第五十七話 帝都では 1
「兄上!」
衛兵の制止を振り切り、大声で叫びながら少女が部屋に入ってきた。
「もう深夜だぞ。騒々しい」
兄上と呼ばれた青年は少女に視線を向けることもなく注意をすると、そのまま書類にペンを走らせている。
「兄上!」
少女は荒々しく青年の前まで来ると、彼が座っている書斎の机を思いっきり叩く。
そこで、ようやく青年はペンから手を離すと少女に視線を向けた。
「まずは帰還の挨拶と報告が先ではないのか? エルシーネ」
「それでは言い直させて貰うわ! つい先ほど冥々の大地から戻りました。エーレヴィン宰相閣下」
優雅な素振りを見せながらエルシーネはエーレヴィンを睨みつけた。
対照的にエーレヴィンは涼しい表情のままだ。
「帰ってきて早々ですが、兄上にお聞きしたいことがあります」
「その前に調査報告はどうした?」
「……」
「まぁ、いい。調査報告はダーヴィス将軍から受けている」
冥々の大地を離れた後、ダーヴィス将軍だけは帝国の北東一帯を守護するクーゼン城に残った。冥々の大地調査の任が解かれ、元の職務に戻った形だ。
そして戻ってすぐにダーヴィス将軍は帝都にいるエーレヴィンに冥々の大地で起きたことを詳細に報告してたのだ。
「少しの時間なら質問を聞こうか」
エーレヴィンが許可した途端、エルシーネは早口で捲し立てるかのように質問を始めた。
エーレヴィンが吸血鬼の純血の四家のルーセリン公爵と知り合いだったこと。
皇族間でしか使わない皇鳥をエルシーネが一緒にいるにも関わらず、わざわざシャスターに使ったこと。
さらに、ラティーマの魔法帝を使ってルーシェの気持ちを踏みにじるような行為を行ったこと。
「ほぉ、お前はルーシェのことが嫌いだと思っていたが?」
「嫌いよ! しかし、それとこれとは話が別。少女の純粋な気持ちを道具に使うなんて兄上は最低です!」
エルシーネはエーレヴィンをさらに強く睨みつけた。
「……そうだな。お前の言うとおりだ。私が悪かった」
エーレヴィンは素直に自分の過ちを認めた。
そんな兄を見てエルシーネはさらに不機嫌になる。自分の非を素直に認めることができるなど、他者からすれば尊敬に値する人間に映るだろうが、妹からすれば鬱陶しい以外何者でもない。
「確かに私はシャスターにルーシェを引き剥がす方法を教えた」
その方法がラティーマの老師、つまりラティーマの魔法帝にルーシェがシャスターと一緒にいることを伝えることだった。四年前、ニュートの町の崩壊を知ったラティーマの老師が激怒し、そのままルーシェを帝都から連れ出したことがあった。その原因がルーシェのシャスターへの恋心だったのだ。
それを知っているラティーマの老師がシャスターへの接触を許すはずがない。エーレヴィンの策は見事に功を奏して、ルーシェは単独ファルス神聖国に向かうことになったのだが。
「しかし、私はルーシェにファルス神聖国に行くことまでは提案していないぞ」
エーレヴィンは不本意そうに呟いた。
「それはシャスターが勝手に考えたことだ。そんなことをしても、あの聡い少女が気付かないはずがないからな」
ルーシェと別れた後、エルシーネも同じことをシャスターに伝えて説教をしていた。ルーシェはシャスターの策略に気付いているが、愛するシャスターために敢えて策略に乗っかりファルス神聖国の内情を探りに向かったのだ。
「だから、ルーシェを引き剥がす方法を教えたことになら謝るが、その後ルーシェをそそのかしてファルス神聖国に行くよう仕向けたのは私ではない」
「しかし、兄上が引き剥がす方法をシャスターくんに教えたことが元々の原因なのでは……」
「エルシーネ」
鋭い口調でダーヴィスはエルシーネの言葉を遮った。
「お前の言い方を是とするならば、そもそも四年前のニュートでお前がシャスターに仲睦まじいことをしなければ、今回のことは起きなかったのではないのか?」
「ぐっ……」
何も言い返せないエルシーネだった。




