」
「うん。私すっごい親近感がある。それにマリア様の男への接し方が参考になる」
「イヨ、口下手男のマリア様も借りるニャンよ~」
「うん、あれは買ってでも手に入れないと」
……。
はいはい、どうせ僕は口下手ですよ。
紅茶が変なところに入り、僕は「げふんげふん」と咳をしたっす。
やがて、部屋からイヨとヒメが出てきました。
仕事着を着ており、カバンも持っています。
準備万端のようですね。
イヨが笑顔を向けたっす。
「テツト、そろそろ行く」
「行くニャーン」
ヒメが乳白色の髪を元気に揺らしました。
「分かった」
僕は立ち上がります。
三人で部屋を出て、鍵をかけて出発したっす。
道路を右に行き、百貨屋の角を左折れて、真っすぐ歩きました。
いつものジョギングコースですね。
イヨは自分の前髪が気になるのか、つまんでいます。
「髪が伸びてきちゃった」
「ふんふんふーん、イヨも髪を伸ばせば良いニャンよ~」
ヒメがふんふんと鼻歌を歌っていますね。
「長いと、洗うのが大変だから」
ちらちらと僕を見るイヨ。
どうしたんでしょうか?
ヒメがイヨに顔を向けます。
「長い方が女の子っぽいニャンよ?」
「それはそうだけど、テツトはどう思う?」
いきなり振られて、僕はドキッとしましたね。
短いのと長いのと、どちらが良いでしょうか?
「ぼ、僕は、似合えば何でも良いと思いますけど」
「イヨ、たまには髪型を変えてみるニャーン」
ヒメの陽気な声。
「うーん、それもそう!」
イヨは前髪から手を離して、コクコクと頷いたっす。
伸ばすことに決めたようでした。
髪の長いイヨもきっとプリティです。
想像して、僕は顔がにやけちゃいました。
「あー、テツトがエッチなこと考えている顔だニャン」
「本当?」
二人がニヤニヤと笑っていますね。
「か、考えてないっすからねー」
僕は逃げるように歩行を速めたっす。
そして歩くこと一時間弱。
領主館が見えてきました。
灰色の外壁に取り囲まれた、レンガ張りの白い建物。
金網の門のところにはドルフがいて、ヒメが元気に挨拶をします。
「ドルフ、こんにちはだニャーン」
「おうヒメちゃんたちか! こんにちは。領主館に何か用事かね?」
「今日はミルフィに本を借りに来たニャンよ~」
「本? ふむ」
「ヒメちゃん、違う」
イヨが首を振って前に出ます。
続けて言ったっす。
「ドルフさん。私たちはスティナウルフのガゼルから依頼を請けて、フェンリルとお話をしに来ました。昼休憩の時でかまいませんので、フェンリルに取り次いでもらえませんか?」
「話とな? 一体どんな話じゃ?」
「それは……」
イヨが言いよどみます。
ヒメが両手を背中に組んだっす。
「それは、恋の話だニャンよ~」
「恋? うむ! それは愉快な話だな。分かった、中に入れ。取り次ぎはサリナにしてもらってくれ」
ドルフはそう言って金網に鍵を差し込みました。
開けてくれましたね。
「ありがとう」とイヨ。
「ありがとうニャーン」とヒメ。
僕はペコリと頭を下げたっす。
三人で中に入ります。
「若いもんは良いのーう!」
僕たちの背中にドルフ羨ましそうな声がかかりました。
玄関から白い建物入ります。
わきにあった呼び鈴を鳴らすと、メイド服のサリナが来てくれましたね。
「こんにちは。テツト様ご一行。今日はどういたしましたか?」
またイヨが前に出ます。
「実は、今日はフェンリルに用事があって来た」
「フェンリル様ですか? フェンリル様はいま、昼食を摂られています」
「そうですか。実は……」
イヨがガゼルの依頼内容をサリナに話します。
彼女はコクコクと頷き「それでしたら」と淡く頬を染めて、僕たちを食堂に通してくれたっす。
「いま、みなさまのお食事をお持ちします」
サリナがキッチンへと向かいました。
「おかまいなく」
イヨはそう言ったのですが、サリナは「ごゆっくりどうぞ」と言って、扉をくぐっていきましたね。
食堂の上座の隣にフェンリルがいて食事をしているっす。
首より少し伸びた青い髪。
頭の上には獣耳が生えています。
両手両足の手首から先は獣そのものですね。
