6-9 世界一のゴミスキル
午後の五時過ぎ。
サリナの漲溢の修行が終わると、一旦休憩時間になりました。
今日のサリナの殺気は重かったですね。
みんなが汗だくです。
座ってくつろいでいると、道場にはミルフィとフェンリルが顔を見せました。
二人とも勤務を終えたばかりで、仕事着姿っす。
「フェンリルニャーン!」
ヒメが立ち上がって駆け寄ります。
「ヒメ! 久しぶりだワーン」
青い髪に犬耳の少女。
両手両足の手首から先は獣そのものです。
ヒメよりも小柄ですね。
そのお腹がちょっと張っており、丸くなっています。
妊娠しているようです。
僕たちも立って、フェンリルに近づきました。
イヨが祝福するように言ったっす。
「フェンリル、妊娠おめでとう」
「おめでとうだニャーン」とヒメ。
「すげーな、おめでとう」とレドナー。
「おめでとうっす」と僕。
フェンリルは照れたように頬をかいて、それから丸いお腹をさすります。
「あはは、みんな、ありがとうなのん」
ミルフィがフェンリルの肩に手を置きましたね。
「フェンリルさん、そろそろお仕事を休んで、産休に入った方がいいいですねー」
「も、もうちょっと仕事をできる気がするワン」
フェンリルがミルフィを見上げます。
ミルフィはうーんと首をかしげました。
フェンリルは繰り返します。
「もうちょっとできる気がするのん」
「そうですわねぇ」
ミルフィが頬に人差し指を当てます。
イヨが聞きました。
「いま、何週間目なの?」
「二週間目だワン」
フェンリルがはにかんで答えます。
出産までの妊娠期間は二か月という話でしたね。
ミルフィはポンと両手を打ち合わせます。
「それでは、一週間後の結婚式を終えたら産休。その後は育児休暇ということにいたしましょうか」
「そうだワンね」
フェンリルがまたお腹を撫でます。
ヒメもそっと手を伸ばしました。
「お腹に触ってもいいかニャン?」
「良いワンよ。優しく撫でて欲しいのん」
フェンリルのお腹をヒメがそっと触ります。
びくっとして手を離しました。
「んにゃん、なんか振動したニャン」
「いま、子供が動いたワンね」
フェンリルが嬉しそうに微笑みます。
「なるほどニャーン」
みんなが笑顔を浮かべました。
ふと、道場に一匹のスティナウルフが入って来ます。
「ぐるるー」
(フェンリル、迎えに来たぞ)
なんとガゼルでした。
人狼化はしておらず、狼の姿です。
仕事を終えて迎えに来たのでしょうか?
巡行狼車の仕事は八時前に終わると聞いているので、ガゼルは早退したんだと思います。
妊娠しているお嫁さんを迎えに来る為なのでしょう。
口輪をしていますね。
その首には月の雫のチェーンネックレス。
フェンリルが振り向きました。
「ガゼル、来たかワン」
二人は近づいて、フェンリルがガゼルの顎を撫でます。
仲睦まじく会話をしていますね。
その雰囲気はアツアツです。
フェンリルがミルフィを振り向きました。
「ミルフィ、僕はそろそろ宿舎に帰るのん」
「分かりましたわぁ。フェンリルさん、今日も一日お疲れさまでした」
「うん! みんなも、またなのーん」
右手を振るフェンリル。
「まただニャーン」とヒメ。
「また」とイヨ。
「おう!」とレドナー。
「またっす」と僕。
ガゼルも挨拶をくれました。
「ぐるるー」
(皆の者、集まっているところ悪いが、我らは帰宅する。また会おう)
「気にしないで」
イヨが右手を顔の前で振ります。
ガゼルが伏せをしました。
その背中にフェンリルがまたがります。
ガゼルが立ちました。
「ぐるるー」
(ではな)
そう言って、二人が道場を出て行きました。
フェンリルたちは宿舎で夕食を摂るんですかね?
たぶんそうだと思います。
二人が出て行った後、ちょっと寂しくなった道場でミルフィが振り返って言いました。
「では皆さん、少し遅れてしまいましたが、修行をして差し上げますわ」
「夕食はまだかニャーン?」
ヒメが尋ねましたね。
ミルフィはクスクスと笑い、
「夕食は七時としましょう。それまで、みんなで立ち稽古です」
「んにゃーん。分かったニャン」
ぴょんと右手を上げるヒメ。
サリナは脇に移動していました。
ミルフィは両手に四冊のスキル書を抱えていましたね。
「みなさん、これを」
ミルフィがスキル書を一冊ずつ四人に配りました。
「何これ、くれるの?」
イヨが疑問を口にします。
「いえいえ、もちろん買っていただきますぅ」
ミルフィは唇をすぼめてそれから笑顔を浮かべました。
僕はスキル書のタイトルを読んだっす。
安心。
そう書かれていますね。
辞典で読んだ記憶は無いです。
どんな効果のスキルなんでしょうか?
