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第九十一話 あり得ないこと

 慌ててマレードも剣を下ろした。まさか星華だとは思わなかったからだ。

 ファルス神聖国に入国してから星華だけはひとりで単独行動をしていた。ファルス神聖国の情報収集をするためだ。だから、星華が政庁にいても不思議ではない。

 しかし、不思議ではないが、あり得ないことなのだ。


 そんなマレードの驚きをよそに、ユーリットは星華に近寄る。


「星華さん、久しぶりね」


「ユーリット皇女殿下、お久しぶりです」


 どうやらユーリットだけは星華がここにいることを知っていたようだ。星華に微笑む。


「星華さん、今の話をシャスター様にお伝えできるかしら?」


「はい」


 星華はその場から立ち去ろうとするが、マレードが慌てて止める。


「ちょ、ちょっと待ってください! 星華さんはどこにいたのですか?」


 不思議ではないが、あり得ないことというのは、このことだった。

 マレードは神聖魔法で結界を張って周囲を見張っていた。いくら星華が並外れた実力者だとしても、結界に触れればマレードは気付く。だからこそ、結界を破って入ってきたのと同時に星華の首元に剣を突き付けることができたのだ。


 それでは、結界を破る前は星華は何処にいたのか。

 ユーリットの話だと、星華は今までの会話を全て聞いていたことになる。

 しかし、目視でも見張りを続けていたマレードは断言できる。結界の半径百メートル以内には誰もいなかったのだ。



「星華さんはね、口読みが出来るのよ」


 星華ではなくユーリットが代わりに答えた。


「口読み?」


 しかし、マレードには口読みが何のことだか分からない。


「口読みとは口の動きで何を話しているのか分かるの」


「なっ!」


「きっと星華さんはここから何百メートルも離れた場所から私の口の動きを読んでいたの。そうでしょう? 星華さん」


「はい」


 星華は淡々と答えた。

 逆にマレードは唖然とする。

 口の動きで会話が分かることに驚愕したのはもちろんだが、それを数百メートル先から見ていたとは、どれほどの視力を持っているのか。

 さすがは稀有の戦闘系職業「忍者」というべきか。


「忍者の中でも、星華さんは『くノ一』の称号を持つ最上位グランドマスターなんだから!」


 ユーリットが自分のことのように誇らしげに自慢するが、星華はやんわりとたしなめる。


「ユーリット皇女殿下、私のことはあまりお話になさらぬよう……」


「あっ、そうだったわね! ごめんなさい。でも、マレードは大丈夫よ。私が信頼する部下のひとりだから」



 そんな二人のやりとりを見ながら、カリンは内心ハラハラしていた。

 帝都エースヒルに初めて来た時、同じような光景に遭遇していたからだ。その時もシャード皇帝が大勢の前で星華が「くノ一」だと話してしまい、星華は記憶を無くす薬草をばら撒いてその場にいた者たちの記憶を消してしまったのだ。

 皇帝の前でも臆することなく平然と自分の使命を全うするのが星華なのだ。


 しかし、今回はそこまで大事にはならなかった。

 星華もマレードのことを信用に足り得る人物だと認めているのだろう。



「それでは失礼します」


 声だけ残して星華はその場から消えた。


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