6-14 シェミールの森
メルメイユの町を出て、東にあるシェミールの森に向かいました。
門を出るときに、門衛にイヨとレドナーが通行税を支払います。
リロハは森に行ったらすぐ町に帰ってくると説明したので、通行税を支払う必要が無いみたいでした。
みんなで森へと歩いて向かいます。
距離はそれほどありませんでした。
三十分もかかりませんでしたね。
森に入ると、黄桜という名前らしい木々が立ち並んでいます。
春になると黄桜は黄色い花びらを一斉に咲かせて、それはそれは見事な光景らしいっす。
今は夏なので、緑色の葉が生い茂っていますね。
木々の隙間からは、遠くに動物たちの陰が見えました。
金毛イノシシや緑目鹿、他にもモンスターのように大きい象ガエルがいたっす。
動物たちや木の名前はリロハが教えてくれました。
特に襲って来ないので、僕たちは通り過ぎます。
女性三人が前を歩き、その後ろを僕とレドナーが肩を並べていました。
レドナーがちらりと僕を見ます。
小声で言いました。
「おい、テツト変だぜ」
「どうしました?」
僕は首を傾けて、小声で返事をします。
レドナーの顔が険しいです。
「リロハに会ってからというもの、俺すげー疲れるんだが……」
「それは、確かに」
僕も若干疲れていました。
しかしそれは、不慣れな土地に来たことにより、体が緊張しているんだと思います。
それをレドナーに伝えるんですが。
彼はレザージャケットの襟を引っ張って、自分の胸を覗きました。
「テツト、お前も自分の胸を見てみろ」
「え、あ、はい」
僕も同じように、襟を引っ張って自分の胸を見ます。
黄色い波動を帯びる左胸。
黄色はバフの色です。
レドナーが言ったっす。
「ノーボイススキルの安心が発動しているぜ」
「本当ですね、僕もです」
昨日のミルフィの話を思い出しました。
安心というスキルは、敵の精神攻撃を防御できるというものです。
僕たちはいま、誰かに精神攻撃を受けているということですかね?
そんなことは無いと思いますが……。
「これが発動しているせいで、俺たちはめっちゃ疲れるんだ」
「確かに、そうかもしれません」
「安心はゴミスキルって話だよな? ゴミスキルの割には魔力の消費が激しいぜ」
「安心は、Eランクなんですかね?」
「分からん。Sかも知れねーぞ」
「それはさすがに無いかと」
僕は苦笑したっす。
さすがに無いと思いました。
なぜなら、ミルフィは安心のスキルを一人につき五千ガリュで売ってくれたからです。
レドナーは鼻にしわを寄せます。
「それにしてもテツト、なんで俺たちは、いま安心が発動しているんだ?」
「分からないっす」
僕は首を振りました。
レドナーが断定するように言いましたね。
「あのリロハっていう女、怪しいぜ。たぶんあいつのせいだ」
「そうですかね?」
「ああ、危険な気配がビンビンする。テツト、あいつには気をつけて行こう」
「……分かりました」
危険は無いような気がしますが、レドナーの助言を無視できないっす。
前方では女性三人がお喋りをしながら歩いています。
やがて、切り立った岩壁が見えてきました。
その下の地面に、水色のクリスタルのような石が群生していたっす。
リロハが指を指して言いました。
「あった! あれが天霊石だよ」
「本当?」とイヨ。
「天霊石ニャーン」とヒメ。
みんなで近づいていきます。
天界では、本当に地面に石が生えるようでした。
ヒメがクリスタルを左手で触りましたね。
「んにゃん、硬いニャーン」
「どうやって引っこ抜こう?」
イヨもクリスタルをぺちぺちと触りながら言います。
レドナーが前に出ました。
「俺が叩き切ってやるぜ」
「レドナーよ! 頼むにゃんっ」
「お願いするわ」
イヨとヒメが後ろに下がります。
レドナーが腰の鞘から剣を抜き、唱えました。
「真空斬り!」
赤い波動を帯びる刀身。
ザクリッ!
