第四十一話 テントの中で
国王軍とラウス軍の両軍が対峙したのは午後二時ちょうどだった。
両軍とも斥候を放っていたが、その斥候たちから敵軍情報を聞いたときは互いに驚愕した。
ラウス軍は、国王軍が進軍しているとは思わなかった。
ラウスが王都バウムから逃げ出したのは昨夜のことだ。通常であれば、まだ東領土を侵攻するかどうかも決まっていない状況のはずだ。だからこそ、この場に国王軍が現れるのは想定外だったのだ。
国王軍としても、東領土騎士団が王領内に現れるとは思ってもいなかった。
国王軍は東領土内での東領土騎士団との戦闘は想定していたが、まさか王領内で彼らが現れることは想定外だったのだ。
ヤシュ平原を挟み、西側には国王軍が陣取っており、東側にはラウス軍隊が陣取りを始めている。
お互いに想定外のことで驚愕していたが、国王軍の方がさらに混乱していた。
斥候からの情報で東領土騎士団の先頭に立っているのがラウス本人であると報告を受けたからだ。
「馬鹿な! ラウスは死んだのではないのか!?」
会議の席でデニムが声を荒げる。
指揮官たちの会議室として国王軍の後方には大きなテントが張られていた。そのテントは機密性が保たれた防音仕様だったのだが、デニムの声は外で警備している騎士たちまで聞こえるほどだった。
「あり得ん! 偽者に決まっている!」
しかし、その後もいくつもの偵察から同じ報告が届くと、ラウスの生存は確定となった。
つまり、シャスターもエルマもラウスを取り逃がしたということだ。
「それで奴らは恥ずかしくて戻って来られぬということか! 奴らを殺さねば俺の気が静まらん!」
「落ち着いてください。デニム様」
王領騎士団長のウルがなだめる。
彼としてもあのシャスターが仕損じることなど信じられないが、それならそれでいいと思っていた。デニムが言う通り、シャスターが戻ってきたらデニムが殺すだろう。ウルとしては願ったり叶ったりだ。
それよりもだ。
「ラウス軍の戦力が予想以上に多いです。おそらく我が軍と同等かと」
偵察からの新たなる情報に一同は驚く。
そもそも国王軍は大軍同士の戦闘を考えてはいなかった。東領土に進軍してからは小規模な小競り合いはあるとしても、指揮系統が一本化された大規模な戦闘などあるはずがないと思っていた。東領土には昨夜からの出来事について何の情報も伝わっていないはずだからだ。
しかし、現実は目の前に東領土騎士団……しかも信じられないことに国王軍と同等の規模の兵数が展開している。
「ふん、ラウスめ。奴は最初からこうなることを分かっていたのだ」
突然、会議中のテントに現れたオイト国王は、中央に用意されている椅子に座り、一同を見渡した。
「しかし、父上。ラウスのような無能がそこまで考えていたなどと……」
「無能はお前だ、デニム!」
デニムを一喝し鋭い視線で見つめる。
「お前の部下がラウスを殺しておれば、このような事態は防げたのだ。この戦いが終わった後にはお前にも責任を取ってもらうからな」
デニムの顔が見る見るうちに真っ青になる。
下手すれば自分も処罰の対象になってしまうと思ったからだ。
(シャスターどもめ、絶対に許さん。必ず処刑だ!)
自分の足を引っ張ったシャスターたちを激しく憎悪しながら、デニムは国王に深く頭を下げた。
「それに事前に戦う準備をしていなければ、こうも素早くラウスは大軍を進軍させることは出来まい。奴は最初から国境付近に軍を集結させていたのだ。この反乱を起こすために」
国王の言に誰も異論を唱えることは出来なかった。それが事実だと誰もが認識したからだ。
そして、国王が周囲の警戒を怠るなと言った意味がようやく分かった。こうなることを国王は知っていたからだ。
(しかし、何故知っていたのだ?)
