第五十八話 ローブの紋章
オイト国王も驚愕しながら、エルマたちと同じことを確信していた。
(あの小僧は……魔法使いだ!)
しかも、同じ魔法使いである分、オイト国王の推測の方が遥かに正解に近かった。
オイト国王は伝説の魔法学院であるイオ魔法学院で魔法を学んでいた時、この炎と同じ現象を見たことがあったからだ。教師が一度だけ見せてくれた火炎の竜巻という魔法だった。
オイト国王はイオ魔法学院を去った後もその魔法の威力が忘れられず、火炎の竜巻を習得しようとしたが未だにできていない。
なぜなら、オイト国王の魔法使いレベルは八だが、火炎の竜巻を習得するのに必要なレベルは十だからだ。
オイト国王はイオ魔法学院を去ってから約十年、やっとのことで魔法使いレベルを八までに上げることができたが、レベルを十に上げるまでには更にあと十年はかかるだろう。レベルは上がれば上がるほど極端に修行時間が長くなる。
それほどまでに魔法使いのレベルを上げることは大変なことなのだ。
それなのに、火炎の竜巻が目の前で暴れている。
しかもオイト国王がイオ魔法学院で見たものよりも大きく激しい炎だ。
さらにそれが一本だけでなく四本も同時に暴れまくっている。
「ありえない、ありえない、ありえない!」
オイト国王は発狂しそうになりながら叫んだ。
目の前の小僧が魔法使いであることは認めざるを得ない。
しかし、これほどの火炎の竜巻を作るのには、魔法使いレベル十五、いや二十は必要なはずだ。
そんな魔法をたかが十数年しか生きていない小僧がマスターしているはずがない。
混乱しつつも自分にそう言い聞かせながら、オイト国王は改めて周辺を見渡す。
ちょうど、火炎の竜巻が消えたところだった。
魔法部隊の魔法使い全員が炎に飲み込まれた跡には何も残っていない。あまりにも高熱だったため、遺体のカケラさえも残らなかったのだろう。
先ほどまでの灼熱地獄がまるで嘘のように静まり返っている。しかし、大気だけはまだ熱さを残したままだった。
「魔法部隊は全滅した。あとはお前だけだ」
「ち、近づくな!」
オイト国王は声を張り上げながら僅かな魔力を振り絞って火炎球を投げつける。
しかし、シャスターはその火炎球を避けることをさえしない。シャスターに当たった炎はそのまま消えてしまうからだ。
「な、なぜだ!?」
尋ねながらも、オイトは一つの答えを導き出していた。
魔法使いレベルが、自分より二倍高い相手になると魔法が効きにくくなる。
ただ、その場合でも多少は相手も傷つくのだが、全く魔法攻撃が効かない場合もある。それは魔法使いレベルが相手よりもさらに格段に高い場合だった。
つまり、シャスターの魔法使いレベルはオイト国王のレベルよりも数倍レベルが高いことを意味する。
しかし、それでもオイト国王は信じなかった。
「き、貴様が儂よりレベルの高い魔法使いのはずがない。儂は十年間も鍛錬を積んできたのだ。儂の火炎球が効かないのも、貴様が火炎の竜巻を放ったのも、マジックアイテムか何かに違いない。儂は信じぬぞ!」
その言葉にシャスターは少しだけ驚いた。
信じてもらえなかったことにではない。
「火炎の竜巻を知っているの? イオ魔法学院を一年で退学になった者には教えていない魔法のはずだけど」
シャスターの言葉に今度はオイト国王が驚いた。
「なぜ、貴様がイオ魔法学院のことを知っている? 貴様は何者なのだ?」
「まだ分からないか」
次の瞬間、シャスターの服装が一瞬で変わった。
魔法の鞄の機能なのだろうが、そんなことはどうでも良かった。
それ以上に、新しく着ている服にオイト国王だけでなく、その場にいる誰もが釘付けになってしまったからだ。
それは白いローブだった。
ただし、白といっても全身が真っ白というわけではない。縁など随所に黄金色や赤色の刺繍や模様を施したローブだ。
そして、そのローブはオイト国王直属の魔法部隊が着ていたような、一般的な魔法使いが着る大きな布を被せたものとは明らかに違っていた。
ローブには輝く貴金属や宝石が多く使われている。また、肩や胸、腰の一部には金属が使われていて、動きやすく頑丈そうな作りは、ローブというよりは軽鎧に近いようにも見える。
いずれにせよ、優雅さと機能美を兼ね備えた美しいローブには変わりない。