剣がクリスタルの根っこを切り裂きました。
レドナーはもう二回真空斬りを唱えて、クリスタルを斬ってくれます。
僕は担いでいたリュックを下ろし、チャックを開きましたね。
採取した三本のクリスタルを入れました。
ちょっとクリスタルが大きいので、チャックが閉まらずに飛び出てしまいます。
レドナーが剣の腹で自分の肩をポンポンと叩きました。
「これぐらいで良いか?」
「ええ、リュックがいっぱいだし、もういいわ」
そう言って頷くイヨ。
これで、今回の任務は完了っす。
ヒメが空に左手を突き上げました。
「よし! 帰るニャンよー!」
「んふふ、君たち、どこに帰るつもりなの?」
底冷えするような声でしたね。
僕はおそるおそる振り返ったっす。
リロハの両目が紫色に光っていましたね。
何かのスキルが発動しています。
ヒメが焦ったように聞きました。
「リロハ、どうしたニャン?」
「ごめんねヒメさん。あたいたちに食べられてよ」
リロハの言葉の意味を理解するのに、僕は少し時間がかかりました。
……食べるってどういうことですかね?
レドナーが鼻を鳴らして前に出ます。
「やっぱりかてめー、俺は怪しいと思ってたんだ。さては魔族だな?」
「ご名答! 擬態、解除」
リロハの体が白い波動に包まれて、肌が紫色に変わります。
頭上にあった天使の輪も無くなりました。
!
!!
マジッすか。
イヨが焦りながら装備を両手に持ちましたね。
ヒメを守るように前に出ます。
リュックを地面に置いたまま担がずに、僕は両手を掲げました。
鉄拳が発動します。
無を意識して魔力を漲溢させました。
リロハが笑うように言ったっす。
「ざーんねーんでーした! あたいの本当の名前はイロハ! 天全六道、魅の長だよ」
「「魅の長?」」とイヨと僕とレドナー。
「魅の長ニャン?」とヒメ。
イロハが言葉を続けます。
「最初に見ただけで分かったよ。キャハハッ、君たち、2の力を持っている! どこかの大精霊か、あるいは幻獣から、力の恩恵を分けてもらったんでしょ?」
「イフリートよ」
イヨが答えます。
イロハは顔がにんまり笑顔に染まりました。
「そう、火の力なんだあ。あのね、あたいたち魔族は、他の生物を食べることにより、その力の恩恵を奪うことができるの。君たちを食べれば火の力を奪うことができる! キャハハ、君たちのうち、一人は魔王様に差し出すわ」
「最悪だニャーン!」顔を歪めるヒメ。
僕は表情がわなわなと震えました。
魅の長ってどれぐらい強いのでしょうか?
僕たちで刃が立つんですかね?
分からないけどやるしかないっす。
「テツト!」
イヨが声をかけました。
僕は名前を呼ばれただけでイヨの言わんとすることを理解したっす。
彼女に隣接します。
「分かった!」と僕。
イヨが二度、剣で盾をタイミング良く叩きます。
二人で唱えました。
「「獅子咆哮!」」
ガウー!
獅子の吠える鳴き声と共に、赤銅色の獅子の波動が飛び出しました。
「甘い甘い!」
イロハは横に大きく跳んで躱します。
くそ。
避けられたっす!
すごい足の筋力です。
イロハは前を向いたままジャンプして後退し、また話しかけてきます。
「君たちさ、スキルの不動心でも覚えているの? あたいの魅了デバフが全然通じないってことはさ」
「安心なら昨日覚えたニャン!」
ヒメが両手に杖を構えます。
イロハが驚きに目を見開いていました。
「安心!? それはSSランクスキルだよ!」
マジですか!?
ミルフィは安心を五千ガリュで売ってくれたはずです。
安心がゴミスキルって言うのは嘘ですね。
ミルフィはどれだけ値引きしてくれたのでしょうか?
スキル辞典にはSランクまでしかスキルが載っていなかったっす。
レドナーが叫びます。
「おいテツト! 俺は飛ぶぜ!」
「分かりました!」
レドナーが全速力で走って行きます。
イヨと僕も追いかけました。
「どおおぉぉおおおりゃああああああ!」
前宙して弾丸のように突入するレドナー。
「ちっ!」
イロハが右に躱します。
レドナーは足を地面に擦らせて止まり、こちらを振り返りました。
イヨと僕は左右に分かれてイロハに迫ります。
三角形になり、三人がイロハを囲みました。
後ろにいるヒメが杖を持って唱えたっす。
「猫鳴りスローニャン!」
青い波動を帯びる杖。
しかしイロハには何も起こらないっす。
……くっ!
