1-5 村長の話
夕方。
畑仕事が終わったっす。
クワを何度も振るって、疲れましたね。
すっかり汗をかきました。
家に入る前、イヨは僕に言います。
「テツトくん。今から私とヒメちゃんが、体を洗って拭くから、外に出ていて欲しい」
体を洗うみたいっす。
「テツトも一緒に洗うニャーン」
ヒメはそう言いましたが、
「ダメ」
ヒメの頭を撫でながら、やんわりと首を振るイヨ。
そりゃあそうですね。
僕は男ですから。
二人が家の中に入って、玄関を閉めます。
覗くわけにもいかず、僕は玄関の石段に腰かけて。
さて、何をして待ちますかね。
……。
そうだ。
せっかく両足で歩けるようになったんですから。
トレーニングをするっす。
その場で腕立て伏せを始めました。
連続100回をやろうと思いましたが……。
60回目で腕力が続かずに力尽きました。
「はは」
乾いた笑いがこぼれます。
以前は出来たんですけどね。
休んでいたせいで、力が落ちてしまったっす。
筋力を取り戻したいっすね!
次に僕は腹筋を始めました。
連続1000回できますかね?
「365、366、367……」
ぐはー。
ダメっす。
まだまだ!
今度は背筋を始めました。
その次はスクワットっす。
どれもこれも、途中で力が尽き。
小分けにしてローテーションにしました。
いつもの回数を終えることができました。
腕立て500回、腹筋背筋スクワットを1000回ずつっす。
それを終えて石段に座って休んでいた頃。
玄関からヒメが顔を出しましたね。
「テツト、お待たせニャーン」
僕は振り返ります。
「あ、終わったか」
ヒメはピンク色のパジャマ姿ですね。
白い靴も履いています。
……あれ?
ヒメはパジャマと靴なんて持っていないはずですが。
たぶん、イヨのを借りたんですかね。
僕は立ち上がります。
はだしのまま家に上がりました。
ヒメを先頭に僕はついて行きます。
台所の奥の一室にイヨがいたっす。
青いパジャマ姿が可愛いですね。
やっぱりタイプです。
床には水の入った小さな桶。
石鹸とタオルが二枚用意されています。
その横には男性用のパジャマと下着がありますね。
茶色い靴もあります。
「テツトくん、交代。あなたも体を洗って、体を拭いて」
イヨがタオルを一枚水に浸しました。
石鹸でこすります。
「はいこれ」
泡立ったタオルを渡してきます。
もう一枚のタオルは体を拭く用のものみたいです。
「あ、ありがとう」
「うん。服はそこにあるのを着てね。靴も履いて良いから」
僕は聞きました。
「誰の服と靴ですか?」
「亡くなったお父さんの」
……そうか。
何と言ったらいいんですかね。
「……ありがとうございます」
「じゃあ私たちは、出てるから」
イヨが立ち上がります。
ヒメが右手をひょいっと上げて、
「あたしがテツトの背中を洗ってあげるニャン!」
「ダメ」
イヨはヒメの腕を引きます。
「えー、なんでニャン!」
「ヒメちゃんは女の子だから」
二人が室内を出て扉を閉めましたね。
僕は服を脱ぎ、体を洗い始めます。
……イヨのお父さんは亡くなったみたいです。
お母さんはどうなんですかね?
