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ボリビアのカツ丼

作者: jima

20年前『私』は放浪先のボリビアで絶品のカツ丼に出会う。その正体は…?

 君は本物のカツ丼を食べたことがあるか。それは南米にある、と言ったら君は懐疑の視線で私を見るに違いない。南米ボヘミアの街ラパス郊外に『コミダ・マグニフィコ』という大衆食堂がある。マグニフィコは『極上』、コミダとは『昼ご飯』という意味だ。


 この街の牛の数はその人口よりもずっと多いが、豚は約200キロ離れたアントニオという名の親父が細々とやっている養豚場の豚の数しかいない。ここにいる豚は数こそ多くないが、脂の甘い極上の肉が取れる優良種であることは言を待たない。


 私がその街を訪ねたのはもう20年前になるだろうか、その頃の私といったら乞食同然の姿で南米のあちこちを放浪している、いわゆる『貧乏バックパッカー』であった。ラパス中心地は治安に問題があり、かつ宿代や食費が高い。私は空腹でフラフラになりながらも計算高く人情に取り入って一般の民家で宿泊と食事をせしめることができないかと企てていた。それがだめでもこの田舎町でなら少なくともラパス中心地よりは安い滞在が出来るであろうことは3年近くなる放浪生活で学んでいた。


 私はできるだけ好青年に見えるであろう表情を作り、一軒の飲食店の前に立ち店の中を覗いた。店では恰幅のいい中年女性が食事をしている最中であり、店側の人間とおぼしき人物の姿は見られなかった。私は思いきって声をかけた。


「オラ、コモエスタ?」


 私が覚えた数少ないスペイン語のひとつ『やあ、ご機嫌よう』である。客である中年女性は不機嫌そうな顔で私をちらりと見たが反応しない。だいたいにおいてこの国の中年以上の人間の態度はよそものには敷居が高い。私はもちろんあきらめない。ここであきらめるようなら3年間生き延びることはできなかっただろう。


「テンゴ アンブレ。デハメ コメラルゴ」


 次は『腹減った。何か食わせろ。』と言ってみた。ちなみにこの後『ありがとう』を意味する『グラシアス』を使うとほぼ私のスペイン語は終了となる。


 結論を言うなら私は数時間後、その店『ラ・エスカーナ・チャンベントーレ』で皿を洗っていた。店の奥から出てきた赤ら顔の店主が大きな包丁を振りかざしてスペイン語で私を脅したり、不機嫌そうな中年女性がなぜか間に立ってスペイン語でどうやらギャングではないらしいという意味のことを話してくれたり、ということはあったが要するに私の気持ちが通じて飯を食うことができ、その対価として皿を百枚近く洗っていたというわけだ。

 付け加えるなら飯は思った以上に、いや抜群に美味しくこの3年間の旅では味わったことがないほど感動的なうまさであった。さらに皿の枚数は客の数というより近隣住民の数よりも多いのではないかと思われ、多分この店では数日ぶりの皿洗いということなのだろう。


 さて当然私はその抜群に旨かった食事に着いて説明をしなくてはならない。それこそがこの物語の骨子であるところの『ボヘミアで味わったカツ丼』なのだから。


 店主のカルロスはひとしきり私を(おそらく)罵った後、『ヤポネ?』と尋ねた。それが私の出自を尋ねる質問だということはここまでの旅の中で当然ながら理解している。『シ!』と私は必要以上に強めに肯定した。これまで自分のことを日本人であると明かした場合、損をすること得をすることの比率であれば、得が8割以上だったからだ。これはたぶん日本人という民族への世界からの信頼感と若干の侮りもあるのかもしれない。一概に喜ぶことは禁物だが、確かにこの場合は有益であった。

 店主カルロスは表情をほんの少し緩めた。


「キエレス コメル カツドン?」


 この場合の『カツドン』を『カツ丼』と理解していいものだろうか。だがここは飲食店であり、眼の前の人物は一応料理人である。私は精一杯の笑顔で媚びを売った。


「カツ丼。シ! シ!オレ、ダイスキ!」


 気持ちで伝わるものだ。かくして本当にカツ丼が私の目の前に出てきた。呆然とする私ではあったが、それよりも空腹であった。空腹は最高の調味料なのだろうが、そんな調味料とは関係なく文句のない最高のカツ丼であった。日本人であることを改めて感謝するべきこの味わい、醤油と砂糖とたぶん日本酒、そして出汁の香り、その中にカラリと揚がったカツ、トロリととろける半熟の卵、夢にまで見た白米…どれもが完璧の『最高のそして本物のカツ丼』であった。そして何より私はその豚肉の美味しさに魅了された。