ミルフィはサリナの方を向きます。
「サリナ、木刀を五本持ってきてくれるかしら」
「かしこまりました」
サリナが道場の更衣室に向かいます。
ミルフィが前に立ちました。
僕らは自然と、横一列に並びます。
ミルフィが人差し指を立てましたね。
「みなさんにいまお配りしたスキルはぁ、この世界で一番要らないと言われているゴミスキルの、精神防御スキルですわぁ」
「要らないニャン?」
ヒメが首を傾けます。
ミルフィはいたずらっぽく笑います。
「はい。スキル書屋さんでも、あんまりにも売れなくてぇ、五千ガリュとかで叩き売りされているノーボイススキルになりますねー」
「そんなに安いの?」
イヨが眉をひそめました。
ミルフィは人差し指を立てます。
「皆さんはもう忘れてしまったかもしれませんがー、スキルを使うには魔力を使います。魔力は体力から生成されます。ノーボイススキルと言うのはオートで発動するものでありますから、必要のないノーボイススキルを発動させてしまうと、知らず知らずのうちに必要のない体力を消耗することになってしまいます。発動をコントロールすることもできるのですが、できれば面倒くさいことはしたくありませんよね? なので、要らないノーボイススキルは習得しない方がより良いということになりますぅ」
「じゃあ、これは要らないの?」
イヨが持っている本を傾けます。
ミルフィは首を振りました。
「いえいえ、習得してくださいな」
「だけど、ゴミスキルなんだろ?」
レドナーが聞きます。
ミルフィが人差し指を立てました。
「精神防御スキルの安心はどんな時に使えるかと言いますとぉー、もちろん精神攻撃を防御するためです。Eランクスキルで言うと、おたけびがそうですね! おたけびは、広範囲の敵を恐怖状態に落とすことのできるスキルになりますぅ。そんな時に安心を覚えておけば、恐怖をやわらげることができますねー」
「うー、難しいニャン」
ヒメがつぶやきました。
気になることがありました。
僕はすかさず聞いたっす。
「蛇睨みは違うんですか?」
「蛇睨みは確定デバフですぅ。安心を覚えていても恐怖状態を軽減することはできませんねー」
ミルフィが人差し指を頬に当てて説明をくれました。
なるほどっす。
声をひそめて、彼女が説明を続けます。
「魔族には六つの勢力があります。とは言っても一つは勢力ではありませんし、もう一つも勢力と言っていいのか口述しにくいのですが。今日はそこを詳しくは説明いたしません。知って欲しいことは、六つのうち、いくつかの勢力たちは精神攻撃スキルを大の得意技にしているということです。喜怒哀楽を揺さぶるような、そう言った感情攻撃で相手の戦意を喪失させてきます。その時に安心系統のスキルを持っていないと、戦っても実力を発揮できずにボッコボコにされてしまいます。なのでみなさん、魔族対策として、ここで安心を覚えておきましょう」
「一冊五千ガリュでいいの?」
イヨが尋ねました。
ミルフィが右手のひらで輪っかを作ります。
「イヨ、大丈夫よ」
「分かった、後で払うわ」
そして、みんなが習得を実行しました。
ノーボイススキルの安心を覚えたっす。
サリナが五つの木刀を持ってきて、ミルフィとサリナが一本ずつ、ヒメとイヨとレドナーが一本ずつ握りましたね。
四対二の形で、僕たちは道場で向かい合います。
向こうはサリナが前衛、ミルフィが魔法使いとして役割を担うようでした。
ちなみに、ミルフィの適正職業は魔法剣士らしいです。
ちょっとずるい職業でした。
ミルフィが丸メガネの縁をくいと上げます。
「みなさん、サリナから聞いたはずなんですがぁ、リフレクトバリアの対処法をもう知っていますよね!」
「蛇睨みっすよね?」
僕が疑問形で答えます。
ミルフィは笑顔を浮かべました。
「はい! その通りです。今回の立ち稽古は、ヒメちゃんが猫鳴りスローを使って私を猫にできたらみなさんの勝ちとします。しかしぃ、逆に私がヒメちゃんにポイズンをかけて、毒にかかってしまったらみなさんの負けです。よろしいですかぁ?」
「俺は普通に戦っていいのか?」
レドナーが持っている木刀で宙を二回薙ぎましたね。
ミルフィは頷きます。
「どうぞ、本気でかかってきてくださいなぁ」
「よし、いいぜ」
やる気満々ですね。
僕はイヨに顔を向けます。
「イヨ」
「分かってるわ」
イヨが持ってきてあった盾を構えました。
ミルフィが宣言します。
「では、始め!」
僕は無を意識して両腕に力を込め、魔力を漲溢させます。
イヨが唱えました。
