3-11 合宿初日
領主館に着くと、イヨの希望でお風呂に入れてもらいました。
旅の間は濡れたタオルで体を拭くことしかできず、体を洗いたかったようです。
お風呂は銭湯のように広々としていて、大きな浴槽には湯船がはっており、シャワーからは暖かいお湯が出ましたね。
この町に電気やガスは無いので、薪でお湯を沸かしているんでしょうか?
後で聞いてみましょうかね。
水瓶を肩に抱いた女性の像。
そこから浴槽に向けてお湯が流れているっす。
最初は女性陣、その後で男性陣の順番でお風呂を貸してもらいました。
久々にお湯につかりましたね。
いやー、気持ち良かったっす。
お風呂から上がると普段着を着ました。
仕事着とは違い、Tシャツにゴムのズボン姿ですね。
フルーツ牛乳が出されたので、飲んだっす。
清々しい気分ですねー。
美味かったっす。
そして僕たちは道場の間に通されました。
今、壁際で一列に正座しています。
右からヒメ、イヨ、僕、レドナーの順番。
目の前にはミルフィが立っており、僕たちの横ではフェンリルとサリナが様子を見守っていました。
ミルフィは頭の側面で緑の髪を束ねていますね。
彼女はどんな髪型をしていても似合うようです。
そして木刀を持っています。
道着のような黒い着物を着ており、その顔はやる気満々っす。
彼女が口を開きました。
「えー、こほん。それでは今から実技の前に、ちょっとだけ座学をしたいと思いますぅ。みなさん、よろしいですかぁ?」
「「はい!」」
「はいニャーン!」
ヒメが元気に右手を上げましたね。
「それは良かったです。では、始めます。みなさん、漲溢という言葉を知っていますかぁ?」
「知ってるニャンよ~」
ヒメが肩を揺らします。
ミルフィが笑みを浮かべて指さしました。
「はい、ヒメちゃん。では、漲溢とはなんですかぁ?」
「豚肉にころもをつけて、油で揚げた料理のことニャンよ~」
「それトンカツ」
イヨがツッコんでいますね。
ツ、しか合ってないです。
「違うニャンか?」
「違う」
首を振るイヨ。
「でも、トンカツは美味しいニャン」
「美味しいけど、違う」
ミルフィは腹をひくつかせて説明をします。
「トンカツはまあ、今夜の夕食に出すようにサリナに頼んでおきますねぇ。それでなんですけれど、漲溢と言うのは、一般的にはみなぎらせることを言いますわ。体に元気をみなぎらせる。力があふれる。そういったことを指す言葉です。同じように、ここで私の言う漲溢というのはぁ、みなさんが持つ魔力、それを体いっぱいにみなぎらせて、身体や精神の力を大きく増大させた状態のことを指します」
僕たちは何となく頷いたっす。
「よく分からないニャンよ~」
ヒメが首を振っていますね。
ミルフィは、「今は分からなくとも聞いてくださいなぁ」と言って続けます。
「魔力とは、体力から生成されるもの。では体力とは、食べることや休憩すること寝ることなどにより回復されるもの。では食べることや休憩すること寝ることはぁ、それをするために時間が消費されるもの。では時間とは、過去から今、今から未来に流れていますねぇ。知っての通り、時間には限りがあります。例えば一日は二十四時間ありますねぇ。二十四時間をどう生活しどう過ごすか、限りある時間を上手にコントロールすること、これを時操と呼びます。時操をして、体力を強く回復させること。これを操回復と言います。そして回復した体力からいかに多くの魔力を生成するか、これを魔力生成倍率と呼びますねー」
ふわああああ、とヒメが大きなあくびをしていました。
早々に眠くなってきたようです。
ヒメに座学は難しいっすね。
僕も一度聞いただけはちんぷんかんぷんです。
ミルフィは続けます。
「最後にスキルの力。つまり、魔力をスキルに変換する力。これは人によって違います。例えば適正職業が、剣士の人と魔法使いの人がいたとしてぇ。どちらもファイアーボールのスキルを習得しており、敵に向かって唱えたとします。もちろん魔法使いの人の方がより強力なファイアーボールを撃つことができます。これは、剣士よりも魔法使いの人の方がぁ、ファイアーボールのスキル倍率が高い、という事になります。しかし剣士も魔法使いも、消費した魔力は変わりません。このようにぃ、魔力から変換されるスキルの強弱の度合い。これをスキル倍率と呼びますぅ」
「っふわあああああっ!」
ヒメの大あくび。
イヨがすっと手を上げたっす。
ミルフィが指名します。
「はいイヨさん」
「私の適正職業は剣士みたいなんですが、私の剣スキルの、スキル倍率は高いんでしょうか?」
イヨは真剣な表情ですね。
学ぼうとしています。
凛とした表情ですね。
その顔を見ると、ですよ。
僕もやる気がみなぎってきます。
ミルフィは右手を腰に当てたっす。
「イヨさんが生まれた時から覚えていたスキルを教えていただけますかぁ?」