 この国は圧倒的に肉と言えば牛であり、豚は手に入れることさえ難しいのだ。アントニオはしばらく私が夢中になって食べているのを面白そうに眺めていたが、食べ終わるとまた凶悪な顔に戻り私を睨んだ。


「ラバロト プラトス」


 アントニオがそう言って、指さしたのは流しに積まれた数え切れないほど、そしておそろしく汚れた食器であった。私はその意味をだいたい理解した。



 夜遅くなった店のテーブルで店主であるカルロスが私を見る。私にスペイン語のほとんどが通じないことはすでに理解されていたので、彼は身振り手振りそして、この街の人間としては珍しく片言の英語、さらに驚愕するべきことだがほんのわずかの日本語までも交えて私と意思の疎通を図ろうとした。


「お前は何者だ。この町に何しに来た」


 そして私はそれに答える。日本語と英語と通じることを信じるソウルで。

「私は怪しい者だがギャングではない。そして悪人ではない。私は善人である。しばらくここで滞在する希望を持っている。この店の食事は美味しい。気に入った。ここに居てもいい。皿洗いは私の得意とするところである。店の掃除やあなたの肩もみもできる。だが用心棒としては期待してはいけない」


 主人が苦笑いをする。私は相当失礼なことを言っていた。語学力は無くてもそういう自覚はある。

「お前の言いたいことはわかった。ただ皿洗いも掃除も肩もみも、それが必要なほど客はいない。しかし日本人なら話は別だ。弟のアントニオの牧場を手伝うなら、紹介してやろう」


 私は日本人式のお辞儀を何回か、それから握手をしてもう一度『グラシアス』と言った。

 なぜ主人がカツ丼を作って日本語をしゃべり、日本人なら親切にするのか聞くのは忘れていたし、もう疲れきっていた。




 アントニオの牧場はそこから200キロ離れていた。私は翌日カルロスが運転するトラックの荷台に乗り、腰を痛め頭痛を募らせ、2回吐いて、夕方にはその牧場の主と会っていた。

 アントニオは兄のカルロスよりは痩せて、立派なヒゲをたくわえていた。そして彼には一切英語は通じなかったし、そもそも私と意思の疎通をしようという気持ちもないようだ。彼はカルロスを通じて、私の仕事と滞在場所(それは豚舎の横にある屋根と壁と簡易ベッド以外は何もない場所であったが)を指示しただけであった。私にはいくつかの疑問、例えば食事はどこで食うのか、報酬はどうなるのか、いつまでの滞在を想定しているのか、などなど疑問はあったが質問の意味が通じるとは思えなかったし、そこは放浪のプロである。いやになったら出て行ってしまえばいい。食べるものが出てきて、労働が想像を絶する辛いものでなければ数週間ここに厄介になろうと決めた。



 意外なことにアントニオは大変親切な男だった。朝起きて指示されたとおりの餌やりと豚舎の掃除を済ませておくと、人の良い笑顔で私を母屋に連れていき、食事を振る舞いシャワーを浴びさせてくれた。シャワーは冷たい水であったが、十分な施しであった。


 2週間豚をかいがいしく世話した。広い牧場には2本のサイロと4棟の大きな家畜舎があり、私の仕事は主に豚舎の掃除、それから餌の補充であった。アントニオの態度は次第に変わり、私に与えられる食事はおかず(のようなもの)が一品増えることとなった。つまり私は彼にずいぶん気に入られたということなのだろう。

 食事は基本サルテーニャといわれるパンと野菜、それに豆のスープだったが、豚肉料理も夕飯にはついてきた。


 その夜、久々にカルロスが来て、私たちは3人で夕食を食べた。そこで私はずっと気になっていたことをカルロスに聞くことが出来た。


「なぜアントニオはここで豚を育てているのか。なぜカルロスはカツ丼を作ることが出来たのか。なぜ二人は日本人に親切なのか」


 カルロスはじろりと私を見る。

「お前は悪い奴でないから教える。ひとつ、我々兄弟とその父母はその昔この地に住んでいた日本人に大変世話になった。ふたつ、そこで我々は様々な日本の風習や文化を学んだ。みっつ、私は特に料理を熱心に学び、独自の研究も重ねておいしいカツ丼を作り出した。調味料を含めてすべてこの地で作っている。輸入品はひとつもない。醤油のようなもの出汁のようなもの味醂のようなもの…すべて私が天才的な味覚とセンス、そして語り尽くせない努力と工夫で作り出している」


