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第五十三話 悲しみの約束

 カリンはオイト国王が放った火炎球(ファイア・ボール)に思わず目を閉じた。


 次の瞬間、身体中が熱い炎に包まれる……そう思っていたカリンだったが、不思議なことにいつまで経っても身体が熱くならない。


 恐る恐る目をゆっくり開くと、目の前で何かが大きく燃えている。

 一瞬、何事が起きたのか分からなかったカリンだが、辺りを見渡し何が燃えているのか分かった途端、愕然とした。



「……フローレ姉さん!?」



 カリンの目の前で燃えているのはフローレだった。


「フローレ姉さん! フローレ姉さん! フローレ姉さん!」


 何度も泣き叫びながらカリンは必死にフローレに近づこうとするが、磔にされていて動くことが出来ない。


 一体全体何がどうなっているのか全く分からない。

 先ほどまでフローレもカリンの横で磔にされていたのに、いつの間にかカリンと火炎球(ファイア・ボール)の間に割って入って、身を呈してカリンを助けたのだ。


「フローレ姉さん! どうして!?」


「……カリンちゃ……、良かっ……」


 フローレはシャスターがくれた自動短剣オートマティックダガーを使って自らのロープを切り、カリンの前に飛び込んだのだ。

 カリンを守るために自らの命を犠牲にして。



「フローレ姉さん!」


 カリンはさらに何度も叫び続けるが、炎の中からはもう返事が返ってこない。



 そんな状況の中、いち早く辿り着いたのは星華だった。

 燃えているフローレから炎をすぐに消して、身体中に回復系ポーションをいくつもかける。


 突然現れた漆黒の少女の冷静で素早い行動に、カリンだけでなく誰もがただしばらく呆然と眺めていたが、ふと我に帰った騎士が星華に怒号を飛ばして近づく。


「貴様、一体何者だ! どこから現れ…… 」


 その騎士は最後まで言葉を発せられなかった。

 本人も気付かぬうちに、喉に手裏剣が突き刺さっていたからだ。騎士はそのまま血を流しながら倒れ込んだが、星華は騎士など眼中に入っていないまま、フローレにポーションをかけ続ける。


 その異様な光景と不気味な強さに圧倒されて、誰も星華に近づけない。そのため、星華は誰にも邪魔をされることなくポーションをかけ続けることができた。


 その甲斐があってか、フローレの身体は見る見るうちに元の美しい姿に戻っていった。



「……星華さん、ありがとう」


 か細い声でフローレが薄く目を開く。

 星華は無言のまま、フローレをゆっくりと地面に寝かすと、隣で磔にされているカリンを解放した。


「フローレ姉さん!」


 やっとカリンはフローレを抱きしめることができた。


「泣かないで、カリンちゃん……せっかくの美人が台無しよ」


 フローレが静かに笑った。

 しかし、無理して笑っているのがカリンには分かった。

 抱きしめた瞬間、フローレに全く生気が感じられなかったからだ。ポーションのおかげでフローレの外見は元に戻った。しかし、命を回復させるには遅かったのだ。



 フローレの命はもう少しで消える。



 そして、そのことはフローレ自身が一番よく分かっていた。泣きじゃくっているカリンの頭を優しく撫でる。


「カリンちゃん、ごめんね。私のせいでフェルドのみんなを犠牲にしてしまって」


「フローレ姉さんは悪くないよ!」


「その通りだ。フローレは何も悪くない。悪いのは俺だ」


 少し生気が戻ったかのようにフローレの表情が輝いた。

 シャスターが目の前に立っていたからだ。



「シャスター様、お役に立てずにごめんなさい」


「謝るのは俺の方だ。フローレ……ごめん」


 シャスターの沈んだ表情を見て、フローレはもう一度笑った。


「それじゃ、お詫びに一つだけお願いを聞いてください」


 フローレは起き上がろうとしてシャスターの手を掴んだ。慌ててシャスターがゆっくりと上半身を起こし、カリンが背中を支える。もう自分では起き上がれないのだ。


「何でも聞くから、無理しちゃ駄目だ」


「ありがとうございます」


 フローレは微笑んだ。元々色白だった顔色がさらに真っ白になっている。


「私の願いは……カリンちゃんをこれからずっと守ってあげてください」


 シャスターとカリンは目を合わせた。こんな状況で自分のことよりもカリンの心配をすることに驚いたからだ。


「フローレ姉さん……」


「私はフェルドのみんなを、カリンちゃんのお兄さんやおじいちゃんを……カリンちゃんが頼れる人たちを奪ってしまいました。カリンちゃんを一人ぼっちにさせてしまいました。だから、シャスター様お願いします。カリンちゃんを守ってあげてください」


「さっきも言っただろう? フローレは悪くない、悪いのは俺だ。だから責任を持って俺がカリンを守る」


 シャスターの言葉にフローレは静かに頷くとカリンを見つめた。


「カリンちゃん、これからはシャスター様を頼るのよ」


「嫌だよ、フローレ姉さんとずっと一緒にいる!」


「わがままを言わないの。私もカリンちゃんとずっと一緒にいたいよ。でも、私はもう無理なの」


 フローレの頬を一筋の涙が溢れた。カリンの気持ちに応えられないのが悔しいのだろう。


「でも、大丈夫。これからはずっとカリンちゃんを見守ってあげるからね」


 フローレは遠い目で空を見つめた。

 そう、これからは何も苦しむことなく空から見守ることができる。

 それが分かってか、カリンはもうわがままを言わなかった。最後にフローレを困らせたくなかったからだ。


「うん……分かった。フローレ姉さん、約束だよ!」


 泣きながらも笑顔でカリンは大きく頷いた。


「うん、約束。カリンちゃん、これからもその明るい笑顔を忘れないでね」


 しばらくの間、フローレはカリンを見つめていた。その表情には優しそうな笑みが浮かんでいる。

 二人は本当に姉妹のように接していたのだ。それがよく分かる光景だった。



 しばらくして、カリンとのお別れの時間が済んだのだろう。フローレはシャスターに視線を戻した。


「シャスター様……」


 もう声もか細くなってきて、聞き取れなくなってきている。シャスターは顔をフローレに近づけた。


「どうした?」


「シャスター様、愛しています」


 それはフローレの最期の力だった。

 顔を近づけたシャスターの唇にフローレの唇が重なる。

 それはとても柔らかくて温かくて、でも一瞬で終わってしまう悲しい感触だった。



 フローレが静かに目を閉じる。



「フローレ姉さー-ん!!」


 カリンが泣きじゃくりながら叫び続ける。

 しかし、その声は戦場に虚しく響くだけで、フローレは二度と声を出すことも目を開けることもなかった。



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