4-2 ガゼルの依頼
ベーコンエッグがジューと焼ける音がしています。
今は朝ですね。
エプロン姿のイヨがキッチン立っているっす。
テーブルの椅子にはヒメと僕が対面で腰かけていました。
ヒメはスプーンとフォークを両手に持って、体をウキウキと揺らしています。
「卵が焼けたらニャンニャニャン。鶏さんには感謝だニャン。油でジュージューニャンニャニャン。ミカロソースでいただくニャン。イヨは料理が上手だニャン……」
変な歌を歌っていますね。
いつものことっす。
ベーコンエッグが焼き上がったようで、イヨが皿にうつします。
ヒメが振り向きました。
「イヨは美人だニャンニャニャン。テツトの瞳もメロメロニャン。いつになったら結婚ニャン? 早く子供が見たいニャン。あたしが育ててやるニャンよ! 子供と日向でニャンニャニャン。毎日ゴロゴロニャンニャニャン……」
歌を聴いて、イヨが顔を赤らめましたね。
照れているっす。
僕も頬を染めて、苦笑しました。
イヨが振り返り、
「ヒメちゃん、ほら、ご飯」
野菜の添えられたベーコンエッグとパンの皿を運んでくれました。
続けてワカメスープもカップによそい、テーブルに準備したっす。
早速ヒメがベーコンエッグにミカロソースをかけています。
「いただきますだニャーン!」
僕は食べずにイヨを待ちます。
三人分の食事が用意されて、イヨも椅子に座りましたね。
「テツト、食べていいよ?」
「あ、はい。いただきます」
イヨは目をつむったっす。
「神よ、今日の恵みに感謝します」
いつものお祈りの言葉でした。
「美味いニャーン!」
ヒメがぺろぺろとベーコンエッグの皿を舐めていますね。
もうオカズを食べちゃったようです。
イヨが皿を取り上げました。
「ヒメちゃん、行儀悪い」
「んにゃんっ、まだ黄身が皿についているニャンよ~」
「舐めちゃダメ」
「んにゃん~」
ヒメが残念そうに唇についた黄身を舌で舐めていますね。
イヨがエプロンのポケットからハンカチを取り出して、拭いてあげます。
「んにゃん~」
「ヒメちゃん、行儀よくして」
「分かったニャンよー」
「うん」
僕は静かにパンをかじっていました。
なんか、平和ですね。
居心地が良いっす。
イヨがスープを一口すすり、カップをテーブルに置きました。
「この町、もうすぐ夏祭りがあるみたい」
「夏祭りニャン?」
ヒメがパンをスープにじゃぶじゃぶとつけています。
ふやけたパンを笑顔で口に運びました。
「うん、チラシが来てた。何でも、スティナウルフ祭りなんだって」
「スティナウルフのお祭りニャンか?」
「うん。スティナウルフは町の守護神って、デカデカと載ってた」
「んにゃん~、スティナウルフも偉くなったニャンねー」
イヨがクスリと笑みをこぼしたっす。
「うん、偉くなった」
「じゃあ、あたしたちも夏祭りに行くニャン!」
ヒメがパンをがぶがぶと食べて、それからスープをすすります。
そして言いました。
「イヨ、おかわりだニャン」
「パンとスープだけで良い?」
「んにゃーん、良いニャンよー」
「はい」
イヨが椅子を引いて立ち上がったっす。
ヒメのおかわりを用意して、また座りました。
「テツト、三人で夏祭り行こう」
「あ、はい、分かりました」
頷く僕。
イヨとの夏祭りっす。
これほどの楽しみはありません。
最高ですね。
人生の春っすよ。
マジ神っす。
もしかしてイヨは僕に告白してくれるんでしょうか?
あるわけないっすよねー。
「三人で行くニャーン!」
ヒメが右手を天井に突き上げましたね。
そして。
僕らが朝食を終えた頃でした。
部屋の扉がノックされたっす。
誰だろう?
