106話:市街総力戦⑪
【東側】の空に炎の柱が立ち昇り、やがて消えた。
後に残るのは、風に攫われる灰と息も絶え絶えな戦士達。
「くそがっ……これが弊害かいな」
「あら……この期に及んで負け惜しみかしら?」
悔しさを露わにするのは、地に伏したイルル。
その身体はほとんどが焼き切られ、今は顔と僅かな上半身を残すのみだった。そんな彼女の捨て台詞に反応したのはエミット。咄嗟に吐いた挑発めいた言葉には、もう立ち上がってくれるなという懇願と状況判断のための時間稼ぎが含まれていた。イルルの性格的にそれに食って掛かると思われたが、すでに本体である神器は灰と化した。達観した彼女の表情が戦闘の終了を告げる中、ぽつぽつと辞世の句を紡ぐ。
「おめでたいやつらやなぁ……人の力で神器を破壊できるわけないやろ」
「……どういうことですの?」
「簡単なことや。神器を人の魂の器にした結果、人に引っ張られて逆に脆くなってんねん。ほんましょうもないわ。まあ一時的にでも、破壊できたのは褒めたるけどな」
意外な弱点を暴露するイルル。
神器とは、人智を超越した武具である。本来人の手でどうこうできない代物だが、宿った魂によってステージが不本意に揃えられてしまったらしい。もちろんそれはあくまで耐久的なもので、神器:【恵みの宝杖アダムツリー】の破壊力は遺憾なく発揮され、この【東側】の地を蹂躙した。冒険者部隊はほぼ壊滅、"十拳"とそれに次ぐ実力者も相次いで倒され、実質次の戦いには参加できないだろう。
「後は……お前ら無茶苦茶してくれたが、カギのこと忘れとるんか?」
「「あ」」
エミットとギルハートの声が被る。
こんなんに負けたんかい、と一瞬複雑な表情を浮かべたイルル。それでもすでに白旗を上げた彼女は、戦果報酬とばかりにつらつらと話し出す。聞けばクシャーナ解放の鍵、とりわけ突如出現した氷杭の解除アイテムの片割れはイルルが持っているという。最初から見せとったのになぁ、と呟く彼女が顔を横に傾けると、その左耳に付けた青いイヤリングが光に反射し輝きを放っていた。
「まあ放っておいても、これだけは残ってたやろうがな」
「まさかそれは……」
「おっと、サービスはここまでや」
後は自力でなんとかしいや、と悪い笑みを残す。
"十拳"と神器持ちとの戦闘の直下にあって、決して壊れることのないアクセサリー。そんな人知を超えた代物など早々考えられないが、イルルとの会話がその答えを指し示していた。当たりを付けるエミットが口を開く前に、これが最後とばかりにイルルが捲し立てる。
「心配せんでもうちの出番はこれで終わりや。神器はあいつに取られる前に、さっさと保管しとくことやな。はーー…………久々によう暴れたから、なんや眠たいな。お前らにはええ迷惑やったやろうけど、まあ楽しかったわ」
「…………」
「くくっ、口汚く罵ってくれてええのになぁ。どんな顔してんねん」
まごうことなき、敵だった。
それでもどこか憎めないキャラクターだった彼女の去り際に、罵詈雑言は出てこなかった。神妙な面持ちで見送るエミット達の前で、いよいよイルルの身体が崩れていく。灰が風に吹かれ散っていく中で、ふと思い出したように崩れかけの顔で話す。
「……一つ忠告しといたるわ。お前らが次向かうべきなのは【西側】や。全員でかからな死ぬで」
「【西側】……?」
「ああ……あいつは……誰よりも……や………………」
イルルの言葉はそこで潰えた。
突如吹いた強風に煽られ、その存在が虚空へと消える。神器:【恵みの宝杖アダムツリー】、それは約700年ほど前に滅亡したユースフィア公国に実在した神器である。その国に生を受けた彼女は、『賢者』の兄を持つただの少女であった。仲睦まじい兄妹を襲った悲劇。兄の人生を狂わせた神器をひたすら憎んだ彼女が、誰よりも魔法の才能に恵まれていたという皮肉。
ハイロは今回、神器ありきで魂を引き寄せた。
その使い手に自分が選ばれた時の衝撃は、彼女にとっていかほどだったか。狂おしいほどのジレンマを抱えながら、彼女はいつでも笑っていた。そんな彼女が最後に思い浮かべたのは最愛の亡き兄ではなく、手間のかかる妹分。死して新たに築かれた絆は、いったい今に何をもたらすのか。
その答えを知る者はなく、ただのその存在があった証のように、青いイヤリングが微かに光を放っていた。
*
【潜むもの】主戦力である、神器持ちの陥落。
それは言葉よりも早く、同類に伝わる。
「イルル……?」