「シールドバッシュです」
イヨが手を降ろします。
ミルフィはにっこりと微笑しましたね。
「シールドバッシュは盾スキルですねぇ。つまりイヨさんは、盾持ちの剣士として適正があることになりますわぁ。盾スキルのスキル倍率は高い、ということになります。ただしぃ」
「はい」
「剣のスキル倍率については、両手剣の剣士よりも若干劣ると思います。その代わりとして、盾スキルが強い、ということですねぇ。戦闘においては、攻撃よりも防御の素質がある、ということになりますわぁ」
「なるほど」
頷くイヨ。
ヒメがためらいもなく、ぬっふぁああああ! とあくびを上げました。
あくびを終えてから言います。
「あたし、全然分かんないニャーン」
「あらあら」
ミルフィが小さなため息をついたっす。
レドナーが口を開きました。
「聞きてー」
「はい、レドナーさん」
ミルフィが体を向けます。
「俺が最初に覚えていたスキルは真空斬りで、適正職は剣士みたいなんだが。じゃあ俺は剣のスキルばかりを覚えていけばいーのか?」
ミルフィはちっちと指を振りましたね。
「基本的にはそうなります。ですがもっと上を目指したいのならば、適正職以外のスキルも覚え、何度も使うことが必要になっていきますねー。合成スキルや連携スキル、集結スキルや詠唱スキル、超越スキルなど、他にも様々なスキルの関係がありますので。しかしぃ、今日のところはこれ以上の説明はしません。難しいですからね。座学はこの辺にしましょう。ヒメちゃんも眠いみたいですのでね」
クスクスと笑うミルフィ。
スキルにはまだまだ僕の知らないことがたくさんあるようですね。
合成スキルのことなどは、辞典にも載っていなかったっす。
「ふにゃああああ、やっと終わったかニャーン?」
目じりに涙を浮かべているヒメ、
ミルフィが両手のひらをパチンと合わせます。
「それでは、これからは実際にやって覚えていただきます。まず、最初に出てきた漲溢の修行です。今回の合宿では、これを徹底的にやって身に着けていただきます。魔力を全身にみなぎらせて、身体力、精神力を増大させるのです。今から私がみなさんに、殺気を飛ばしますわぁ。危機を感じさせて、大きな大きな緊張状態を強いります。その状態になると人間の体は臨戦状態に入ります。魔力が体に溢れて、漲溢の状態になりますね。みなさんはその状態を体に何としてでも留めてください。そして、いつでも意識して漲溢をできるようになりましょう」
……マジっすか。
ミルフィは簡単に言っていますが、できるんでしょうか?
四人の顔が強張ります。
「準備はよろしいでしょうかぁ?」
「どんと来いニャーン」
ヒメだけは胸を張っていますね。
ミルフィがクスッと笑いました。
「では、行きます!」
ミルフィの双眸と眉間に深いしわが寄りました。
美しい容姿をした顔が、般若のように歪んだっす。
なんて……。
なんて醜い顔でしょうか!?
「にゃんっ!?」
悲鳴を上げているヒメ。
僕は気にする暇が無かったっす。
何だ?
何だこれ。
体に一気に鳥肌が立ち、心臓がばくんばくんと振動しました。
脇には汗がだらだらとにじみ、息遣いが荒くなります。
こ。
殺される……。
ミルフィは、僕たちを殺す気だ!
両目が震えて大きく開き、その状態で顔面が硬直しましたね。
誰かの歯がガチガチと鳴っています。
やばい。
やばいっす。
この状態を続けたら。
恐怖で意識が飛びそうっす。
はぁ。
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。
殺らなきゃ、殺られる!
今すぐミルフィを止めなければ!
横にいるサリナがこちらへと静かに歩きましたね。
「みなさま、気を強くお持ちください。魔力を全身に行きわたらせて、殺気をはねかえすのです」
「わ、わわわ、死んじゃうニャンよ……」
「きっつい……」
ヒメとイヨの顔がぶるぶると震えています。
おでこに浮かぶ玉のような汗。
レドナーは苦しい顔をしつつ、何とか耐えていますね。
ヒメの前で、悲鳴は上げられないようです。
そしてそれは僕も同じでした。
イヨの前で、格好悪いところは見せられないっす。
サリナがゆっくりとした口調で説明します。
「最初は、全身の筋肉に力を込めてみてください。出来る人は、ミルフィ様の顔を睨み返してください」
言われた通り、全身に力を込めたっす。
体が熱いっすね。
僕はびくびくとする両目で、ミルフィの顔を見ました。
鬼がいます。
目の前に。
殺す気です。
心が委縮し、心臓がさらに鼓動を速めたっす。
「みんな、頑張るだワン! 気を強く持つワンよ!」
フェンリルが応援をくれます。
両手をグーにして握っていますね。
ミルフィが挑発するようにつぶやきました。
「みなさん、殺意とは何でしょうかぁ?」
殺意。
殺意とは何だろう?