「んにゃん?」
「テツト、出てくれる?」
イヨは洗い物をしています。
「了解っす」
僕は立ち上がり、鍵を回して扉を開けましたね。
外の通路には巨大な獣がいます。
青い毛並みに獰猛な口。
はっはっと息をして、口には巾着袋をくわえています。
スティナウルフのガゼルですね。
「ぐるるぅっ」
(おはようテツト)
僕はびっくりしたっす。
「おはようガゼル。こんな朝早くにどうしたの?」
イヨとヒメもこちらを覗き込みました。
「ガゼル?」
「ガゼル、おはようだニャーン」
(イヨ、ヒメ、おはよう。少し頼みがある)
ガゼルは家に入ろうとしますが、体格が大きすぎて入れないっす。
入口に顔がつっかえましたね。
おかしくって、僕たちは笑いがこぼれました。
みんなで部屋を出たっす。
鍵をかけて階段を下り、アパート前の道路に行きます。
三人と一匹で輪になりましたね。
イヨが聞きました。
「ガゼル、私たちのアパートがよく分かった」
「ぐるぅ」
(お前たちの匂いは覚えたからな。辿ってきた)
「なるほど」
イヨは納得したように頷きました。
ヒメがガゼルの口にある巾着袋を指さしたっす。
「ガゼル、それは何だニャン?」
(これは、中に我の財布が入っている)
ガゼルはお金を持ってきたようです。
イヨの眉がぴくりと動きました。
「お金って、私たちに仕事の依頼か何か?」
ガゼルがおすわりをします。
背が高いですね。
(うむ。お前らは傭兵だろう? 傭兵のお前たちに、頼みたいことがある)
「頼みたいことって?」
イヨが腰に片手をつけます。
ガゼルが少し弱ったように念をくれました。
(実はな……いまスティナウルフは発情期を迎えている)
「発情期ニャン?」
ヒメが驚いて目を丸くしました。
僕もびっくりっす。
スティナウルフには発情期なんてあるんですね。
モンスターと言えど、動物ということでしょうか?
イヨがほんのりと頬を染めて、笑顔を浮かべました。
「ガゼル、それで?」
話の続きを促しています。
(うむ。我々スティナウルフは子を成すためにツガイを作り、交尾をするのだが……。我は、フェンリル様とツガイになろうと思っているのだ)
僕たち三人の顔が、ニパーッと輝きました。
恋の依頼のようです。
ヒメが両手をグーにして胸元に掲げましたね。
「んにゃん! ガゼル、頑張るニャンよ! 頑張ってフェンリルとツガイになるニャン!」
「うん、なれたら良い」
イヨは口元に手を当てて笑い、目じりを緩めます。
僕も同意して頷きました。
「上手く行くと良いね」
ガゼルが顔を下げます。
(それで何だが)
口にくわえている巾着袋をイヨに差し出しました。
「うん?」
受け取る彼女。
(頼む! 三人とも。我がフェンリル様と上手くツガイになれるように、取り計らって欲しい!)
イヨが首を傾けてうーんとうなります。
僕は二度頷きました。
なるほどです。
ガゼルは他に頼める人がいないですね。
そして僕たちならフェンリルとも仲が良いっす。
ヒメが両手でガゼルの腕に抱きつきました。
「任せておけニャンよーガゼル。全てはあたしたちが解決してやるニャン! フェンリルとツガイになるニャンよ!」
イヨが小刻みに頷いて、ガゼルの瞳を真っすぐに見ました。
「ガゼル、お金はいくら払える?」
少し弱ったようなガゼルの顔。
口がふるふると震えています。
(報酬は、い、一万ガリュでどうだ?)
イヨが困った顔をしてこちらを向きました。
僕は顔をひきつらせましたね。
(安いか? で、では二万ガリュだ)
報酬を増やすガゼル。
イヨがまたその顔を見ます。
「ガゼル、全財産はいくらある?」
(ご、五万ガリュと少々だが……。ぜ、全財産を払うのか!?)
イヨは続けて質問したっす。
「ガゼルの巡行狼車の仕事は、日当いくら?」
(朝晩の食事付きで一日五千ガリュだ)
「うーん」
イヨが何か考えていますね。
ガゼルが顔を曇らせます。
(我は無駄遣いが多くてな、中々貯まらんのだ)
その言葉を聞いて、僕は発見をした気分でした。
ガゼルも買い物をするんですね。
スティナウルフが店にやってきた時の店員の気持ちは、どんな感じなのでしょうか?
ヒメが両目をじんわりと潤ませています。
「イヨ、ガゼルにはお世話になっているニャンよ~。ここは、割引してあげるニャン!」
「そうね」
イヨが僕の顔を見ました。
「テツト、二万ガリュでも良い?」
「いいっすよ、ガゼルの頼みですもんね」
間髪入れずに首肯したっす。
イヨがガゼルの腕を触りました。
「ガゼル。報酬は、すっごく値引きして二万ガリュで良い。だけど、その代わりに前払い。そして、仕事が失敗したとしてもお金は返さない。それで良ければ契約を結ぶ」
「ぐ、ぐるぅ」
(し、失敗するわけにはいかんのだ)
イヨが強気で言います。
「必ず成功するとは約束できない」
「ぐ、ぐるるぅ」
(し、仕方ない。分かった。頼めるか?)
