第四十五話 同じ苦しみを
「戦闘が始まりました」
星華の報告にシャスターは大きくうなずいた。
二人は大木の上にいたのだが、その太い枝に腰掛けながら見渡すと、一人ひとりの騎士が小さな点のように見える。その点が集まり大きな図形のようだ。
そして今、両軍の図形がぶつかり始めているのだ。
その図形はぶつかっている面を中心に何度も波のように押したり引いたりしている。遠くから見ていると、まるで生き物のように二つの図形は動いていた。
「迫力があるねー!」
シャスターはずっと眺めていたかったが、その時間は短かったようだ。
「デニムがそろそろ到着します」
デニムは星華が幻術で作ったシャスターを追いかけながら、この大木の元まで誘導されてきたのだ。
星華の幻術によってデニム軍は翻弄され、幾つもの細かい小隊に分断されていた。その中でデニム本人がいる本隊だけをうまく誘導し、シャスターのもとへ辿り着かせたのだ。
ただ小隊とはいえデニムと共に行動している騎士は百人以上いる。
シャスターは大木から飛び降りて、デニムを迎えた。
「デニム様、ようこそおいでくださいました」
「こいつを殺せ!」
デニムの号令と共に前面にいた数人の騎士が剣を上げて襲い掛かるが、シャスターに届く前に全員が落馬する。
「まずは話し合いましょう」
「……いいだろう」
シャスターの提案にデニムは渋々だが了解した。
不思議なことに、シャスターに襲い掛かった騎士たちが突然落馬したのだ。なにか罠があるに違いない。
そのくらいの判断はデニムにもつく。だからこそ話し合いを受けたのだ。しかし、それでもデニムの怒りは相当なものだった。
「貴様は最初からラウスとグルだったのか。この俺を侮辱した罪、絶対に許さんぞ!」
怒りがビシビシと伝わってくる。しかし、そんなことを気にすることなくシャスターはいつも通り平静だった。
「俺はラウスとグルではないですよ。本当にただの旅人です。ただ、ラウスを助けたのは、デニム様よりも良い国をつくってくれると思ったからです」
「何だと?」
「あなたは領民のことをただの奴隷としか思っていない。だから、役に立たなければ躊躇なく殺す」
シャスターは言いたいことを歯に着せぬ勢いで話す。しかし、デニムは逃げ出すことが出来ない小僧などいつでも殺せるという自信からか、論戦に応じることにした。
「当たり前だ。領民は俺のものだ。俺がどうしようが俺の勝手だ」
「しかし、ラウスは違った。領民の幸せを第一に考える施策を取った。だからこそ、東領土は潤い始めた」
「ふん、奴は甘過ぎるのだ。東領土は今は良いだろうが、そのうち領民たちがつけ上がり、権利を主張してくるに決まっている。そうなった時、奴は自分で自分の首を締めていたことに気付くのだ」
「ラウスが敢えて領民たちに権利を与えようとしているのが分からないのですか? その方が将来的に領土が潤うからですよ」
「領民に権利など与えたら、我々王族の権利が失われていくことを無能なラウスは理解できない。いいか! 領民に権利などを与えて媚を売る必要はない。領民など生かさず殺さず税を払わせればいいのだ!」
ここまで考え方が百八十度違うとむしろ爽快だった。
デニムは絶対にラウスと相容れることはない。
そして、シャスターとも。
「はぁー、やはり無理だったようですね。あなたには大金を貰ったので、最後のチャンスで心を入れ替えてくれればと思ったのですが」
「馬鹿か、貴様は! 心を入れ替えるのはラウスの方だ!」
「思っていた通りあなたの為政者として失格だし、人間としても最低だ。でもまぁ、その方が俺も躊躇なくあなたを倒せるので良かったです」
律儀にも部下として対応していたシャスターだったが、それもここまでだった。
気持ちを切り替えた瞬間、表情も態度も変わる。
「人々を苦しめたことに全くの罪悪感がないお前にこの国を治める資格はない」
凛とした雰囲気は、デニムでさえ一瞬躊躇させた。
「き、貴様ごときに言われる筋合いはないわ! 俺は最初から貴様を殺すつもりだ!」
一瞬怯んだことを悟られぬようデニムは大声を上げた。
「王族への背信行為は万死に値する。全員でこいつを殺せ!」