気になるけど、聞きにくいっすよねー。
体を洗って、最後は桶に頭を突っ込みます。
乾いたタオルで頭と体を拭きました。
イヨのお父さんのパジャマを着ます。
靴も履きました。
前に着ていた服を畳んで持って。
部屋を出ます。
ふと。
居間の方で知らない人の声がしました。
「イヨちゃん、一人暮らしは寂しいだろう。相手はこの村の地主さまの一人息子じゃ。この縁談、ワシはとても良い話だと思う。受けた方が良いんじゃないかい?」
おばあさんの声がします。
僕は居間に入らず扉の前で聞き耳を立てたっす。
イヨの声が響きます。
「村長さま、とても良い話のようですが、ごめんなさい。私はまだ結婚する気はありません」
「これからも一人で暮らしていくのかい?」
「はい。当分は、一人で大丈夫です」
「あたしもいるニャン!」
ヒメが甲高い声を出しました。
「この子は?」
村長であるらしいおばあさんが聞きました。
イヨが短く説明をします。
「いま、旅のお方が二人、家に泊まっています」
「なるほど、旅のお方かの。わざわざこんな辺ぴな村に、ご苦労なことじゃあ」
「あたしたちはご苦労さまニャン!」
イヨがかしこまったような声で、
「とにかく、私はまだ結婚する気はありません。そうだ、村長さま、何か食べて行かれますか?」
「いやいい。それより一つ」
「何ですか?」
おばあさんは困ったような声で言います。
「小耳に挟んだんじゃが、地主の息子、ギニースだが。イヨちゃんも幼い頃から慣れ親しんでおるのう。あの男……イヨちゃんに大変惚れているようじゃ。これからワシは縁談の仲介を断るが、もしかしたら、力づくで来るかもしれん」
イヨの小さな声が響きました。
「その時は……」
村長が頼もしい声で言いました。
「何、イヨちゃんは必ずワシらが守ってみせる! 赤子の頃から知っとるみんなのイヨちゃんだからのう。安心せい。ただ相手は、そういうことをすることもあり得ることだけ、ようよう分かって、注意しておいてくれ」
「村長さま、ありがとうございます」
イヨのけなげな声。
「イヨちゃん、ワシらが守るからの」
椅子を引く音がします。
「お帰りになられますか?」
「うむ。今日はこれで」
「家までお送りしましょうか?」
「いい、いい。家はすぐそこじゃ。それではの」
「バイバイニャン!」
ヒメが明るい声で言いました。
二つの足音が玄関へと向かいます。
玄関の扉が開いて閉まる音がしました。
一つの足音がこちらへと帰って来ます。
イヨはお見送りをしたようですね。
僕は居間の扉をゆっくりと開けたっす。
テーブルの上には紅茶の入った三つのカップ。
そのうちの一つは村長のぶんだったんですかね。
二人がこちらに視線を向けました。
「テツト、お風呂終わったニャン! その黒いパジャマ似合ってるニャーン」
ヒメが笑顔を向けました。
僕はイヨに聞きます。
両手の自分の服を掲げ、
「あの、この服と、使い終わった桶とタオルはどうすれば?」
「あとは私がやります」
イヨは僕の服を取ろうとします。
さすがに恥ずかしいっす。
「あ、あの、自分の服は自分で洗うんで」
「明日私が洗いますから。貸してください」
「あ、はい、すいません」
僕は服を渡しました。
これでは、僕の下着をイヨが洗うことになるっす。
ひどく恥ずかしい。
イヨは室内を出ました。
桶のある部屋に行ったようです。
「テツト、なに顔を赤くしてるニャン?」
「な、なんでもない」
ヒメの隣の椅子に座る僕。
外が暗くなってきていますね。
やがて、道具を片付け終えたイヨが来ました。
「いま、夕食を作ります」
言って、部屋の隅にあったランタンを取りました。
テーブルの上に置きます。
マッチで火を入れて明かりをつけました。
「今日はマグロが食べたいニャン!」
ヒメが元気いっぱいに注文したっす。
「マグロは、無い」
「気にしないでください」
僕は右手のひらを振りました。
イヨはくすりと笑い、キッチンに向かいます。
夕食は、また硬いパンに、肉と野菜のスープでしたね。
それを食べ終えると、イヨが食器洗いを済ませます。
すっかり暗くなりました。
イヨが二階の一室に僕を案内します。
家具のほとんど無い部屋。
布団つきのベッドが置いてありますね。
「ここはお父さんとお母さんの部屋だったところ。テツトくん、ここで寝て」
イヨが言いました。
「分かりました」
僕が頷くと、イヨはおやすみなさいと笑顔で。
笑顔をくれたのに!
僕はおやすみなさいと返事をしたかったのですが。
恥ずかしくてできなかったっす。
僕はチキンす……。
「あたしもテツトと一緒に寝るニャーン!」
ヒメはそう言ったんですが、イヨは首を振りました。
「ヒメちゃん。今日は私と一緒に寝よう」
「ん? イヨはあたしと一緒に寝たいニャンか?」
「うん」
「分かったニャン!」
二人は僕の隣の部屋で寝るようです。
電気の無い暗がりの中。
僕はぼーっと考えました。
可愛い子に出会ってしまったな。
それも僕の好みにドストライクっす。