ウルは疑問に思った。ただそれを尋ねる時間はなかった。
「これ以上ここで話しても無駄だ。お前たちがやることは裏切り者のラウスを殺して、奴の軍を殱滅するだけだ」
「はっ!」
皆がテントから慌ただしく飛び出した。
残ったのは国王ただ一人。
「さて、儂も見世物の準備でもしようかの」
それと同時に国王の周りにいくつもの黒い影が現れ、ひざまずく。
「ただ今、西領土から戻りました」
その声に国王は満足げに笑みを浮かべながら、黒い影を見渡した。
ウルは自分専用のテントに戻って来た。
直径二十メートル、高さも五メートルある大型の円錐形テントだ。さらにその中には一回り小さなテントが造られていて、プライベートを重視した構造になっている。
テントとテントの間のドーナツ状の通路には警備兵も配置されており、四六時中ウルの身は守られる……はずだったのだが。
「な、なぜ、お前がここに……」
ウルはテントの中に居るはずのない人物を見つけて驚く。
「お前?」
その人物に睨まれたウルは、ハッと気付き慌てて言い直した。
「あ、いえ、突然いらっしゃいましたので、ビックリしてしまって……申し訳ございません」
必死になって言い訳をしたウルは、その人物の前でひざまずいた。
「と、ところで、なぜここにいらっしゃるのでしょうか?」
そこに居たのはシャスターだった。ウルのテントの中でパンを食べている。
「お昼に何も食べていなくて、お腹空いちゃってさ。ここに来れば何か食べ物があると思って」
時刻はとっくに昼を過ぎている。
シャスターは昼食の準備をしていなかった為、ずっと腹を空かせていた。そこで国王軍が到着したのを見計らって、昼食を食べにウルのテントにやってきたのだ。
しかし、騎士団長のウルのテントは厳重に警備されている。それをどうやって中にまで入ってきたのか。
「騎士団の周りをぶらぶらしていたら、ちょうど見たことのある顔がいてさ」
その騎士は部下たちを偉そうな態度で指示していたのが、そこに突然シャスターが現れた。
途端に騎士の表情は一変した。その騎士は昨日シャスターに呆気なく倒された分団長一人だったからだ。
「シャ、シャスター様! どうしてこのような場所に!?」
「ちょうど良かった。連れて行って欲しい場所があるんだけど」
「あ、はい! 何処でございましょうか?」
いきなり態度が豹変したことで部下たちは唖然としたが、そんなことは無視して分団長はシャスターに向けて愛想笑いをする。
「ウルのテントに連れて行って」
「かしこまりました!」
というわけで、誰からも一切咎められることなく、シャスターは堂々と騎士団の中を通り抜けてウルのテントの中にまで入ることができたのだ。
「そのー、シャスター様を連れてきた分団長とは誰だったのでしょうか?」
あとで懲らしめてやる、そう心に誓ったウルだったが、あいにくとシャスターは人の名前を覚えるのが不得意だ。
「忘れた」と答えるシャスターに少しだけ残念そうな表情で頭を下げながら、ウルは自分の卑屈さを恨んだ。本来懲らしめなくてはいけないのはこの小僧なのだ。
そもそも今にも戦いが始まるこんな忙しい時に食事に来るとは、この小僧は一体何を考えているのか。
しかも、自分の了解もなく、勝手にテントに入り勝手に昼食を食べるとは図々しいにも程がある。
いやいや、それより何より。
「私のテントに来る前に、デニム様の所に行った方がよろしいのではないでしょうか?」
ウルは冷静さを取り戻しながら至極真っ当なことを伝えた。
一刻も早くデニムにラウスを取り逃がしてしまったことを謝罪しに行かなくてはならないはずだ。
しかし、当の本人は頭を横に大きく振った。
「いや、あそこに行ったら殺されそうだから、やめとく」
たしかに先ほどの会議の様子からして今のデニムなら怒りに任せて殺すだろう。そしてシャスターがいかに強くても魔法使いのデニムには敵わない。
しかし、だからといって謝罪しに行かなくて良いわけではない。そんなワガママは通らないのだ。
「大丈夫ですよ。デニム様は怒っていませんでした。今すぐにデニム様のもとに行くべきです」
そして殺されろ、とはもちろん口には出さない。しかし、そうなることをウルは切望した。シャスターが殺されれば、当然ながらウルとしては安泰だからだ。
