87話:十拳十色②
中日2日目、惰眠を貪らんとするクシャーナの元に来客が訪れていた。
「……なんでこんな朝早くに」
「いや、すまない。色々と制約がある身でね」
エミットの邸宅にお邪魔している彼女を訪ねたのは、教皇ハインデル。
まだ早朝と言っていい時間帯、普段のクシャーナであればまだまだ寝ている時間だが、ベランダの外から圧を掛けられれば起きざるを得ない。当然こんな時間にアポを取っていた訳もなく、3階の窓を開けると教皇がキザな座り方でベランダに腰かけていた。外から入り込む冷たい空気に体を摩りながら中に入るよう促すが、それには及ばないと丁寧に固辞する教皇。
「いや、寒いんだって……」
「ああ、これは失敬」
眠気と寒気に抗いながら、若干苛立ちも見せるクシャーナ。
そんな彼女にも怯まない教皇は、指を鳴らし簡易結界を生み出す。外気の冷たい空気が遮断され、仄かな暖かさに包まれるが、今度は眠気に支配されかかるクシャーナ。立ったまま振り子のように揺れ動く彼女に苦笑しつつも、来た目的は果たさねばと要件を端的に告げる。
「クレオが襲われた」
「…………んあっ!?」
その一言はどうやら効果があったようだ。
教皇が話したのは、準決勝が始まる前の出来事。【潜むもの】に襲撃を受けた教会がこれを撃退した話。最初に標的にされたのは非戦闘員のシスターであったが、彼らははっきりとクレオに目標を定めていた。教会に深く潜り込むため、近衛であれば誰でもよかったのかもしれない。それでもクレオでなければならない理由があったと考えるのであれば――。
「君にも関係ある話かもしれないと思ってね」
「それより、クレオは無事?」
「ああ、それは問題ない」
そっか、と安堵の表情を浮かべるクシャーナ。
ギルドにも情報としては共有してるけど、君には決勝もあるからね、とわざわざ訪問してきた理由を語る教皇。クシャーナにとっては初耳であり、大方ギルド長のジークあたりが情報を止めていたのであろう。そのこと自体に、今更どうこう言うつもりはない。実際のところ、クレオの無事が確認できているのであれば、今クシャーナから動けることは何もない。
「それよりもその後のほうが大変でね。レノウィンが仕事ほったらかして戻ってきて大騒ぎだよ。教会としては、これ以上表立って敵対しない方針なんだけど、それにも噛みつかれてしまって」
「あー……あの人は、そうなるね」
近衛を束ねる【五剣】の一人、【聖剣】レノウィン=シャルル。
彼女は戦士からシスターに【職業変更】した武闘派であり、クレオの師匠でもある。恵まれた体格と正義感、情の厚さから部下にも好かれる優秀な人材だ。今回はその情の厚さから上と衝突してしまったようだが、教皇の教会としての判断は頷ける。相手は神器持ち、これ以上追いかければ被害は間違いなく増えるからだ。
「その代わりと言っては何だけど、街の住人の警護とかギルドのバックアップは引き続き受け持つよ。今後冒険者に頼る場面も多くなりそうだし、負傷者は教会に送り込んでくれていい」
「おっけー。そこは役割分担ってことで」
教会が持つ剣は、あくまで自衛の剣。
一度矢面に立ってしまえば、クレオだけでなくサラやレノウィンまで抗争に巻き込まれていくだろう。クシャーナ個人としても、それは望んでいない。【潜むもの】を打倒するのはギルドであり、その命を受ける剣、"十拳"が最前線の矛となるのである。
「わざわざ【戦士の狂宴】中に仕掛けてきた理由は必ずある。気を付けて」
「うん、ありがとう」
どうやら言いたいことは言い終えたらしい。
クシャーナからの返答ににこやかに微笑んだ教皇は、ベランダからスッと落ちるように姿を消した。そっと見下ろした先には、近衛2名を引き連れ邸宅を後にする後ろ姿が見えた。自由奔放なお偉いさんに振り回されるのも大変だと思いつつ、クシャーナはそっと見送るのだった。
*
その後、クシャーナの姿は闘技場内にあった。
まだ朝早い時間、もうひと眠りするには妙に眼が冴えてしまった彼女は、朝の散歩と洒落込んでいた。街中を見回るも、まだまだ人は少ない。そうこうする内に、気付けばその足は闘技場へと延びていた。顔を出したのは、闘技場の室内施設。昨日"十拳"の面々が打ち合いを行っていたという話を聞いたからだが、流石にこの時間には誰もいなかった。
「うーん……やっぱり帰ってひと眠りするかな……ん?」
闘技場を早々に後にしたクシャーナが次に向かったのは、隣接する露店街。
開店前の準備や食材の仕込みをしている人はちらほら見えるが、皆忙しそうにしている。クシャーナに気づき歓声が上がったり手を振られることもあるが、持ち場から離れることはない。邪魔にならないよう『血塗られた狂戦士の腕輪』による気配遮断でもしとこうかと思い出した矢先、何やらもぞもぞ動く小山のような物体が目に付いた。
「いやー、助かったよ。悪いね」
「いいえ、お安い御用です」
「あれ……ハクマ?」
店主がバシバシと叩くその巨体には見覚えがある。
何やら重たい資材を代わりに運んでいたらしい彼は、【戦士の狂宴】開幕を飾った仕合でも躍動していた、【雷獣】ハクマ=シダンであった。彼は今大会において、直前の入れ替え戦でギルハートを破り、序列10位に滑り込んだ戦士である。その正体は死霊術師ハイロに使役された死人であり、仕合後の扱いは教会に一任されていた。
「おや、クシャーナ殿。これはまた……随分お久しぶりな感じがしますな」
「そうだね。たぶん……2週間ぶりぐらいかな」
久々の邂逅に、自然と握手を交わす。
今の彼の装いは、仕合中とはまた異なる。ボサボサだった白い長髪はオールバックにしてあり、後ろで一本の尾のようにまとめてある。老齢の執事が着るようなスーツ姿で、流石に今は上着を外していたが、筋骨隆々な渋い紳士が見事に出来上がっていた。上半身裸で野性味溢れる姿しか知らないクシャーナにとって、今の姿は実に新鮮であった。
物腰も柔らかく、中身も伴っているとあれば、見方も当然変わってくる。
シスターであるテレサなどはある程度事情を把握していたが、他の面々はそうではない。死人である以上、敵の駒として利用される懸念は常に付き纏うため、当初は軟禁されていたらしいが、今はこうして裏方として精力的に働いている。その働きぶりと馬力は素晴らしいもので、護衛という名の監視を担う近衛や、露店街の店主などからは、今では親しみを持って接してもらっているそうだ。
「ふーん……あ、この後暇?」
「ええ、特別予定は入っておりませんが」
何でも手伝いますよ、というハクマの言葉に悪い笑顔を浮かべるクシャーナ。素直に付いてくるハクマを引き連れ、彼女は目的地へ一直線に歩を進めるのであった。