首には食事用エプロンをしています。
入って来た僕たちを見て、フェンリルはきょとんとした顔をしました。
「ヒメたち、今日はどうして来たのん?」
「むふふ、フェンリルに春を連れて来たニャンよ~」
ヒメが笑顔で言って、フェンリルの隣に腰を下ろしました。
その隣にはイヨと僕が並んで座りましたね。
「春だワン?」
怪訝そうなフェンリルの声。
「んにゃーん!」
ヒメが笑顔で体を揺らしてします。
あれ、ミルフィの姿が無いですね。
イヨがポケットからメモ帳とボールペンを取り出したっす。
そして聞きました。
「フェンリル、ミルフィはいないの?」
「ミルフィは今、腰を痛めて休んでいるのん」
フェンリルは困ったような表情です。
「腰? 回復スキルで治らないの?」
イヨが疑問を向けたっす。
フェンリルはうーんとうなりましたね。
「治癒の息吹も効かないワン。たぶん、腰に悪いウイルスが入ったと思うのん」
「それは大変だニャーン」
ヒメが気の毒そうに表情を曇らせましたね。
フェンリルが続けます。
「うん。だからいま、遠方の町から、色んな薬を取り寄せているワン。効く薬があれば良いワンけど……」
イヨが二度頷きました。
「なるほど」
彼女は小さな咳払いをして、改めてフェンリルを向いたっす。
「フェンリル、私たちは今日、あなたに用事があって来たの」
「僕に用事ワンか? 何でも言ってごらん」
「あなたの男性の好みについて、教えて欲しい」
すでに切ってあるステーキの一切れをフェンリルが口に運びます。
「僕の男性の好み? どうしてそんなことを聞くのん?」
「フェンリル~、実はフェンリルを気になっているオスがいるニャンよ~」
ヒメが怪しい笑みを浮かべました。
「へ、へ~」
ぼっ、と顔を赤くするフェンリル。
続けて言います。
「それは、スティナウルフの仲間のオスってことなのかなん?」
「そうだニャンよ~」
「ふ、ふーん。誰だろう。バロンかなーん」
バロンは知らない名前でしたね。
イヨが首を伸ばしたっす。
「それでなんだけどフェンリル。良かったら、フェンリルの男性への好みや、恋人になる条件について、教えて欲しい」
フェンリルが鼻を赤くしました。
唇をゆるゆると緩めて、両手を胸に組みます。
「そうだワンねー。んー、まず、弱い者に優しいことだワン。群れの中でも一番弱いウルフや、幼いウルフを大切にできる、守ってあげられる。そういう優しさが必要だと思うのん」
「ふむふむ、優しさが必要と」
イヨが書き込んでいきます。
ヒメが続きを促しました。
「他には何かあるニャン?」
「ん~、オスはやっぱり、清潔感が大事だと思うのん。ちゃんと毎日毛づくろいをして、毛並みが格好いいかどうか。それを見れば、そのオスが健康かどうかも分かるワン」
「ふむふむ」
イヨがまた書き込みます。
フェンリルが手元にあったオレンジジュースをぐぐっとあおりました。
ふうと一息ついて、語り出します。
「それでも一番重要なのは、やっぱりアレだワンね。強さだワン。スティナウルフの群れの中で誰よりも強いこと。メスに求愛するために、命をかけて戦う勇気があること。それが一番、点数高いワン」
「強さ、か」
イヨがメモします。
ヒメが両手で自分の頬を挟んだっす。
「あたしは~、やっぱりぃ。自分を特別視してくれて、大切にしてくれる男性が良いニャンね~」
「それは当然だワン。僕を大事にしてくれるオスじゃないと、ツガイになんてなれないのん」
フェンリルとヒメが顔を向け合って笑顔を浮かべましたね。
ふとキッチンの扉が開きました。
メイドたちが僕たちのぶんの食事を運んでくれます。
今日はステーキみたいですね。
僕は「いただきます」と言って遠慮なく食べ始めました。
フェンリルとヒメとイヨはまだ話し合っています。
素敵な笑みが咲いており、さながらガールズトークのような塩梅ですね。
僕は任せることにして、切れてあるステーキを口に運びます。
うん、肉が柔らかいっす。
甘くてジューシーで美味いっすねー。
それから十五分もお喋りが続いたでしょうか?
