第七話 少年の願い
エルマ隊長はシャスターに攻撃を仕掛けようとする。
しかし、意外なことにシャスターは剣をおろした。
「うーん、ここで隊長と戦うのはやめておくよ」
あっさりと断ると、今度は剣を地面に投げ捨てる。
予想外の光景に周りからどよめきが起こる。
「なんだ、怖気づいたか?」
エルマ隊長が軽く笑う。
この少年がそんなタマではないことは、今までの大胆な行動で分かっている。そこで、あえて嫌味を加えて尋ねたのだ。
「いやー、それはないけど。それよりも隊長、お願いがある」
「命乞い……というわけでもないな。なんだ?」
と言いながらも、エルマ隊長は願いが分かっていた。
「フェルドの町から撤退して欲しい」という願いだろうと。
町の用心棒にとって、これ以外の願いはないはずだ。そして、確かに今の状況では叶えられる願いであるかもしれない。
エルマがシャスターを初めて見た時に、彼が町から撤退して欲しいと言っていたら鼻で笑っていただろう。
しかし、今は状況が違う。
シャスターは無類の剣の達人であり、傭兵隊全員と戦っても勝つのはシャスターだろうし、隊長の自分と一騎打ちしてもどちらが勝つか分からない。そうなれば、傭兵隊にとってシャスターと戦うことは大きなリスクなのだ。
だからこそ、シャスターはこの状況で町からの撤退を願ってくることは疑いもなかった。
(最初からこれを狙っていたとすると……なかなか油断のならない少年だな)
嫌味と賞賛が半々の表情でエルマ隊長はシャスターを鋭く見つめた。
先ほど傭兵たちを黙らせた眼光であったが全く効いていないらしく、涼しい表情で隊長を見つめ返している。
それと同時にエルマ隊長は腹を決めた。
(ここは一旦退こう)
このまま一騎打ちで勝ったとしても自分も無傷とはいかない。かなりのダメージを受けるだろう。それに必ず勝てる保証があるわけでもない。
ここで大きなリスクを負うわけにはいかないのだ。
もちろん、ここで退く場合でもリスクはある。たったひとりの用心棒のために傭兵隊が退却したら、領主の逆鱗に触れることは間違いない。下手をすれば、隊長の自分は殺されるかもしれない。
しかし、それ以上に傭兵隊の全滅は避けねばならないのだ。傭兵の命を預かる身としては、それが最も正しい判断だとエルマ隊長は考えていた。
さらに、傭兵隊は騎士団のいい笑い者になるだろう。しかし、笑いたければ笑わしとけばいい。
次回は騎士団がこの町に来て全滅するだけだ。
「分かった。お前の望み通り、町から手を引こう」
その直後、二種類の声が響き渡る。
一つは傭兵たちから呻き声のような悔しがる声。
もう一つは防壁の上からの人々の歓声。
当然のことながら後者の方が大きな声だ。
「シャスター! 凄い凄い凄い!」
一際大きな声でカリンが喜んでいる。
彼女は籠城戦で、自分も含めて戦いに参加した人々はほとんどが戦死すると思っていた。
ところが、シャスターの知略のおかげで誰も死なない無血勝利となった。
あり得ない勝利、奇跡の完全勝利だ。
大歓声は止み終ることなく、城壁から響き続けてくる。
しかし、人々からの大歓声を受けながらも当の少年はあまり嬉しそうではない。それどころか、少しムスッとしている。
「どうした、嬉しくないのか?」
(我々を追い込んで勝ったのはお前の知略だろう)
エルマ隊長は声に出さずに続けたが、シャスターからは意外な言葉が返ってきた。
「あのさー、俺の望みは町から撤退してもらうことじゃないけど」
「……え!?」
シャスターは頭を軽く掻きながら、もう一度エルマ隊長に目を向ける。
「隊長、俺を傭兵隊に雇わない?」
「はぁ!?」
不覚にもエルマ隊長は言葉の意味を理解できずに唖然としてしまった。
いや、エルマだけでなくここにいる全員が呆気に取られている。
「あ、いや……その、お前の望みは、俺たち傭兵隊が町から撤退することではないのか?」
「町からの撤退? そんなことは町長たちが考えることであって、用心棒の俺には関係ないよ」
確かにその通りではあるが……エルマ隊長は態度にこそ出さなかったが、心の中で頭を抱え込んだ。
この状況下で、町にとってベストな状況は傭兵隊の撤退だ。それ以上の好条件はない。撤退自体があり得ないほどの条件なのだ。
それなのに、目の前の少年はそのベストな条件はどうでもいいから、自分を傭兵隊に入れてくれと言っている。
このシャスターという少年は何なんだ?
大バカ者なのか?
天然なのか?
それとも何かの作戦なのか?
エルマ隊長はますます頭が混乱してくるが、質問することで頭を整理することにした。
「傭兵隊に入るということは、フェルドの町と敵対することになるのだぞ。お前には町への恩義はないのか?」
「いやー、用心棒といってもフェルドの町に恩義があるわけではないし。町に来たのはまだ昨日だし。傭兵隊に入った方が楽しそうだしさ」
あっけらかんとしたシャスターに、エルマ隊長よりも町人たちが理解に苦しんでいる。特にカリンは怒りに身を震わせていた。先ほどまでのシャスターへの賞賛の笑顔はとっくに消えて無くなっている。
「こらー、シャスター! あんた一体何を考えているの?」
顔を真っ赤にして大声で怒号を発している少女を無視して少年は話を続けた。
「町の用心棒代として一日金貨二枚だったけど、それ以上出してくれるなら傭兵隊に行ってもいいと思っている。そうだな、金貨三枚とか?」
「金貨三枚だと!? ふざけるな!」
今度は傭兵たちから怒号が上がる。彼らでも金貨三枚は法外なのだろう。
「それともここにいる傭兵たちの日当の合計が金貨三枚になるまで、彼らを倒せばいい? そうすれば、金貨三枚分の余計な出費は抑えられるよ」
新たに自分を採用すると金貨三枚の出費は大変だろうから、金貨三枚分の傭兵たちを自分の手で傭兵隊から追放するというのだ。
「さて、誰から戦う? 全員でかかってきてもいいよ」
シャスターの無邪気な、それでいて冷徹な表情に、先ほどまでの怒声は一気に消えた。
「おいおい、お前に金貨三枚も払ったら傭兵隊が半数になってしまう」
「えー、そうなの!? 傭兵でも大して貰っていないのか」
「騎士団のように貯め込んではいないからな。それにお前が傭兵隊に来ても特別扱いはしないぞ」
「なんだ、つまらないの」
軽くため息をついたシャスターだったが、すぐにエルマ隊長の言葉の意味に気付いた。
「と言うことは、入隊決定!?」
シャスターは微笑んだ。本当に嬉しそうだ。
「これほどの強さを見せつけられたのだから仕方がない。傭兵隊への入隊を認める。ただ、金貨三枚の件は俺では決められない。強い者好きな領主に直接頼んでみろ」
そう言うと、エルマ隊長は馬に乗りこむ。
「戦いは終わりだ。お前たち、戻るぞ」
エルマ隊長はかなり拍子抜けした様子だった。それはそうだろう、一戦も交えることなく撤退をしなくてはならないのだ。肩をがっくりと落としたその後ろ姿には哀愁さえたたずんでいた。
傭兵たちも隊長に従い、各々が馬で来た道を戻ろうと準備を始める。
この戦いは終わったのだ。
あまりにも意外で、あっけない形で。
でも、誰一人として死なない戦いだった。