95話:失意の果てに
鈍い動作で抜き取った短剣が、血濡れている。
ストリックが見下ろす眼下には、一つの結末が横たわっていた。
闘技場に詰めかけた観客から歓喜の声が降り注ぎ、否応にも結果を享受させられる。ストリックは宿敵のクシャーナを打ち破り、初めての頂点を【戦士の狂宴】という大舞台で勝ち取った。それは数多の読みと駆け引きを乗り越え、死闘を制した証。だというのに、ストリックの内に渦巻くのは行き場のない怒りばかり。
何故、私が賞賛されている。誰も何も見ていなかったのか。
最後の駆け引きに、ストリックは負けた。偽りの勝利を喜べるほど、自分が追い求めたものは軽くなかったはずだ。全ての声援が癇に障り、怒鳴り散らしたい衝動に駆られる。それをしなかったのは、ただその体力がなかっただけだ。虚しさを堪え、直接問い詰めようとしばし体力の回復に努める。
実況のサミュが勝者を改めて宣言しようと、舞台に近寄る。
その姿を視界に収めたストリックが、反射的に身体の向きを逸らす。それはただの子供じみた反抗に過ぎなかったが、ずらした視界の先には本来いるはずのない人物を写し込んでいた。死を彷彿とさせる暗く黒い装束に身を包んだ、痩せぎすな男。直感的にそれが、今まで探し続けていた脅威だと認識できた。
「おめでとう。【灰掛梟】、君は実にいい働きをしてくれた」
パチパチと手を叩く不審な男の姿に、少しずつ観客の動揺が拡がっていく。
対するストリックは僅かに握った武器に力を籠めるも、早々にその選択肢を消した。万全であればそれも叶ったはずだが、今はすでに死闘を繰り広げた後だ。この状態で新たな敵を相手取れると考えるほど、ストリックは自惚れていない。ここで自分がすべきなのは、時間稼ぎ。一時でも稼げば、後は控えている他の"十拳"が対応してくれる。
相手の出方を見極め、慎重に言葉を選ぶ必要がある。
「嬉しいものだろう? たとえそれが、人の手によるものだとしても」
反射的に、身体が動いていた。
人を小馬鹿にしたような、芝居がかった言い回し。要点をまとめずぼかした物言いだったが、彼女には全て理解できた。身体に収まらない激情を解放し、瞬時に距離を詰める。それは満身創痍の彼女にしては機敏な動きだったが、本来の精度には程遠い。薄ら笑いを浮かべる眼前の男に狙いを定めた一撃は、あっさりと防がれていた。
「――目的を見誤るな、ストリック」
「あらら、流石に両取りはできないか」
両者の間に割り込んだのは、【放浪武者】スカル=ゾゾン。
彼はストリックの一撃を鞘で受け、返す刀で男の右手を跳ね飛ばしていた。気付けば"十拳"の面々が揃い立ち、ストリックを囲むようにそれぞれ武器を構えている。男が負傷した右手を庇い慌てて退く中、テレサが素早く回復を行う。失った血までは戻らないが、神聖魔法『ヒール』が瞬く間にストリックの身体を癒していく。
「君ほどの達人が一撃で仕留めなかったのも、これが気になるからだろう?」
一人で現れたその男の余裕は、一体どこからくるものか。
何やら呟いた男の右手が瞬時に再生し、掲げたその掌には蒼い火の玉のような物体が浮いている。それが何なのか見当もつかないが、すぐに相手を斬ってはい終わりという訳にもいかない。自ら狙いを説明してくれると言うなら、例え時間稼ぎであってもその言葉に耳を貸さざるを得ない。そのことをよく分かっているのか、目の前の男は追い詰められてなお悠然と言葉を紡いだ。
「まずは改めての自己紹介といこう。僕は死霊術師ハイロ=ナインソウル。【墓荒らし】とも呼ばれてるけど、まあ好きに呼んでよ」
今は【潜むもの】とも呼ばれてるんだっけ? とケタケタ笑う。
「僕の目的はずーーっと一つで、それは今この瞬間に達成したんだよ! どうだい、綺麗な色だろう? 君達にもこの美しさと尊さが伝わればいいんだけど……」
「それが何なのか知らねぇし興味もねぇ。いいからさっさと――」
「いいや、君は知っているはずさ、【灰掛梟】」
見せつけるかのように、なおもその蒼い物体を大げさに掲げる。
ストリックの物言いに被せてきたハイロの言葉。意味深なだけの、何の意味もない言葉かもしれない。それでも答えを探るには、彼の言葉を理解する必要がある。攻めるに攻めれないもどかしさが各自募る中、何かポツリと声が聞こえた。それはストリックの治療を終え、クシャーナに駆け寄っていたテレサから洩れたものだった。
「ねぇ……これ、息してない」
「…………は?」
何か、致命的な響きだった気がする。
いやそもそもが可笑しいのだ。決勝は既にストリックの勝ちで幕を閉じた。他の仕合でもそうだったように、魔道具たる闘技場の役目はその瞬間に終わり、闘技者は何事もなかったように全快する。だからこそ、彼らは命を賭してこの戦いに臨んでこれたのだ。だが勝利を収めたストリックの傷は、テレサが癒すまで治っていなかった。であれば、クシャーナは――。
「そうだよ、君が殺したんだ【灰掛梟】。これは、クシャーナ=カナケーの魂さっ!!」
振り向いた先、そこにはすでに事切れたクシャーナの姿があって。その無音の世界の中で、ストリックの手から零れた短剣が跳ねる音だけが響くのだった。
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