「それはビックリだ。でもあのカツ丼の美味しさはアントニオが育てる豚の美味しさも大きな要素だと感じる」


 私が称えるとカルロスがそれを弟に伝え、アントニオは嬉しそうに笑った。

「ぶひひひ、なあ、豚の秘密を知りたいか?」


 私はあまりに嬉しそうなカルロスとアントニオの顔に少しだけ胡散臭さも感じ、逆に好奇心を押し込めた。何か嫌な予感がしたからだ。


「いや、遠慮しておく。それほど知りたくなくなってきた」

「何も警戒などしなくていいのだぞ。アントニオは日本式の飼育法をさらに進化させただけだ」

「日本式の飼育法?」


 意味がわからない私にカルロスはニヤリと笑う。アントニオも会話の流れがわかるのか、一緒に笑顔になっている。


「『ボン・ダンス』を知っているか?」

 私は最初カルロスの言う『ボン』をスペイン語のあいさつなどに用いる『ボン』と思い、首を傾げた。


「ボン・ダンスというのは聞いたことがないが」

「そんなことはないだろう。日本の夏には欠かせないと聞く」


 カルロスの言葉とアントニオの身振りで私はそれが『盆踊り』のことだと漸く気がついた。

「盆踊りか。それなら知っている。だが、それと養豚がなぜ結びつくのか」


 カルロスは意味ありげに私を見つめ、それから弟のアントニオに視線を向けた。カルロスとアントニオの兄弟が何か一言二言会話をするのを眺めると二人の表情に何ともうっすら陰を感じた私はもう一度慌ててカルロスに手を振る。


「カルロス、やっぱりいい。この先を聞くと私はとてもよくないことが起こる気がする。いや、すでに聞いてはいけないことに足を突っ込んだ気持ちで一杯だ。この話はここまでにしよう」


 カルロスはじっと私の表情を見て、アントニオにまた何か言う。二人が妙な笑みを浮かべ私は不吉な予感しかしなかった。その夜の話はそれで終わりだ。




 カルロスがアントニオの牧場に再び現れたのは1週間後であった。私は件の盆踊りのことはすっかり忘れ、この牧場に居着いていた。語り忘れたがこの牧場にはもう2人、使用人がいる。ただし二人とも週末の午前中に来て、豚の出荷だったり、牧草の運び出しなど人手が必要な仕事をやっていくだけで、アントニオからその日の駄賃を昼休みに貰うと私に手を振って帰っていく。


 『ペペ』『チトー』とアントニオが呼ぶこの二人はどうやら地元の若者のようだが、ペペはラパスとこの牧場のだいたい真ん中にある集落から1時間半かけてバイクでやってくる。チトーの方は近所の農家の次男坊で小遣い稼ぎに来ているようだ。どちらも気のいい若者で私を見れば、『ヤポニ』『エルマーノ』と声をかけ笑顔で話しかけてくれた。もちろんまともな会話にはならないが、それでもお互いの努力でコミュニケーションというものは取れるものだ。


 この土曜日もバイトの二人が2時間かけて牧草を取り入れ、私はアントニオの指示で豚舎の藁をすべて取り替える作業をしていた。そこに例のトラックでカルロスがやってきた。

 カルロスは満面の笑みでそこにいる3人のボリビア人と1人の日本人に告げた。


「今夜、1頭カツ丼用の豚を入荷したい」


 アントニオは鬚を人差し指と親指でつまみ、それから親指を立てて承諾の合図をした。ペペとチトーは何とも言えない表情となって顔を見合わせる。それからカルロスと何やら交渉を始めたが、兄弟二人に強い口調で説得されて渋々頷いた…ように見えた。カルロスに聞くと、今夜の豚出荷を手伝うように二人に命令したそうだ。二人は抵抗したものの押し切られたらしい。…ということはあまり楽しくない作業なのか。先日の秘密めいた会話が蘇り、嫌な予感がした。


「なぜ、明るいうちに出荷しないのか。今やればいいのでは」

 カルロスは当然の質問とばかりに私の顔を見た。

「夜でないとボン・ダンスはできないからな」


 夜の牧場のど真ん中、カルロスとアントニオの兄弟を中心に私とペペ、チトーの5人が立っていた。そしてそこには大きなやぐらが組んである。そう、盆踊りの中央にあるあの櫓に違いない。


「カルロス、こんな櫓がどこにあったんだ。もう10日以上ここにいるが初めて見た」

「それはそうだ。普段は隠してあるからな。あちらのサイロの中だ」


 ではあのサイロの中はいつもはこの櫓でほぼ一杯ではないか。サイロが2本あるのはそのせいなのだろうか。疑問が頭をぐるぐる渦巻いたが、そうこうしているうちにも準備がどんどん整えられていった。