そんな、誰もが見たことがない不思議なローブ。
ただし、誰もが最初に思う一言は同じだった。
「綺麗……」
カリンが思わず口に出したが、それはこの場にいる誰もが思った。
そのローブはシャスターの容姿と溶け込んで、美しさを通り越して神々しささえ感じられる。
オイト国王もその美しさにしばらく我を忘れていた。
シャスターが近づいてくると、さらに眼を見張る美しさだった。
真っ白な生地を主体にして、輝き放つ黄金色とルビーのような真紅のラインが流線を描くように優雅に……。
「あっ!!」
オイト国王は思わず声を上げてしまった。
見たことのある、いや、忘れることができない紋章がそのローブの胸元に刻まれていたからだ。
「そ、そ、それはイオ魔法学院の紋章!」
金色に輝く五芒星の中央に炎の模様が描かれている……イオ魔法学院で学んでいた時によく見ていた紋章だから忘れるはずがない。
「き、貴様は……いや、ま、まさか……あなたもイオ魔法学院で学ばれた方でしたか!」
それと同時だった。
今まで尊大でいたオイト国王がいきなりシャスターに向かって土下座をして頭を下げたのだ。
これには誰もが驚いた。この国で一番偉く、一番自尊心が高く、一番悪名高い男がシャスターに対して許しを乞うているのだ。
「父上が頭を下げている……」
その中でも一番驚いているのは、当の息子であるラウスだった。絶対君主として他者を抑圧していた姿を子供の頃から見てきた彼にとっては、天地がひっくり返るほどの出来事だった。
しかし、オイト国王にとっては外聞を気にしている状況ではない。国王としての立場よりも目の前にいるシャスターへの謝罪の方が重要だった。
イオ魔法学院の紋章をまとえるということは、イオ魔法学院でもかなりの実力者ということだろう。
そうであれば、オイト国王に勝ち目はないからだ。
「やっと分かったか」
「はい!」
「他国のことにあまり干渉したくないけど、この状況を見ればお前でも分かるだろう?」
シャスターは辺りを見渡す。
すぐ近くには騎士団長ウルと彼を守ろうとする分団長たち、その先にはラウス、エルマ、マルバスがおり、さらに遠くには同じくウルを守ろうとして駆けてくる国王軍の騎士たち……オイト国王に味方する者は一人もいない。
オイト国王はがっくりとして頭を下げた。
辺りを見回すと自分でも状況が理解できたからだ。
「……分かりました。私はラウスに王位を譲ります」
「なっ!?」
声を上げたのはラウスだった。
驚いたのは王位を譲られたことにではない。父が他者の命令を素直に受け入れたことにだ。
しかも、父にとって最も大切な権威の象徴である国王の座だ。
さらに言えば、この戦争は国王の座を巡っての戦いのはずだ。そのために両軍に多数の死者が出ている。それなのに、国王が自らその座を手放すとは。
ラウスは父の決断が全く理解できなかった。
いや、そもそも父にそのような決断をさせることができるシャスターに驚く。
そのシャスターはオイト国王の受諾を聞いても何も驚くことはない。彼の目は冷たいままだった。
「そ、それで、私は許して頂けるのでしょうか? お願いします、殺さないでください!」
必死になってオイト国王は懇願した。
このままでは殺されることは確実だったからだ。フローレを殺し、フェルド町の人々を殺したのだ。殺されて当然だった。
「許されると思っているの?」
「お許しください! これからは罪を償うことだけに生きていきたいと思います。どうか、お許しください!」
「はぁ……」
さらに冷たい眼差しを向けたシャスターだったが、復讐しても意味がないことも理解していた。そんなことしても、フローレもフェルドの人々も戻ってこない。
「ごめん、カリン。許してあげていいかな?」
オイト国王への冷たい表情から一変して、カリンに向けた表情は悲しみを隠した穏やかな表情だった。
「シャスターがそう決めたのならそれでいいよ」
カリンは静かに微笑みながら答える。
もちろんオイト国王に対して怒りや悲しみが消えたわけではない。いや、一生消えることはないだろう。
しかし、それでもカリンはシャスターの決めたことを信じた。
「ありがとう」
シャスターもカリンに優しく微笑んだ。