巾着袋を掲げるイヨ。
「うん。それじゃあお財布から二万ガリュもらう」
(う、うむ)
巾着袋を開くと、中に黒い財布が入っていたっす。
イヨは財布を広げてお札を二枚抜き取り、財布をまた袋に戻してガゼルに返しました。
ガゼルが顔を落として、袋を口にくわえます。
イヨはお札二枚をエプロンのポケットに入れたっす。
そしてズボンのポケットからメモ帳とボールペンを取り出しましたね。
「それじゃあ具体的な仕事内容の話に入る」
(うむ)
「フェンリルとツガイになりたいって言ったけど。ガゼルは、私たちに何をして欲しい?」
(うむ。まずはフェンリル様のオスの好みについて聞いてきて欲しい)
イヨが書き込んでいきます。
「他には?」
(明日、我を格好良くコーディネートして欲しい)
「うん、他には?」
(明日、我はフェンリル様にプロポーズする。その時にどんな言葉を言ったら良いか、考えて欲しい)
「ふーん、他には?」
(ふむ。そうだな、後はない。だが任務中に何か出てくるかもしれない。その時にはまた頼む)
「分かった」
イヨがメモ帳に書き終えて、それとペンをポケットにしまいました。
ガゼルがふと思いついたように尻尾を振ったっす。
(それと、我が着るためのタキシードをオーダーメイドで注文してある。南区のセルティナ衣服店だ)
「「タキシード?」」
イヨと僕の声が重なりました。
「タキシードって何ニャンか?」
ヒメは人差し指をこめかみに当てましたね。
「格好良くて格式が高いスーツのこと」
イヨが説明をくれます。
「んにゃん。スーツニャンか~」
ヒメは納得して口角を上げたっす。
ガゼルが顔に自信を漲らせます。
(うむ。タキシードを着て、プロポーズに臨むつもりだ)
「なるほど」
イヨがおかしそうに笑って頷きました。
僕はタキシードを装着したガゼルの姿を想像したっす。
ガゼルは体格が馬よりも大きい上に四足歩行ですよね。
尻尾もあるっす。
どんなタキシード姿になるのでしょうか?
ヒメがガゼルの腕を撫でます。
「ガゼル、タキシードを着て、フェンリルを口説き落とすニャンよ~」
(うむ。ヒメ、お前も頑張れ。そのうちに、良きオスが現れると良いな)
「んにゃんっ!」
ふと。
ガゼルが鼻を空中に上げて、ひくひくとさせました。
(ん? 変な匂いがするな)
顔をしかめて立ち上がります。
イヨが聞いたっす。
「ガゼル、何の匂いがするの?」
(これは魔族の匂いじゃないか!?)
「「魔族?」」とイヨと僕。
「魔族ニャン?」とヒメ。
(ああ、近いぞ? こっちだ)
ガゼルが歩き出しました。
僕たちのアパートの階段を上り、隣の部屋の扉に行きます。
三人がその尻尾に続きましたね。
ヒメが声を張ります。
「ガゼル、そっちの部屋は、ジャスティンとルルの部屋だニャンよー」
ガゼルは聞かずに、前足で扉をノックしたっす。
やがて「ほーい!」という声がして扉が開き、ジャスティンが顔を出しましたね。
背がすらりと高く、くせっ毛の金髪をショートカットにしています。
ちょっと色黒でした。
かなりのイケメンっすね。
男の僕から見ても絵になる男です。
ジャスティンは何食わぬ顔をしていますね。
パンツ一丁の姿です。
どうしてか顔がテカテカと輝いているっす。
「おろ、スティナウルフじゃねーか。俺様の家に何か用事か?」
「ぐるるぅ……」
ガゼルは眉間にしわを寄せて、首を振りましたね。
(すまん、人違いだ)
「そうか。茶でも飲むかい?」
(いやいい)
ガゼルが踵を返して歩き出します。
どうやら勘違いだったようですね。
ジャスティンやルルは農業を営む普通の人間でした。
僕たちも振り返り、階段を下ります。
また道路に立ち、ガゼルが言いました。
(三人とも、我はこれからいつもの仕事に行く。だが夜の八時には宿舎に戻っている。その時までに、さっき言ったことをフェンリル様から聞き出して、我に教えに来てくれるか?)
「分かった」
イヨは頬を上げて顎を引きました。
ヒメが胸を張ります。
「任せろどっこいだニャンよ~」
イヨがまたメモ帳とボールペンを取り出しましたね。
「ガゼル、宿舎の住所を教えて」
(分かった。西区にあるんだが、場所は……)
イヨがしっかりとメモを取ってくれました。
ガゼルが「ぐるるぅっ」と小さく吠えます。
(頼んだ。ではまた夜にな)
歩き出します。
やがて走り出しました。
ヒメが右手をぴょこんと上げて振りましたね。
「ガゼル、また夜だニャーン!」
イヨと僕は顔を見合わせました。
自然と笑顔になります
これから、ガゼルとフェンリルをくっつけなきゃいけないみたいです。
報酬は少ないのですが、僕の体にはやる気が漲りました。
ガゼルのために、一肌脱ぎましょうかね。
【お知らせ】作者名を不器用から空澄叶人に改名しました。これからもよろしくお願いいたします。