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6-19 イロハの決断(イロハ視点)



 トクントクン。

 恋をする少女のように心臓が切なく鳴っている。

 あたいの首には、娘への愛という名前のネックレスが下がっていた。

 今、魅の勢力の魔族たちが、天使族の城塞都市の門の前を取り囲んでいる。

 その数、三千人余り。

 門は閉じられていた。

 城塞門の上からは、天使たちがこちらに弓矢や魔法を撃ってきている。

 あたいたちはバリアスキルでそれを防ぎ、こちらも同じように応戦していた。

 メルメイユの町の中には、魔族のスパイたちが天使に擬態して忍び込んでいる。

 あたいがスキルの閃光弾を空に打ち上げれば、スパイが行動し、門を開いてくれるはずだ。

 だけど、あたいは躊躇していた。

 ……テツトちゃん。

 生きる力をあたいにくれると言った。

 敵である、あたいに。

 さっきからね。

 彼の言葉が頭を離れないの。

 あたいには、誰かに愛された思い出がない。

 魅の魔族の長に育てあげるために、両親は幼い頃から厳しい教育をあたいに強いていた。

 父は酒乱だった。

 戦闘技術を中々覚えないあたいを殴り飛ばしては、またぞんざいに教える。

 小刀で切り刻んでは、回復魔法であたいを治療する。

 暴力的な指導のやり方は、日頃の鬱憤の八つ当たりだった。

 父には、仕方のない悲しい理由があった。

 毎日のように激しいストレスを抱えていた。

 それはね。

 母が魅勢力の長であったからである。

 母は父以外にも、夜の寝床を共にする男を何人も従えていた。

 愛人である。

 父は、愛する母への妬みに毎晩うなされていた。

 だけど、母の行為も仕方のないことだった。

 魅勢力の魔族にとって、他人を魅了し性交を行うことは、魔力を高める儀式なのである。

 戦争に勝つために、カノスという名前の勇者を倒すために、母も必死だった。

 母は父と同様、極度の嫉妬狂いであり、父には他の女と交わることを禁じていた。

 分かるよね?

 父がストレスを溜めるのも仕方の無いことだった。

 ……そして。

 あたいは知っていたんだ。

 母が戦争や遠征で里を離れると、父は弾けるように女遊びに明け暮れた。

 まるで日頃の鬱憤が爆発するように、多額の金を投じて博打と酒と女遊びに興じた。

 そんな不器用な両親の指導をたっぷりと受けて、あたいは育った。

 サンドバッグをぶっ叩くような教育という名の暴力の渦中。

 あたいは十歳という若さで、里の男友達たちと性交を持った。

 あたいだって生きるためには、ストレスのはけ口が必要だったんだ。

 数を数えてなんかいないけど。

 百人斬りでは足りないほどの男と交わっただろう。

 いつしかあたいは色っぽくなり、男が好きそうなエッチっぽい体に成長していた。

 思春期の頃から魔力の成長の伸びも著しくなり、あたいは父でさえ魅了デバフをかけることに成功した。

 そして父は。

 ――父は。

 実の娘であるあたいをレイプしようとした。

 あたいは激しい恐怖に駆られた。

 何が何だか分からなかったのを覚えている。

 あたいは切り刻まれるようにして叩き込まれた戦闘技術を駆使し、父を殺害した。

 ちょうどその頃、勇者カノスの手によって母も殺されていた。

 家にそれほどの貯蓄はない。

 父が遊びに使ってしまったからだった。

 両親を亡くしたあたいは食べていくために軍人になった。

 金を稼いでは気になる男と夜遊びをし、せっせとセックスをして、その日その日をしのぐような生活をしていた。

 男とセックスをすればするほどに、あたいの魅了系統のスキル倍率は上がっていく。

 その伸びしろは計り知れなかった。

 やがて軍の幹部までも魅了することに成功し、あたいは急激な出世を遂げる。

 気づけば長になっていた。

 ……。

 あたいは人を好きになったことがなかった。

 今までちょっと気になる男がいたら必ずアプローチし、セックスに及んできた。

 それが恋と呼ばれるものなのだと信じていた。

 だけどさっきのアレは、なにか違う。

 ……テツトちゃん。

 あたいはテツトちゃんのことを今までの男と同様に、一時の恋程度にしか思っていなかった。

 でもさっき。

 今にも死にそうなボロボロな体で、彼はあたいに本気の言葉くれた。

 ――貴方は僕の娘です。

 ――生きる力を貴方にあげる。

 あたいは目の奥からはとめどない熱い液体が迸ったのを覚えている。

 胸がじゅんとなり、心がざわつく。

 だけど不思議と温かい。

 初めての感情だった。

 魔王様との激しい性交をした時でさえ、抱いたことのない感情だった。

 テツトちゃん。

 テツトちゃんテツトちゃんテツトちゃん!

