8-1 女ひとり旅
バルレイツの方角へと旅をする日々がひたすらに続いていた。
忍者の里を飛び出して、かれこれ10日間ほどが経つ。
馬に乗って来なかったから、徒歩の女ひとり旅である。
いま、ロナードには冬が来ていて、かじかむように北風が冷たく肌を撫でていた。
だけどあたいの心はほっこりと温かい。
テツトちゃんのことを考えるだけで、幸せになれる気がしていた。
……テツトちゃん。
早く会いたいな。
会ったらどんな話をしようか。
あたいを受け入れてくれるだろうか?
不安がある。
だけど大丈夫だ。
何て言ったって、あたいはもう天全六道の長では無いのだから。
テツトちゃんの敵ではないんだ。
そしてこれからは味方になる。
だから、きっと大丈夫だ。
あたいの格好は、厚手のグレーのコートに茶色いふさふさのズボンといった色気の無いものである。
せっかくの大きな胸も、厚手のコートのせいで強調できていない。
だけど仕方無し。
今はこの旅を乗り切るのが先決だった。
背中にはリュックを背負っていて、着替えやら食料やらが入っている。
ふと、地平線の彼方に町が見えた。
あたいはポケットから折りたたまれた地図を出して眺める。
「あれがバルレイツの町なのね」
やった!
ついにたどり着いたんだ。
嬉しくなって歩行が少し速くなる。
テツトちゃん、テツトちゃん。
あたい、いま行くよ。
そんな時だ。
知っている声が聞こえた。
アメヨ、フレフレ、アメヨ、フレ。
空がゴロゴロと鳴り、冷たい雨粒が降ってきた。
あたいは顔が青くなって、周りをキョロキョロと見回す。
すぐ後ろに、彼女はいた。
天全六道の一人、ヒサメちゃんだ。
六道の中でも唯一軍を持たない、たった一人で最強怪物。
女性にしては背が高く、青空色のワンピースを着ており、両手には使い込まれた傘を持っている。
傘はヒサメちゃんの武器である。
その凜々しい顔が、あたいを見て歪んでいた。
ど、どうしよう。
とりあえず、声をかけてみよう。
「ひ、ヒサメちゃん?」
「イロハ、貴方はレイラン様を裏切り、あまつさえ自分の里の同胞すら放り出して、どこへ行こうというのですか?」
ヒサメちゃんの声は突き放したような響きであった。
あたいは顔を小刻みに振る。
「ヒサメちゃん、あたい、裏切るとか、放り出すとか、そういうのじゃなくて、もう辞めたの! 天全六道の長であることも、人間の敵であることも」
「それを裏切ると言わずして何と言いますか?」
ヒサメちゃんは鼻にしわを寄せる。
あたい両手を開いた。
「裏切ると思いたいのなら裏切ると思っていいよ。あたいはただ、自分が幸せに生きることにしたんだ! だから、バルレイツの町へ行くの」
「レイラン様を助けるのを辞めて、今度は勇者を助けるのですか?」
ヒサメちゃんが傘をあたいに向ける。
あたいはリュックを地面に落とした。
話し合いでは決着できなさそうだ。
だけど、魅了戦術を得意とするあたいでは、同性のヒサメちゃんには勝てない。
それにヒサメちゃんは、六道でも最も強いと呼ばれている存在だ。
あたいは右手の二本指を唇に立てた。
「忍法クチナシ」
舌が黄色い波動を帯びる。
クチナシはスキルを唱えなくとも発動できるようになるスキルである。
「勇者の味方をしにいくのですね。では、抹殺します。イロハ」
あたいはまた唇に二本指を立てる。
分身の術を使った。
体が銀色の波動に包まれて、あたいは五人に分身する。
分身の四人がクナイを持ち、ヒサメちゃんにかかっていく。
本物のあたいは背中を向けて、すたこらさっさと逃亡した。
バルレイツの町までひた走る。
後ろではヒサメちゃんの詠唱が響いている。
アメヨ、フレフレ、アメヨ、フレ。
リュウヨ、フレフレ、リュウヨ、フレ。
空からスカイドラゴンが三頭も下りてきて、あたいの分身に炎のブレスを吐いていた。
一瞬にして分身四人が灰に変わる。
やばいよね、あの威力……。
あたいは死ぬ気で走った。
だけどヒサメちゃんはそれ以上追いかけて来ようとはしなかった。
たった一言。
ドコヘ、ニゲテモ、オナジデス。
そんなスキルの詠唱でもないセリフがやけに耳に残った。
やがて雨は上がる。
ちらりと後ろを振り返ると、ヒサメちゃんやスカイドラゴンの姿はない。
あたいはため息をついて、それからはかなりの早歩きでバルレイツ町の門を目指したのだった。