第四十三話 再びテントの中で
ウル騎士団長とベノン分団長、そして囚人のシャスターという異様な三人組は、戦闘準備に取り掛かっていた騎士たちの目に奇妙に映っていたが、当然ながら誰も声は掛けない。誰も見て見ぬ振りだ。
そんな中しばらく歩いた後、三人はデニムのテントに着いた。
デニムのテントはウルのものよりさらに一回り大きく豪華な造りだった。
護衛している騎士から敬礼を受けながらウルはテントの中に入る。中にはデニムが連れてきた数人の文官がおり、その奥にはデニムが椅子に座って酒をあおっていた。
「かなり飲んでおられるようですが、戦いの前です。謹んでいただきたい」
デニムは王領騎士団から千五百人の騎士を預かり前方右翼を任されていた。ウルとしては八千人のうち千五百人も割きたくはなかったのだが、デニムが戦いたいということで渋々騎士を貸したのだ。それなのに、その本人が酔っ払っているのだ。たまったものではない。
ウルの嫌みにデニムは飲んでいたワイングラスを彼の足元に叩きつけた。
「ふん、国王に見放された俺を笑いに来たのか? いくらお前が強くても魔法使いの俺には敵わんぞ!」
ラウスを逃してしまい、国王から無能呼ばわりされたデニムはかなり酔っていた。全てはあのシャスターのせいなのだ。奴が親衛隊を使ってラウスを捕まえていれば、今頃こんなことにはなっていなかったのだ。東領土も手に入り、次期国王は確実だったのだ。
それを無能なシャスターのせいで……デニムの頭の中は復讐心で一杯だった。
「シャスターの奴を必ず見つけ出して殺してやる!」
呪詛のような言葉に文官たちは恐怖で動けない。皆怖くて震えている。ウルでさえも、デニムの憤怒の形相にたじろいでいた。
しかし、その中でひとりだけウルの後ろから悠々と歩み出た者がいた。
「そういうのを責任転嫁と言うのですよ、デニム様」
その者はデニムに臆することなく意見を述べる。
と同時に、発言者はすぐに殺されると誰もが確信した。
デニムを非難するなど愚の骨頂だ。しかも最悪に機嫌が悪い時に非難するとは自殺行為だ。
しかし、同時に誰もが不思議に思う。
そんな馬鹿者がこのテントのなかにいただろうか。
「誰だ? 俺に逆らう奴は……」
当然ながらデニムは激怒するが、そんなデニムの怒号が一瞬止まった。しかも、怒りから残虐な笑みに変わる。
なぜなら、目の前にずっと切望していた少年が立っていたからだ。
「でかした、ウルよ。お前が捕まえてきたのだな?」
「はい、左様でございます」
嘘であるが、捕まっている当の本人の希望なのだから仕方がない。
平静を装いつつウルはデニムに一礼するとシャスターを残し、テントから一目散に出て行った。
この後、二人のせいで自分の身に火の粉が降り注がないためだ。
両者が相入れることはないだろう。デニムはシャスターを赦すことはしないし、シャスターも黙って殺されることはない。となれば、二人の戦いは必須だ。
その場合、どちらが勝つにせよ、凄まじい戦いになることは間違いない。そんなところに自分が居合わせて、後で国王から責任を取らされたらたまったものではないからだ。
しかし、勝負自体はとても気になる。
国王一番弟子の魔法使いであるデニム。
至近距離からの魔法攻撃でも避けることができる剣士シャスター。
両者が戦えばどうなるのか、王領騎士団長としてはとても興味深い。
「いやいや、自分の身が一番大事だ」
ウルは大きく頭を振ると、外で待っていたベノンとともに急いで本陣に戻った。
テントの中では、デニムが嬉しそうに笑っていた。それはそうだろう。ずっと待っていた獲物が目の前にいるのだ。しかも、縄で縛られたままの囚人としてだ。生殺与奪の権利はデニムが握っている。
だからこそ、通常であれば自分を非難した者は容赦なく即刻殺していたデニムだったが、今回は楽しみながら殺すことにしたようだ。
「責任転嫁とはどういうことだ? ラウスを逃してしまったお前に責任があるのではないのか?」
シャスターの命を握っている絶対者としての余裕だろうか、文官たちが驚くほどデニムは微笑んでいる。
「失敗した部下の責任を取るのが上司ですよ。それなのに、自分は悪くないといい、部下に全ての責任を取らせようとする。これを責任転嫁と言わず何と言うのでしょうか?」