 もしかしてこれが、恋なのかな?

 本物の恋なのかな?

 そうかもしれない。

 そうに違いない!

 テツトちゃんはあたいにとって、この世でたった一人の人なのかもしれない。

 浮気をしない一途な男心。

 喉から手が出るほどに欲しかった。

 愛を知らないあたい。

 本物の愛がどうしても欲しい。

 天使族と魔族が激しい牽制の攻防を繰り返す中、あたいはついに決断した。

 決めた!

 もう魔王様とか戦争とか、自分の魅の長である立場とか、そんなのどうでも良い!

 あたいは。

 あたいはテツトちゃんを自分の男にする!

 一緒に平和に暮らすんだ。

 そのために生きる。

 幸せだ!

 ふとその時、閉ざされている城塞門の前の地面にオレンジ色の魔方陣が浮かび上がった。

 一人の女がワープするように出現する。

 灰色のシャツに白いマントをたなびかせており、下は青いスカート、セミロングの緑髪に丸眼鏡の女性である。

 両手には剣を持っている。

 彼女は元気よくはきはきとした声で告げた。

「はい! こんにちは皆さん! 初めまして、私、ミルフィ・ノーティアスですわ!」

 あたいの周りにいる仲間たちがざわめいた。

「ミルフィだと?」

「勇者の娘か!」

「ミルフィを殺せ!」

 魔族の弓矢や攻撃魔法がミルフィに放たれる。

 彼女は唱えた。

「テラーバリア、ですわ!」

 球状のピンク色のバリアに包まれるミルフィ。

 攻撃魔法や弓矢がバリアと衝突し、弾かれた。

 続けてミルフィが唱える。

「エリアロマンス」

 彼女の足元に黄色い魔法陣が出現する。

 エリアロマンス。

 聞いたことがある。

 勇者の家系が生まれ持って覚えている特別のスキルだよね。

 ミルフィは右足を地面に二回踏み鳴らした。

「はーい! 魔族のみなさーん! 死にたくなかったら、今すぐ引き下がってくださーい! そうしないとぉ? 私ぃ、極大効果の殲滅魔法を撃っちゃいますよお!?」

 人を食ったような間延びした口調。

 魔族たちがおびえたようにざわめいている。

 たった一人でそんな魔法スキルを使えるはずが無いのは分かっていた。

 集結スキルだとしても、たった一人では魔力も集まらない。

 だけどその言葉はあたいにとって都合が良かった。

 これを利用して逃げてしまえ。

 ミルフィを殺す絶好のチャンスが巡ってきている。

 だけどミルフィのことなんてどうでもいい。

 神竜の捕獲もしなくていい。

 戦争なんかどうでも良い。

 そんな事よりもテツトちゃんが欲しい。

 まだ野営地にいて苦しんでいるであろうテツトちゃん。

 助けてあげないと!

 テツトちゃんに勝るものなんて、あたいにはもうこの世にないのだ。

 あたいは右手を上げて叫んだ。

「全軍、撤退!」

 近くにいる魔族軍の重臣たちが素っ頓狂な声を上げる。

「は!?」

「え!?」

「ど、どうして!?」

「イ、イロハ様!?」

 あたいは大声を張る。

「勇者の娘にはどうやったって勝てません! そういう判断です! 全軍撤退! 全軍撤退! 全軍てったーい!」

 後ろにいる軍の高官たちがあたいの声を復唱し、ざわざわと魔族たちが身じろぎする。

 しかし将軍であるあたいの命令には逆らえるはずもなく、軍が撤退を始めた。

 あたいは最後にミルフィを振り返る。

「バイバイ、ミルフィ」

「はれ? 一体どうしたのですかぁ? 魔族の皆さん? お早めのお帰りでしょうかー?」

 びっくりしたような、拍子抜けした顔と声。

 左手でメガネの縁をくいとつかみ、ミルフィはあたいたちを凝視している。

 彼女は攻撃もしてこないし、追いかけてくる様子もない。

 こうして魅の魔族軍は撤退したのだった。

 里に帰ったら、あたいはもう魅の長を辞めるつもりだ。

 住む場所も変える。

 今からテツトちゃんを助けて、その後少し時間はかかるけど、あたいもバルレイツに行く!

 そしてテツトちゃんをあたいの男にするんだ!

 平和に暮らすんだ!

 軍を忍者の里に送り届けたら、静かに里を去ろう。

 今まであたいが築き上げてきたものが全て崩れる。

 だけど、もうどうでも良かった。

 テツトちゃん。

 テツトちゃんテツトちゃん!

 あたいのテツトちゃん!

 今。

 今行くからね!

 少しだけ待っていてね!


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