 櫓を円の中心として放射状にロープが4本巡らされた。そのロープにはすでに明かりの灯ったランタンがいくつか結わえられている。そうだ、これは本当に盆踊りの舞台装置ではないか。櫓の上にシンバルとタムと呼ばれる太鼓が置かれている。いろいろ指摘したいことはあるが、盆踊りの準備が整った。


 いきなりアントニオが櫓の上で叫んだ。


「ドッカイショ!」


 そしてシンバルとタムを打ち始めた。


「♪シャンシャン、バシバシ、シャン、バシバシ」

「あ、ヨイソッソ!」


 これも指摘したいことはあったが、リズムは確かに『音頭』といっても間違いなかった。

 いきなり櫓の下でカルロスが唄いはじめる。手に持った拡声器で唄われるそれは確かに、しかし頭痛のするような日本語であった。。


「♪ア、ハナノマヤコノ マナナカデ、カルロスアントニオ オドレバ、ヨイジャナイケ、ヤットナオソレミオ、ヨイヨイヨイ、ラパスノマンナナカデ イイジャナイケ」


 美声であるが拡声器が壊れかけていて、少し音が割れている。そして何より概ねわかるが、よく聞いてみると何だかわからないその歌詞のせいで私の不安は煽られる。


「♪ア、ラパスメイブス、アントニノブタ、ヨイヨイ、デモッテ カルロスノカツドン ムライチバン、ヨイヨイ…」

 何がヨイヨイなのかさっぱりわからないが、快調に打楽器が響き、カルロスは歌い続ける。


 その時、近くの豚舎の扉が開いた。中から踊りながら出てきたのはペペとチトーだ。二人は盆踊りとサンバの中間のような手つきでリズムをとって踊っている。そして二人を先頭に続いて出てきたものを見て私は驚愕した。


 数十匹の豚たちが二人に続いてポテポテと歩いて出てきた。さすがに踊ってはいなかったが、首を振ったり、鼻をブヒブヒと鳴らしたりしながら(たぶん)上機嫌で一列になって歩き、やがて櫓の周りを輪になって歩き始めた。


「♪バシバシ、シャンシャン」

「♪ラパスノマナナカデ イイジャナイケ」

「♪ブヒブヒ」

「♪シャン、バシ、シャン、バシ」

「♪カルロスノカツドン イイジャナイケ」

「♪ブヒブヒ」


 君はこの様子を文章で伝えられたとき、もしやファンタジックなものと感じないだろうか。違うのだ。実際にボリビアの田舎で二人の中年男性が意味不明の音頭的なものを唄い叫び、それに合わせて豚が輪になって櫓の周りを歩く夜の光景は悪夢である。


 カルロスが歌を一休みする。アントニオのドラムは鳴り響いたままだ。

「ヤポニ、このボンダンスを朝方まで続ける。すると豚はカツドンに最適な肉質と甘さを得るのだ」


 彼は歯をむきだして笑った。

「ヤポニ、お前も踊れ。そして歌え。いい肉を作るためだ」

 私は心底恐怖した。狂っている。この兄弟、いやこの牧場の人々と豚は狂っているのだ。


 私はガチガチと歯を鳴らしながら、この光景に背を向け一目散に牧場の外へと逃げ出した。牧場の人々は誰も私を追いかけては来なかった。ただ私の背後からはいつまでも奇妙な音楽と豚の息づかいが聞こえ、追いかけてくるかのようだった。



 さて、あれから20年がたった。私が日本に戻ったのはそのボリビアの夜から2年後のことであった。荷物もすべて放り出して牧場から逃げ出した私がその後なんとか生き延びられたのは、万が一のことを考えていつも首にぶらさげていたパスポートとその間に挟んであった1000ボリビアーノ、それから深夜にもかかわらず通りかかって載せてくれた別の牧場の軽トラックによる。



 ボリビアを数日かかって脱出した私はその後ペルーからチリを放浪し、特に理由もなく放浪した旅を終え、特に理由もなく日本に戻った。その後南米には足を踏み入れていない。




 君はどう思うか。本物のカツ丼がボリビアにあると言ったら。

 あの時、豚と一緒に踊っていたらどうなったのか。それともあれは兄弟が私をおどかすために仕組んだドッキリのようなものだったのか。それにしては舞台装置が大がかりすぎるとは思うのだが。

 再度ラパスを訪ねようと考えたことは一度も無い。ただあのカツ丼、人生で出会った中で最もおいしかったカツ丼の味の記憶はずっと消えない。あの奇妙な歌と豚の息とともに。


 


 

 結構、頑張りましたがどうですか。最後が弱かったかもしれませんね。

 もちろん完全に創作です。スペイン語は何となく本物っぽい感じ、翻訳ソフトでそれらしくつくってみました。

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