「リフレクトバリア」
その盾に三角形の青いバリアが出現します。
プチバリアよりもずいぶんと広範囲のバリアでした。
トライアングルバリアを覚えたことにより、バリアが広くなっているっす。
レドナーが声をかけます。
「テツト! 俺は飛ぶぞ!」
「分かった!」
「っしゃああ! どおぉぉりゃあああああ!」
レドナーが前宙して、サリナに突っ込んでいきます。
いつも思うんですが、すごい脚力です。
体操選手も仰天ですね。
「くっ」
サリナが横に躱しました。
「ポイズン」
ミルフィの指が紫色の波動を帯びて、レドナーを指さしましたね。
彼の体が毒にかかり、肌が緑色に染まります。
レドナーはミルフィの脇に着地するのですが。
「くそ、天使さま!」
「んにゃん! キュアポイズンニャン!」
レドナーの体が緑色の光を帯びて、毒から回復します。
「ポイズン」
ミルフィがまたレドナーを指さしました。
毒にかかるレドナー。
「キュアポイズンニャン!」とヒメ。
「ポイズン」とミルフィ。
また毒にかかるレドナー。
ミルフィはいたずらっぽい笑顔を浮かべています。
遊んでいるような雰囲気ですね。
「キュアポイズンニャン」とヒメ。
「リフレクトバリア」
ミルフィがレドナーを隠すように移動して唱えたっす。
球状の青いバリアが出現しました。
キュアポイズンが跳ね返り、ヒメの体が緑色の光に包まれます。
「ちっ、くそっ!」
レドナーが舌打ちをしています。
毒から回復できませんでした。
イヨは魔法からヒメを守るために動けません。
僕が何とかするしかないですね。
前進すると、サリナが立ちはだかりました。
「行かせません、ポイズンアタック」
紫色の波動を帯びる木刀。
これに当たったらいけません。
しかしサリナは攻めてきませんね。
様子を伺っているようです。
これは……。
手加減されていますね。
僕はプライドを刺激されました。
そういうつもりなら、やってやるっす!
両手の拳を振るいます。
右手から、ワンツースリー。
足払い。
サリナは木刀で攻撃をさばきつつ、後退しました。
「ポイズン」
ミルフィがレドナーの剣を悠々とさばきながら、僕を指さしましたね。
僕の体が緑色に変色します。
やばいっす!
体が一気に重くなりました。
ヒメが怒りました。
「もぉぉぉぉ! 猫鳴りスローだニャン!」
青い波動を帯びる木刀をサリナに向かって突き出しています。
サリナが唱えたっす。
「リフレクトバリア」
彼女の目の前に現れる小さな円形のバリア。
サリナはバリア系統のスキルに対して適正クラスでは無いので、バリアの大きさはちっこいです。
しかし猫鳴りスローは跳ね返りました。
ぽんっと白い煙に包まれて、ヒメが白い猫に変身します。
「んにゃぁぁぅぅ!」と白猫のヒメ。悔しそうな声を上げたっす。
一分が経過してイヨのリフレクトバリアが消失していました。
ミルフィが白猫を指さします。
「ポイズン」
緑色に変色する白猫。
「しまった!」
イヨがぽかーんと口を開けていました。
ミルフィがクスッと笑い、両手を打ち鳴らします。
「はい! 終了!」
僕はがくっと肩を落としたっす。
イヨとレドナーも同じ気分だったようで、ため息をついています。
遊びながら、いなされちゃったっす。
サリナがヒメと僕とレドナーにキュアポイズンをかけてくれましたね。
白猫がぽんっと煙に包まれて、ヒメが元通りの姿になりました。
「んにゃーん、悔しいニャン!」
ミルフィが人差し指を頬に当てます。
「みなさん? 全然ダメですぅ」
「ちくしょう、作戦会議だ!」
レドナーが右手を上げました。
「ええ、どうぞ作戦会議をしてくださいなぁ。せめて、今日中にサリナぐらいは猫にして欲しいものですがぁ」
そして僕らは何度も話し合い、今日は十回以上立ち稽古をしたっす。
全然かなわなかったですね。
それどころか遊ばれています。
途中、僕とイヨの連携スキル、獅子咆哮が決まり、その後サリナを猫にできたことがありました。
しかしミルフィを猫にすることはできなかったっす。
やがて七時が来ました。
実力の違いを見せつけられて、打ちひしがれる僕たち。
ミルフィは余裕の笑顔で感想を述べました。
「みなさん、まだまだです」
かなり悔しかったっす。
エピソード100個目になりました。嬉しいです(*^^*)全ては皆さんの温かいご応援のおかげです。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたしますm(__)m