良いところの聞き込みが終わり、ヒメとイヨも食事に取りかかっていました。
食堂の扉がゆっくりと開きましたね。
なんと車椅子に乗ったミルフィが入って来ました。
「みなさん~、こんにちはぁですわぁ……」
げっそりとした顔です。
「ミルフィニャーン」
ヒメが振り返りました。
「ミルフィ、大丈夫なの?」
心配そうなイヨの顔。
「ミルフィ、部屋でおとなしく寝てないとダメだワン」
フェンリルの焦ったように言いましたね。
イヨが椅子を引いて後ろを向きました。
ミルフィはイヨの席まで車いすを移動させます。
「イヨォ、ちょっとぉ、お願いがあるんだけどぉ」
「どうしたの? ミルフィ」
「ヌムザリ草を、取って来て欲しい、ですわ」
「ヌムザリ? 薬草?」
「はい。薬草ですの。腰痛に効くのです。たぶん、私の腰にも効くと思うんです。なのでどうかぁ、お願いしますわぁ」
「ヌムザリ草はどこに生えているの?」
「えっとぉ、この辺には無いですねぇ。山奥のじめじめした場所なんかに生えているんですが」
「山奥?」
イヨが眉を寄せます。
またメモ帳を出して書き込みました。
ミルフィは腰が痛いのか顔をしかめましたね。
「はい、お願いしました。報酬は、15万ガリュぐらいで勘弁してくださいねぇ、あたたたたた!」
フェンリルが立ち上がったっす。
「ミルフィ、寝てないとダメだワン!」
車いすの取っ手を握って、ミルフィを食堂の外へ連れて行きます。
部屋に連れて行ったんでしょうかね。
僕たちは顔を見合わせて、難しい顔をします。
イヨが首をかしげて言ったっす。
「ヌムザリなんて聞いたことない」
「あたしも無いニャンよ~」
ヒメは言いながらステーキをひょいひょいと口に運びます。
イヨが椅子を前に引きました。
「とりあえずミルフィの頼みだから、何とかしないと」
「でも、依頼を二つ掛け持ちになるニャンよ?」
ヒメが顔を傾けたっす。
「それは仕方ない」
イヨは顎を引いて、それから僕を見ました。
「テツトも良い?」
「大丈夫ですよ」
首肯する僕。
ずっと黙っていたので、すごく楽ちんな気分でした。
イヨが人差し指を立てます。
「ガゼルのプロポーズが終わったら、ヌムザリ草について調べる」
「んにゃん! 調査だニャーン」
ヒメはそこで「あ!」と言って、自分のカバンを開きましたね。
「イヨ、ミルフィからマニュアル本を借りないといけないニャン」
「ヒメちゃん、また今度にしよう。いま、ミルフィは腰痛みたいだから」
「んにゃん~、仕方ないニャン」
ヒメは残念そうに肩を落としたっす。
そして食事を終えると、フェンリルやサリナに僕たちはお礼を言いました。
領主館を出たっす。
空は晴れ渡っていますね。
入道雲が出ていて、気持ちの良い日でした。