正攻法で話したシャスターだったが、デニムには全く響かない。
「俺は王族だ。責任を取るのは下賤の者たちに決まっている。俺は何も悪くない、俺が行うことは全て正しいのだ」
堂々と言い切るデニムにシャスターは軽く頭を振った。
「はぁー、ここまでとは。しかし、まぁ責任転嫁ではないことは認めますよ。何たって、ラウスを逃したのはわざとですから」
「何だと!?」
「最初から逃すつもりだったというのが正しいかな。あなたには良いピエロを演じてもらいました。ありがとうございます」
飄々と話すシャスターとは対照的にデニムの顔が真っ赤に変わっていく。
「貴様、俺をはめたのか!」
直接は答えず微笑みで肯定したシャスターにさらに怒号が飛ぶ。
「裏切ったのだな、貴様は絶対に生かしておけん! 火炎球!」
デニムの怒りは最大に達した。怒りに任せて何発もの火炎球を投げつけるが、いつの間にか縄を解いたシャスターはそれを上手く避ける。
しかし、そのせいでテントの中はあっという間に火が燃え広がった。文官たちは慌てふためいているが、怒り狂ったデニムを止めることはできない。さらに何発もの炎が放たれる。
「死ね、死ね、死ね!」
激しく燃えるテントでデニムの発狂した叫び声だけが響く。
「そんなに撃っても当たらなければ意味がありませんよ」
さらにデニムをおちょくると、シャスターは悠々とその場を逃げ出した。
「皆の者、あいつを捕まえろ!」
慌てた文官たちが外にいる騎士たちに命令するが、素人の文官たちが上手く伝えられるはずがない。
しかも、彼らはデニムの怒号が自分たちに向けられないように、騎士たちに詳しく説明することなく至急追いかけるようしか伝えない。当然ながら現場は混乱した。
「デニム様の部下が裏切ったらしいぞ」
「テントを燃やして逃げているようだ」
「いや、燃やしたのは潜入していた敵軍だ」
「敵軍がデニム様を暗殺しようとしたが、失敗して逃げ出したらしい」
いくつもの情報が飛び交いあい、デニム軍は右往左往していたが、遥か前方の丘の高台で馬に乗って悠々と手を振っているシャスターをデニムが見つけた時、事は決まった。
「あの高台に向かって全軍突撃しろ!」
直接デニムの号令が飛ぶと、デニム軍千五百騎は駆け出した。ほとんどの者が突撃の理由を理解していないが、騎士にとっては上官の命令は絶対である。デニム軍は最全速で突撃した。
驚いたのは国王軍の本陣だ。
「なぜ勝手に右翼のデニム軍は進み始めたのだ?」
ウルの怒号に誰も答えることができない。それもそのはずである。デニムが勝手に動かしているからだ。
「デニム様は一体何を考えておるのだ?」
それも誰も答えることができない。
布陣を万全にしてからの戦闘を考えていたウルとしては、勝手に動き出したデニムを呼び出して怒鳴りたい気持ちだったが、王族に対してそんなことができるはずもない。行き場のない怒りを拳に乗せて何度も地面を叩きつけるしかなかったが。
「いや、待てよ」
ふと我に帰ったウルはある可能性に気がつく。いや、最初からその可能性に思い付かなかったことの方が迂闊だった。
その可能性とはシャスターのことだ。
シャスターをデニムの元に送り届けたウルは、二人の間で激しい戦いが起こると思っていたのだが、今のところ戦いが起きたという報告はない。その一方で、デニム軍が勝手に敵陣に向かって進軍し始めている。
つまり、シャスターとデニムの間に何かが起こり、その結果デニム軍が進軍しているということだ。
「二人の間に何が起きたのか……考えても仕方がないな。それにしてもあの小僧は本当に何者なのだ?」
デニム軍が勝手に進軍したせいで戦局は一気に不利になった。それを起こしたのがシャスターとなると、彼は戦術家としてもかなりの手腕を持っていることになる。
「剣技も強く、指揮能力も優れているとなると、本当に王領騎士団長の座が似合うのかもしれんな」
「何か言いましたか?」
ウルは小さな声で自問自答したので、隣にいたベノンにはよく聞こえていなかった。
「いや、何でもない」
ウルはすぐに表示を引き締めた。
「右翼のデニム軍だけを孤立させるわけにはいかん。中央、左翼軍も突撃しろ」
ベノンに命じると、ウル自身も馬に乗り込み、軍を動かし始めた。