戦闘中に致命的な隙を晒したのは、神器:【呪縛の魔鏡サクリファイス】ミーコ=ミラー。【西側】でオルゲートとリュウレイを相手取っていた彼女は、呪法『ワンダー・ダブル』で生み出した分身で互角以上の状況を作り出していた。疲弊せず次々に量産される兵隊は、イルルの後に立ち寄ったハイロのバフ掛けもあり、猛威を振るっていた。
そこに期せずして訪れた、好機。
ミーコは自ら前線に立って戦えるタイプではないが、強戦士の圧にも全く怯まない強靭な胆力を持っている。出るべきところは出て、退くべきところでは退ける。ただ守られるだけではない彼女の立ち回りに苦戦していたオルゲート達にとって、千載一遇のチャンス。多少の被弾を覚悟で道を切り開き、その僅かにできた隙間に若き剣士が滑り込む。
「――『流転・堰崩し』!!!」
蛇行する川の流れのように障害を避け、一気に加速し駆け抜ける。
五月雨流の特攻技には『砲剣・螺旋の太刀』があるが、ある種大雑把な破壊を撒き散らすそれとは別に、『流転・堰崩し』は明確に一点を打ち抜く業である。定めた対象は、依然呆けたままのミーコ。神器の耐久が分からない以上、まずは仕留めやすい使い手を狙う。
その狙いが功を奏したのか、幼女の小さい身体が真っ二つに吹き飛ぶ。
「あっ…………」
今にして気付いたとばかりに、小さい声が漏れる。
宙に投げ出された神器が怪しい光を放つ中、その真ん中に吸い込まれるように斧の穂先が迫る。地平線まで飛んでいきそうな勢いを纏ったそれは、鏡を一瞬で砕き遠く離れた地面に突き立った。投擲した主は、"十拳"オルゲート。影の戦士達に斬られながらも、勝負どころの判断を誤る彼ではない。怯まない彼に振りかぶって大打撃を与えようとしていた影が、突如糸が切れたかのように地に還る。
勢いのまま地面に転がっていたリュウレイが歓喜の声を上げる中、オルゲートの目線は無造作に転がった、物言わぬミーコに向けられたままだった。
*
各地の状況が目まぐるしく変わる中、町の中央部でも動きがある。
人の目を避けるようにフードを目深に被り、混乱に乗じて街の外を目指す二人組。一人は細身の女だが、もう一人はマント越しに分かるほどの屈強な肉体を持つ男。小走りで駆ける女の後を追いかける中、男の足がふと止まる。
「イルル、すまない……」
「ハクマ? どうしたの……?」
振り返り駆け寄るのは、近衛シスターであるメルクゥ。
ハクマとの駆け落ちは完全に彼女の独断であり、教会を無論そのことを知らない。"十拳"の末端とはいえ、世間的には新たに台頭した冒険者の新星。注目度は高く、安易な処分は様々な波紋や憶測を呼ぶ恐れがある。それでも教会の立場からすれば彼の存在は許されず、その強権がすぐさま振るわれる可能性は大いにある。だからこその、決死の逃避行であった。
俯く彼の前に回ったメルクゥの身体が、不意に浮かぶ。
「ハクッ……マ……!? なんで……」
「やれやれ……戯れに残しておいた器を連れ出すなんて、君は怖いもの知らずだね」
彼女の細い首に回ったのは、ハクマの剛腕。
片手で釣り上げられたメルクゥの足が苦しさを表すように、バタバタと揺れる。逃れられない苦しみの中で彼女が目にしたのは、ハクマの目から流れる透明な雫。それに動揺しつつも、返ってきた言葉で彼女は確信する。こいつは、この男はハクマではない。
「彼を……っ、返して……!!」
「恋する乙女は強いね……。そんな君がこの状況を覆すのは簡単さ。必死に抗えばいい。そうすれば君の命が尽きる前に、この首が飛ぶだろう」
ギリギリとメルクゥの首を絞めつける力に、一切の容赦はない。
しかしそれは、ハクマの首に嵌められた呪具『恩讐の護衛騎士の首輪』にも連動し、彼の首をも締め上げる。守るべき相手と定められたメルクゥへの攻撃が、自爆染みた呪縛となっている訳だ。ハクマに乗り移ったハイロの言う通り、彼女の抗いが彼への戒めを強化するだろう。未だ彼女が辛うじて意識を保っているのも、意思に反して呪具に制御されている証と言えた。
「私は…………っ!!」
必死に抵抗していたメルクゥの腕から、フッと力が抜けた。
敬虔なシスターの元で幼い頃から修行を重ね、近衛にまで至った彼女は優秀なシスターであった。当然その中には愛や奉仕を謳った教えは数多くあったが、心から彼女を動かしたものはなかった。そんな彼女の心に灯った熱情、それは恋の病。寝ても覚めても冷えることなく、彼女の身を焼いた。その熱を宿したまま、彼女は両手を垂れ下げ柔らかい微笑みを残すのだった。
「なるほど、それが君の選択か。……羨ましいね」
一つの選択を受け取ったハイロは、静かに腕に力を籠めた。後にはドサッと地に何かが落ちる音が響き、彼の目からはとめどない涙が流れていた。