アレですよね。
ヒメのスキル攻撃力よりも、イロハのスキル防御力の方が高いんだと思います。
「んぐうぅぅ」
ヒメが悔しそうに唸っていますね。
今度はイロハが唱えました。
右手の二本指を唇に当てます。
「忍法クチナシ」
彼女の舌が黄色い波動に包まれました。
どんなスキルでしょうか?
イヨが合図します。
「テツト、いつもの!」
「分かったっす」
僕は強打を当てるためにチャンスをうかがいます。
イヨのシールドバッシュが決まってくれれば良いのですが……。
ちなみにシールドバッシュは確定デバフであると、昨日の立ち稽古中にミルフィが教えてくれましたね。
僕も蛇睨みを使うタイミングを見計らいます。
クールタイムが三分もあるので、はずしたら勿体ないスキルでした。
イヨが前に進み出ます。
イロハは舌なめずりをするように長いベロで唇をなめました。
「イヨさんからやるの?」
彼女が太ももの内側に隠していたクナイを二本取り、両手に握ったっす。
イヨが正面から斬りかかります。
「ふっ!」
「甘い甘い!」
カーンッ、カンカンッ、カーンッ。
余裕でクナイに弾かれていますね。
イロハは体を素早く回転させながら、クナイでイヨの肩口を狙います。
やばいっす!
イヨが唱えました。
「見切り三秒!」
青い波動を帯びる全身。
イロハのクナイをすんでのところで回避しています。
「くっ、この!」
焦ったようなイロハの声。
シールドバッシュは決まっていませんが、今がチャンスです。
レドナーも同じことを思ったようでした。
彼が唱えます。
「ダッシュ斬り!」
オレンジ色の波動に包まれてダッシュし、彼がイロハに急接近していました。
「邪魔邪魔あ!」
イロハは煩わしそうに吐き捨てていますね。
ジャンプして後退し、そして二本指を唇に当てました。
銀色の波動に包まれる体。
すると三人に分身します。
分身のスキルでしょうか!?
まるで忍者っす。
スキルを唱えたような声は無かったですね。
一人がイヨを、一人がレドナーを、一人が僕に襲いかかってきます。
「くそったれ!」
レドナーが毒づいていますね。
僕は目の前のイロハと戦い始めました。
襲いかかるクナイを鉄拳で弾きます。
僕が唱えました。
「凝視」
黄色い波動を帯びる両目。
イロハのクナイの動きがはっきりと見えるようになりました。
ポイズンアタックを唱えてもいないのに、クナイが紫色の波動を帯びています。
これに当たったらいけません。
凝視効果で、僕の頭の回転が飛躍的に高まっています。
分かりました。
少し前にイロハが唱えた忍法クチナシです。
あのスキルのおかげで、彼女はスキルを唱えなくとも発動ができるようです。
ヒメが声を上げます。
「んにゃん! テツト。イヨが戦ってるのが本体だニャーン!」
「分かった!」
僕は攻撃をさばきながら返事をします。
ヒメは嗅覚が鋭いっす。
火の力の恩恵のおかげで、さらに嗅覚が研ぎ澄まされています。
匂いで本体が分かったのでしょうね。
レドナーが呼びます。
「天使さま!」
「んにゃん! エアロウインドニャン!」
オレンジ色の光を帯びるヒメの杖。
レドナーと戦っているイロハの体に突風が吹き、大きくバランスを崩しました。
「なあっ!」焦ったようなイロハの声。
「裂、真空斬り!」レドナーが唱えます。
ザクッ。
赤い波動を帯びるレドナーの剣が、イロハの首を斬り飛ばしました。
真空斬りがランクアップしていますね。
それよりもびっくりしたっす。
二人が見事な連携を取りました。
昨日のミルフィとの立ち稽古の時に、僕たちはたくさん作戦を考え、話し合いました。
あの時に編み出したのでしょうね。
僕も負けじと唱えました。
「蛇睨み」
空気がピシンとは裂けたような音がして、イロハの分身の顔が恐怖に震えます。
効果時間は一秒間っす。
イロハの左腕を両手で掴みました。
懐に入り込み、体を反転させます。
「凍結背負い!」
唱えました。
青い波動に包まれる僕の全身。
一本背負い。
ドシンッ。
「ぐあっ!」
イロハが地面に叩き落ちて、その体が凍りついているっす。
やはり一本背負いの際に発動する合成スキルでした。
まだ仕留めきれていません。
「ポンコンパンチ!」
僕は唱え、右拳が青い波動に包まれました。
イロハの頭を割ります。
「わああぁぁあああああ!」イロハの分身が断末魔を上げました。
これで、後はイヨが戦っている本体を倒せば良いだけっす。
イヨはまだ戦っている最中でした。
本体のイロハは何度もバク転して後退し、また僕たちから距離を取りましたね。
二本指を口元に当てて、体が銀色の波動を帯びます。
また分身しました。
今度は五人です。
!