再びデニムの号令が飛ぶと、周辺にいた騎士たちはシャスターに突進してきた。先ほど突然落馬した騎士たちはまだ戦闘不能だったが、それでもまだ百騎ほどが残っている。罠があるにしてもこの数ならば余裕でシャスターを倒せると思っていた。
しかし、ここで一つデニムの計算違いが発生する。百騎が同時にシャスターに襲い掛かることはできないのだ。しかも、馬に乗っているとさらに行動範囲が狭くなる。大木を背にしたシャスターと同時に戦えるとなると数人が限界だ。
ただ、それでもたったひとりを殺すのに数人もいれば充分だった。しかも、シャスターは馬に乗っていない。馬に乗っている者と乗っていない者が戦う場合、馬に乗っている方が圧倒的に有利なのだ。
最初の騎士たちの一撃で終わる戦いだ。
騎士たちは誰もがそう思った。
しかし、残念ながらここにいる騎士たちは、そのたったひとりが彼らの騎士団長たちでさえ足元にも及ばない程の実力者であることを知らなかった。
シャスターは慌てることもなく優雅に一人ひとりの攻撃を避けていく。しかもその避け方は攻撃のギリギリのところで素早く避けるため、騎士は勢い余って体勢を崩してしまい落馬していく。
そんな状況が十数人続いたところで、シャスターの周りは大混乱していた。
落馬で地面に倒れて動けない十数人の騎士たちが邪魔をして後続の騎士たちがシャスターに近づくことができない。しかも、乗り手を失った十数頭の馬たちが暴れ回っている。
「なんだ、この少年は!?」
騎士たちは常人離れしたシャスターの動きに驚きを隠せないでいた。
ただの少年ではないと理解した騎士たちは攻撃を続けることを一旦止め、とりあえず倒れている騎士を助けようと後続の騎士たちが近寄る。
しかし、不思議なことに彼らが乗っている馬が急に暴れ出して落馬してしまう。これは星華が遠くから馬に向かって小さな礫の手裏剣を投げているからなのだが、当然ながら誰もそんなことに気付くはずがない。
剣の達人と一流の忍者が組んでいるからこそできる戦い方だった。ここにいる百騎の騎士たちを殺さずに倒すことなど二人にとって造作もないことだ。
シャスターのいる場所を中心にどんどん騎士たちが落馬し、馬たちが暴れ回り、混乱が広がっていく。
しかし、ここで突然信じられないことが起きた。
デニムが倒れている騎士たちや暴れている馬に向かって火炎球を放ったのだ。
「ぎゃー!」
騎士たちは火ダルマになり奇声を上げる。火がついた馬たちはさらに制御不能になり、そのうちの数頭が燃えながらシャスターに突進していく。
常軌を逸した行為にシャスターの行動も一瞬遅れた。しかし、その一瞬で充分だった。
火ダルマになった馬が一頭また一頭とシャスターにぶつかっていく。避けることができなかったシャスターは燃えている馬と共に倒れ込んでしまった。
そこにデニムが容赦なく火炎球を投げ込む。
「うわはははっ、死ね、死ね!」
大きく燃え上がる炎は辺り一帯を明るく照らす。それを見ながらデニムは残虐な笑みを浮かべた。
まだ攻撃に参加していなかった多くの騎士たちは、あまりにも悲惨な光景に息を飲んだ。生きながら焼かれる多くの騎士と馬たち、それが大きな炎となって燃えているのだ。
誰もがデニムの異常さを目の当たりにして恐怖で顔が青ざめている。満面の笑みで笑っているのはデニムだけだ。
「馬鹿な奴よ、あの世で俺に逆らったことを後悔しろ!」
「後悔はしないけどさ。味方ごと殺すなんて、ほんとゲスだね」
「なっ!?」
デニムは驚く。
燃えている炎の中から声が聞こえてきたからだ。
「火炎球! 火炎球! 火炎球!」
慌てたデニムは目の前の炎の球を何度も投げつける。炎はさらに大きく燃え上がったが、それも束の間だった。
不思議なことに、激しく燃えていた炎が突然消えたのだ。
「ど、どうしたのだ!?」
慌てふためくデニムは、さらに驚く光景を見た。
消えた炎の中にシャスターが立っていたからだ。
「ばかな……」
デニムはとっさに馬を返して逃げ出そうとする。しかし、馬が突然暴れ出しデニムを振り落とした。星華の放った礫のせいだ。
落馬したデニムは足を痛めたらしく立ち上がれない。それでも這って逃げようとするが、シャスターの歩みの方が速かった。
「可哀想に。まさか味方から攻撃を受けるなんて思ってもいなかっただろうに」
シャスターは周りで倒れている騎士たちを悲しそうな表情で見つめた。