だからこそ、デニムが怒っていないと嘘もつく。
「もし、ひとりで行くのが怖いのなら、私も一緒について行きましょうか?」
そこまで至れり尽くせりのお膳立てしたウルだったが、シャスターはもう一度頭を横に振った。
「いや、やっぱりやめておくよ」
「どうしてですか?」
「裏切ったのは事実だし」
パンをかじりながら爆弾発言をする。
「えっ!?」
ウルは間抜けな返答をしてしまった。それほど驚く内容だったからだ。
「……まさか、わざとラウス様を逃したということですか?」
シャスターほどの実力者がラウスを仕損じることはないと思っていたが、わざと逃したとなれば納得がいく。しかし、当然ながらそんなことが許されるはずがない。
「うん、逃した。その方がこの腐った国のためには良いことだと思ったからね」
平然と話したシャスターと対照的にウルは唖然とした。
しかし、すぐにあることに気付きニンマリと微笑んだ。この国を批判したということは、どんな地位の人間であれ極刑だからだ。
「おーい、今の会話撮れているか?」
「はい、ばっちりと撮れました」
ウルがわざとらしく大声で問いかけると、彼の背後の幕が開いてひとりの騎士が入ってきた。その騎士にシェスターは見覚えがあった。たしかに分団長の一人だ。
「シャスター様……いや、シャスターの裏切りはこのマジックアイテムにしっかりと録画してされています」
それを受け取ったウルは再び薄く笑う。
「え、どういうこと?」
何が起こったのか分からないシャスターはウルに尋ねるが、今までのへりくだったウルは一変して元の横柄な態度に戻っていた。
「俺はな、後日多くの者たちに俺の武勇を見せるために、戦闘時にこのマジックアイテムで俺の勇姿を録画させているのだ」
それは短い望遠鏡のようなものだった。どうやら、それで覗いている映像を録画できるようだ。
「間もなく戦闘が始まるからと分団長に録画させておいて正解だったな。まさかこんな裏切りの証拠が取れるとは。よくやったベノン」
分団長の一人、ベノンはウルの後ろをついて録画していたのだ。そのウルが自分のテントに入った時にシャスターが居るというイレギュラーが発生した為、とっさにベノンはテントに入らずにテントの外から中の様子をこっそりと録画していたのだ。
「ありがとうございます、ウル様。これでこの何処の馬の骨かも分からない小僧を殺す口実が出来ますな」
「あ、思い出した! たしか俺に最初にやられた奴だ。分団長なのにウルの腰巾着もやっているの?」
残忍な笑顔を浮かべていたベノンだったが、空気を読まないシャスターの発言に顔を真っ赤にして剣を抜こうとする。しかし、それを止めたのはウルだった。
「待て、ベノンよ。信じたくないことだが、俺たちではコイツを倒すことはできん」
「しかし、ウル様……」
悔しそうに反論しようとするベノンを遮りながら、ウルはベノンの肩を掴んで引き離した。
ウルとベノンが二人掛かりでもシャスターを倒せないのは明白だ。しかし、だからといって絶対に倒せないわけではない。倒す方法などいくらでもあるのだ。
「貴様は裏切ったのだ。俺は裏切った貴様をこれから処刑する。貴様がいくら強くとも王領騎士団全員とは戦えまい」
このテントを開き、ウルが「裏切り者を殺せ!」と大声で命じれば、それだけで周辺にいる騎士たちがシャスターに襲いかかるだろう。
もちろん、周辺にいる騎士たちだけでは到底敵わない。しかし、何十人、何百人と戦い続ければ、いつかシャスターは疲れて倒れる。
つまり、人海戦術で倒すことができるのだ。
「しかし、それでは時間が掛かるし、何より騎士たちの損害が甚大だ」
今はラウス軍との戦いの前だ。そんな時に貴重な戦力を無駄にはしたくない。
だからこそ、先ほど知ったばかりの、もっと手っ取り早い方法で殺すことにした。
ウルは残忍そうに笑う。
「貴様には剣では敵わん。しかし、魔法ならどうだ?」
それと同時に今度はシャスターの背後のテントの幕が開き黒い影が現れる。
それは深くフードを被った男だった。
その男が右手をシャスターに向けてかざす。
「火炎球」
男の手から炎が放たれる。シャスターは避けようとしたが、あまりにも突然で、この至近距離で避けることが出来ない。もろに爆発を受けてしまった。
シャスターの身体は激しい炎に包まれた。