!!
マジッすか!
イロハが意気揚々と言い放ちます。
「甘い甘い! あたいを殺そうなんて、十年早いんだよ」
「くそっ! どうするテツト!」
レドナーが焦っています。
これは逃げた方が良いですね。
「テツト!」
イヨの呼ぶ声も泣き出しそうな響きです。
――求めよ。
頭の芯から声が響きます。
――狂気の力を求めよ。
バーサクが発動しそうですね。
僕の戦闘興奮が高まっているみたいです。
さっきから心臓がバクバクと振動しています。
イロハが宣言しました。
「さあ、行っちゃうよ!」
なんと、五人全員が僕に向かってきました。
各個撃破する作戦のようです。
五人を相手に戦うのはさすがにキツいっす!
僕は後退しつつ、唱えました。
「幻惑回避」
イロハたち五人が頭をフラつかせましたね。
しかしすぐに正気を取り戻して顔を上げます。
くそっ。
相手のスキル防御力が高いっす。
続けて唱えました。
「はらはら回避」
オレンジ色に身体が一瞬光ります。
襲い来るクナイの攻撃を回避するのですが、一秒後にスキル効果が切れたっす。
僕の腕や胸をイロハたちのクナイが切り裂きます。
「うああああぁぁああ!」
僕が悲鳴を上げました。
毒にかかって、体が緑色に変色します。
「テツト!」
「んにゃん! テツト!」
イヨとヒメが悲しみの声を上げていますね。
「ライトニングペイン!」
空から雷が降り、レドナーが剣で受け止めました。
雷の力を吸収し、青白く輝いています。
彼が救助しに走ってきてくれていました。
その間にも僕の体は次々と引き裂かれ、傷だらけになります。
多くの傷を負い、戦闘に支障をきたしていました。
毒にもかかっているっす。
尻から地面に崩れます。
もうダメでした。
後ろではヒメがぶつぶつと何か唱えています。
黄緑色に光っている杖。
詠唱スキルですかね?
そう言えばヒメは覚えたのでした。
その時です!
「神竜様の言うとおりだ、魔族がいたぞ! 全員、かかれ!」
知らない男性の大声でした。
森のメルメイユ側の道から、武器を持った大勢の天使たちが押し寄せてきます。
救助の警備兵か、あるいは軍兵が来たようです。
イロハはさすがに焦ったのか、体が痛くて動けない僕の体を持ち上げて走り出します。
逃げる気ですね。
「この野郎! テツトを置いていけ!」青白く光るレドナーが追いかけてきます。
「テツトオオオオ!」イヨの声は泣いているような響きでした。
「んにゃん、ゴロン猫スリープニャン!」
ヒメが唱え、イロハの分身の四体が猫に変身し、その場で眠りに落ちました。
本体のイロハは猫に変身しなかったようで、僕を抱えたまま逃げていきます。
彼女のスキル防御力が高いっす。
そして足は韋駄天のように速いです。
足がオレンジ色の波動を帯びていますね。
いつかルピアという女性が使っていたウインドムーヴのようなスキルが発動していました。
僕は出血多量であり、毒にもかかっていて意識が朦朧としていたっす。
これから、どうなるのでしょうか?
分かりません。
こうして僕は、どこかへ連れ去られました。