39話:それぞれの朝②
教会の奥にある、飾り気のない小部屋。
そこに備え付けられたソファーが、彼女の定位置であった。
「テレサ……あなた、今日仕合でしょうに」
「う~ん…………」
半ば呆れ声で告げる声の主は、シスター近衛隊長のサラ。お寝坊な娘のお尻を通りすがりにペチンと叩いてみても、反応は鈍い。まだ朝と言っていい時間だが、今日はテレサにとっては大事な初戦が組まれた日。朝のお祈りの免除まではいいにしても、決して惰眠を貪るために許した訳ではない。
「ほらいい加減に……っと!?」
テレサの挙動に合わせて、サラが慌てて動く。
寝返りを打ち、ソファーから転げ落ちそうになったテレサをサラが支えた。ただそれだけのことだったのだが、冷汗を掻くサラの首筋には十字架を模した玩具のような短剣の切っ先が突き付けられていた。
「サラせんせ、おはよ! これで私の勝ちっ、でいいよね!」
「え、ええ…………認めます」
「やったね♪」
先程までの眠たげな様子から一転、跳ね起き小躍りまでするテレサ。
【戦士の狂宴】に最年少でエントリーした彼女を話題にする声は絶えない。薄幸の美少女、武闘派シスター、教皇の隠し玉などなど。好き勝手に人々は呼び合うが、彼女の本質に触れた者は限られている。その中で、お世話兼剣術指南役として共に生活したサラは、彼女の内に秘めた激情に触れた一人であった。
「どれだけの試練があろうとも、私は必ず辿り着きます」
今更朝のお祈りとばかりに、テレサがしゃがみこみ祈りの姿勢に入る。堂に入った、洗練された動きであったが、彼女を突き動かすのは神への忠誠、誓いなどではない。そのことをサラは良く知っていた。
「――――だから、どうか見ていてください、お父様」
*
テレサの出自は教会関係者の間でも広くは知られていない。
もっともシスターになる者達は身寄りのない子供達も多かったため、さほど目立つ境遇ではない。彼らと異なる点があるとすれば、それは教皇自らが彼女を連れてきたということ。重職に付く立場ながら破天荒な性格で知られる彼にしても、珍しいことであった。
『この子を一人前のシスターにしてほしいんだ、頼むよ』
そうにこやかに言い去っていった教皇の顔を、サラは今でもふと思い出す。
そして、本当に大変だったのがその後だった。連れてこられた時も教皇にべったりだったテレサは、自分が置いていかれたことを知ると派手に暴れた。そう文字通り派手にだ。
思えば教皇は初めから予期していたのだろう。
まるで台風が通り過ぎたような跡を残す教会を前に、当時のサラは唖然とするしかなかった。結果として数名のシスターも負傷。その中には戦闘訓練を積んだ近衛も含まれていたことを考えると、にわかには信じがたい話であった。
不安定な精神性と凶暴性を宿す、未完の大器。
結局、サラは腹を括るしかなかったのだが、テレサの成長に伴い、暴走は減っていった。それはもちろんストッパー足りえる実力をサラが要していたことが最大の理由だが、テレサもどこかで彼女を認めていたのだろう。良き師と弟子の関係を保ち、卒業試験を課していたのがここ最近の出来事。
すでに"十拳"に食い込む実力を示したテレサに、サラから教えることは何もない。
試験内容は、サラから一本を取ること。ある種、形だけの試験ではあったが、テレサはその試験を突破できないでいた。教皇直属の近衛の中でも五本指に入る精鋭【五剣】、その取りまとめを勤めるのが【護剣】サラ=サルトリア。守勢に回った彼女を打ち負かすのは、一流の冒険者であっても至難の業だ。
そんな中、元から集中力に波のあったテレサは、次第にやる気を見せなくなった。
面と向かい合っての打ち合いから一転、日常生活内でのお遊びレベルでのちょっかいに変わる。それでも隙を見せないサラが上手くいなしていたのだが、テレサの小芝居がここに来て刺さったのだ。
上機嫌なテレサを複雑な気持ちで眺めるサラ。
仮にも師として、常に全力で接してきた。いつでも挑戦を受けると言っていたこともあり、結果に文句を言うつもりもない。だがテレサの実力であれば、サラの全開の守りをも打ち崩す術はあったはずなのだ。シスターとしてではなく、戦士としての矜持がサラの口から零れ落ちる。
「……なぜ真っ当に戦わなかったのです?」
「えー……だって、ダメって言われたんだもん」
振り返ったテレサの顔には、含みのある笑みが浮かんでいる。
卒業試験を終えた彼女の喜びようは今も続いており、ソファで跳ね回ってはキャッキャッと声が漏れる。数年に及ぶサラの指導の時でもそうだが、いつからかテレサは物事を試練と捉え、その突破に喜びを見出す節があった。今回はその集大成、嬉しくない訳はないだろうが、ここまでの感情表現は珍しかった。
「一体なんの……」
「わたし、サラせんせのこと好きだよ?」
唐突な告白にサラの時が止まる。
しかし、その後に続く言葉に再び感情を揺さぶられる。
「だから、殺さなくてよくて本当に嬉しい」
曇りのない、晴れやかな笑顔だった。
昔の荒れようを知っているだけに、ここは涙の一つでも浮かべる場面だったのかもしれない。それでもサラの心には、感動ではなく恐怖がジワリと広がっていた。卒業試験という名の真剣勝負、実力者同士がぶつかれば最悪も考えられる。だがいくら白熱しようとも、サラは自身でブレーキがかけられる。ただテレサはどうか。
おそらく、テレサのブレーキを踏んだのは教皇だったのだろう。
殺してはダメ、だから卒業試験にも集中できなかった。先ほどのテレサの告白には嘘はないように思える。だからこそ、怖かった。昔に比べて落ち着いてきたテレサだったが、どうやら本質は変わっていなかったようだ。
私はとんでもない狂信者を育ててしまったのではないか。一人腕を抱き身震いするサラを放っておき、テレサは上機嫌な足取りで教会を後にするのであった。