殺意とは。
殺意とは……。
殺。
殺したい気持ちのことです。
ミルフィを!
「ふうぅぅぅぅううう!」
ヒメがもう限界でした。
威嚇の声を上げていますね。
見ると、口からはよだれがぼとぼとと垂れていました。
ヒメが立ち上がり、ミルフィに飛び掛かったっす。
「お前を殺してやるニャン!」
「あら?」
ミルフィは顔の力を抜いて、ヒメの手首を取り、ひねりました。
「あだだだだだだっ!」
痛がるヒメ。
なんの技でしょうか。
合気道のような技でしたね。
ミルフィがゆっくりと、ヒメの手首を離します。
「ヒメちゃん、私の殺気に飲まれてはいけませんよぉ?」
「ふううぅぅぅぅううううっ!」
ヒメがすっかり興奮していますね。
「ヒメちゃんダメ!」
イヨが立ち上がり、その背中を抱きしめたっす。
「イヨ、こいつはあたしたちを殺す気だニャン!」
「違うの! ヒメちゃん落ち着いて!」
僕も膝立ちになりましたね。
「おい、ヒメ!」
「んにゃん! テツト、いまあたしがこいつをやっつけてやるニャンからね!」
困ったっす。
ヒメはどうすれば落ち着くんでしょうか?
分からないっす。
「天使さまっ!」
レドナーもあたふたとしています。
ヒメの背中にサリナが手刀を叩きこんだっす。
「喝!」
雷鳴のような声でした。
「んにゃん!」
糸が切れたように、ヒメはその場にどっかりと崩れました。
イヨがヒメの肩を抱きます。
「ヒメちゃん、お願いだから落ち着いて、落ち着いて」
「うぅぅ、んにゃん~」
ヒメの両目から涙がぼろぼろとこぼれて、ぐすりぐすりと泣き始めました。
イヨの胸に抱き着いていきます。
「イヨ、あいつ怖いニャン、怖いニャンよ~」
その頭をイヨが撫でたっす。
「大丈夫だから、怖くない、怖くない、怖くないよ」
「んにゃん~」
「よしよし、よしよし、よしよしよし」
サリナが進み出て言いましたね。
「ミルフィ様、今日はこの辺で限界では?」
ミルフィはこくこくと頷きました。
「そうですねぇ。ではみなさん、今日は日も暮れていますので、これでおしまいにしますわぁ。ですが、明日からは一日中やります。絶対に今の感覚を忘れないでください。私の殺気にやられまいと、はね返そうとした時に体に宿ったエネルギー。それを自分の意思で、いつでも引き出せるようにするんです」
ミルフィはニコッと微笑みます。
両手のひらをパチンと合わせたっす。
「では、私は残っている仕事を片付けてきます。フェンリルさん、行きますよ」
「はい、だワン」
ミルフィが道場を去っていき、フェンリルがその背中に続きました。
その場に残される僕たちとサリナ。
ヒメはまだ泣き足りないのか、うわんうわんと声を上げていますね。
「どうしてこんな修行をしなきゃいけないニャン! 家で日向ぼっこをすれば良いニャンよ! 家で日向ぼっこがしたいニャン! もう家に帰るニャンよ~!」
「よしよし、よしよし、よしよしよし」
イヨが背中をさすってあげているっす。
僕は立ち上がり、サリナに言いましたね。
「あの、ヒメには荷が重いみたいっす」
「いいえ」
サリナは首を振りました。
続けて言います。
「みなさまには、できるようになっていただきます」
「ど、どうしてですか?」
サリナは口角を上げましたね。
「あなたたちは、ミルフィ様が選んだ人たちだからですよ」
「え!?」
……。
どういうことですかね?
よく分からないっす。
うーん。
僕は首をかしげます。
そしてその日の修行は終わりました。
夕食の時間になるとヒメは泣き止みましたね。
ですが、機嫌までは直らなかったようです。
トンカツが出てきたのですが、一切れしか食べなかったですね。
僕は出されたものを何とか食べたっす。
ちょっと吐き気がしたんですが、頑張りました。
イヨとレドナーも食が進まないみたいでしたね。
その後、領主館の一人部屋に案内されて、そこで寝ることになったっす。
ヒメとイヨは一緒の部屋になりました。
僕とレドナーは別々です。
夜。
ベッドの上にあお向けになりながら思い出していました。
ミルフィの、あの時の顔。
般若のような、似合わない表情。
殺気。
あれはすさまじいっす。
「殺意とはなんでしょうかぁ?」
ミルフィの言葉。
修行をすれば、あれをはね返せるようになるんですかね?
やらなきゃ。
やらなきゃ……。
ヒメのためにも。
イヨのためにも。
まず僕が、できるようにならなきゃいけないんだ。
強く強くそう思ったっす。
これが嵐のような合宿の幕開けでした。
一日目から、きつすぎですね。