軍に所属する騎士にとって上官の命令は絶対である。だから、デニムがシャスターを殺せと命じれば殺そうとするし、それでシャスターに反撃を受けても仕方がないことだ。
しかし、今回の殺されかたは意味合いが全く違う。上官であるデニムから非道な攻撃を受けるなど、彼らは思ってもいなかったに違いない。
「部下を犠牲にするなんて、ほんと人間として最低だね」
「うるさい、黙れ!」
デニムは大声で威圧するが、それが虚勢だと誰の目にも明らかだ。まさか、シャスターが炎の中から無傷で現れるとは思っていなかったからだ。
いや、デニムに限らずここにいる騎士の誰もが驚愕しているが、騎士たちの心情は少し違った。彼らのほとんどが仲間を殺された恨みから、デニムに対して「ざまぁ、みろ!」と思っていた。
それを表すかのように、騎士たちはシャスターとデニムからゆっくりと離れていく。
「お、お前たち、はやくこの小僧を倒せ!」
デニムは騎士たちに命じるが、彼らはデニムの指示を無視してさらに二人との距離を開けていく。部下を殺しの道具に使うような者を上官とは認めない、そんな意思表示だ。
そもそも騎士たちにとってデニムは上官ですらない。デニムが戦闘に参加したいという理由でウル騎士団長が一時的に貸し与えた騎士たちなのだ。
互いに信頼関係も深い繋がりもない中で、部下を部下とも思わない非道な殺し方をされれば、騎士たちも従おうとは思わない。
「お前たちも裏切るのか! 王族に逆らったらどうなるのか分かっているのだろうな? お前たちも全員処刑だ!」
怒りの形相で叫ぶデニムにシャスターは大きくため息をついた。
「誰もお前を指揮官、いや王族とは認めていないのさ」
「認めるもなにも、俺は王族なのだ。こいつらは俺の命令を聞かなくてはならないのだ。さあはやく小僧を殺せ!」
当然ながら騎士たちは誰も動かなかった。さらに離れていく。ただ一人、シャスターだけがゆっくりとデニムに近づいていった。
「もうそろそろ終わりにしよう」
そう言い放った表情はいつものシャスターとは想像できないほど無表情だった。ゾクっと寒気を感じたデニムは火炎球を投げるが、倒れたままの体勢のせいか、あるいはシャスターが素早く避けるせいか、一発も当たらない。
「そんなもの当たらない」
「うるさい! 俺は王子で魔法使いだ! 貴様とは身分も強さも天と地ほども差があるのだ。貴様が俺に敵うはずがない!」
自暴自棄になりかけていたデニムだったが、シャスターが目の前まで近づくと右手に力を込めた。すると、今までの火炎球よりも二回りも大きい炎の球が現れる。
「俺の全ての魔力を注いだ特大の火炎球だ。この至近距離では貴様でも避けきれまい」
デニムは勝利を確信しながら火炎球を投げた。
しかし、それと同時にデニムは見た。炎越しに見えたシャスターがまるで自分を哀れむような表情をしていることを。
「反射魔法」
誰にも聞こえない小さな声でシャスターが呟く。
するとデニムが放った火炎球が突然動きを止めて反転したかと思うと、魔法を放ったデニム自身に向かって襲い掛かった。
「な、なんだ!? うわぁー!」
自らの炎に包まれたデニムは燃えながら暴れまくる。しかし、それでも炎は全く衰えることなくデニムを燃やし続ける。
「助けてくれ!」
炎の中からデニムの声が聞こえた。燃えながら話すことができることに騎士たちは驚いているが、シャスターには理由が分かる。火炎球を使えるだけあって、炎の耐性は普通の人間よりも強いのだろう。
「今までそうやって助けを求めた者を一度でも助けたことがあった?」
「他の奴などどうでもよい。俺はこんなところで死ぬ人間ではない!」
「そう思っているのはお前だけだよ。せめて最後は殺された者たちと同じ苦しみの中で死んでゆくがいい」
「きさま……」
しかし、声が聞こえてきたのはここまでだった。
それ以降、デニムは声を出すことも動くこともなく、激しく燃えている炎の中で崩れていった。
デニムは自らの炎で死んだのだ。
「自業自得だ」
シャスターは燃えている炎を背にしてその場から離れた。
あとは、国王軍とラウス軍で勝敗を決めればいい。もうシャスターは手出しするつもりはない。ここから先はレーシング王国の問題だ。
シャスターは大木の上に再び登ると、遠くに見える戦況をのんびりと見ることにした。




