第四話 影の中の少女
歓迎会は夜遅くまで続いた。
しかし、シャスターは早々に抜けて部屋で休むことにした。主役の客人が最後まで残らないのは失礼に当たるかと思ったが、すでに町人同士で飲みながら楽しんでいるのだから大丈夫だろう。
町長に挨拶を済ませると、シャスターは部屋に戻った。
「今日は本当に色々とありがとう! おやすみなさい」
わざわざ見送りについてきたカリンが部屋の前でお礼と挨拶をする。
「ああ、明日からもよろしく。おやすみ」
それだけ言うと、シャスターはドアを閉めてベッドに仰向けになる。
外ではまだまだ喧騒が続いている。
窓から見える夜空を見ながら、いつの間にかシャスターは眠りについた。
「……シャスター様、シャスター様」
寝ている部屋に、小さな、それでいて力強い声が響く。
「シャスター様」
何度か呼ばれて、呼ばれた本人はやっと目を開けた。外の喧騒ももう聴こえてこない。宴会もとっくに終わったようで、町全体が静まり返っていた。
「どうした?」
部屋にはシャスター以外、誰もいない。
しかし、シャスターは眠そうな目で床に向かって声をかけた。
床には窓から入る月の光が反射してシャスターの寝ている姿の影を作っていた。しかし、不思議なことにシャスターが動いていないのに影だけがゆっくりと動き出す。
そして、見る見るうちに影の中からひとりの人間が現れた。
「ここから五キロほど離れた場所から馬が駆けてくる音が聴こえます。その数、十頭です」
影から出てきた人物が話しかける。
「思ったより早く来たみたいだね」
影の人物に驚くことなく、シャスターは目を擦りながらその人物を見る。
その人物は全身が影のように黒いシルエットだった。
しかし、月の光を受けて徐々に黒一色のシルエットから濃淡がある黒い服装に変わっていく。
その服装は見るからに異様だった。
黒い糸状の細い繊維が無数に織り込まれている素材を使用した服装であり、それが身体の箇所によっては密集し黒い絹のように見え、あるいは箇所によっては網目模様や鎖帷子のようになっていた。
肌が露出している箇所もある。
軽いのに防御力に優れている……しかし、その分とても貴重で驚くほど高価で取引される繊維を惜しげもなく使っている服装だった。
戦いの熟練者なら、この黒い人物が素早さに重きを置いていることが分かるだろう。
さらに、身体のラインにぴったりと密着した服装のせいで、見事な曲線美が惜しげも無く表れており、一目でその黒い人物が女だと分かった。
漆黒の髪を後ろで束ねており、口元部分は黒いマスクで覆われていた。黒曜石のように静かに輝いている瞳が真っ直ぐにシャスターを見つめている。二人は同年齢位に見えた。
全身黒に統一された異様な装い……しかし、彼女にとってはこれが正装であった。
彼女は遥か東にあると言われている島国、その国のみに存在する稀有な職業クラス、忍者だった。
「どうしましょうか?」
影から出てきた少女は片膝をついてシャスターの命令を待っている。
「うーん、俺はまだ眠いから、後のことは星華に任せるよ」
「かしこまりました」
次の瞬間、星華と呼ばれた忍者の気配が部屋から消えた。
シャスターは再び目を閉じるとすぐに深い眠りについた。
翌朝。
「大変よ。大変!」
カリンが扉を思いっきり開いて、シャスターの部屋に飛び込んできた。当然のことながらシャスターはまだ寝ていたが、予期せぬ来訪者に強制的に起こされた。
部屋の柱時計を見るとまだ朝の五時だ。
「用心棒という仕事は、こんな早朝から働かなければいけな……」
「それどころじゃないのよ!」
シャスターの抗議の声を遮り、カリンは話を続ける。
「町の入り口付近に、騎士たちの死体があるの。しかも九体も! どういうことか全く分からなくて。町中で大騒ぎになっているの」
カリンが驚いていることは、目を大きく開いたままかなり動揺していることからよく分かる。
町人全員がカリンのような状態なのだろう。
「それで、みんながシャスターの意見が聞きたいって。だから早く起きて!」
「意見と言われても……それ、やったの、俺だし」
シャスターの寝ぼけながらの言葉にカリンの目がさらに大きく開く。
「え、えっ、ええっー! どういうこと!?」
「昨夜、その騎士たちが町に夜襲をかけようとしていたんだ。だから俺が倒した」
起き上がったシャスターは窓から外を見るがまだ暗い。
「ということで、もう少し寝かせて……」
「おじいちゃーん!」
カリンがまたもや言葉を遮って、今度は叫びながら部屋から飛び出していった。
「はぁー」
「何か、まずかったでしょうか?」
シャスターの耳元に聞こえる程度の音量で声がささやく。
「いや、星華、まずくない。それどころか上出来だ。九人倒して、敢えて一人逃がしたのは尾行するためだろう?」
「はい。予想通り領主デニムの城に逃げ帰りました」
星華は何気なく話しているが、馬に乗った騎士と同じ速度で走りながら尾行するということは、とてつもない脚力と持久力が必要なのだ。
しかし、隠密行動をしながら追跡を得意とする忍者、その中でも女忍の上位者しか名乗ることを許されない忍者マスター「くノ一」の称号を持っている星華にとっては造作もないことだった。
「デニムの城ってどこにあるの?」
「都市ノイラと呼ばれる都市です」
「ああ、確かカリンが神官見習いとして勤めていた教会がある都市だったな」
西領土にある唯一の都市だ。神官としての教養を身につけられるような大きな教会は都市にしかないのであろう。
「都市ノイラはデニムが住んでいるため、領都と呼ばれているようです。その中心に城が建っています」
星華が逃した騎士は城の中に一目散に入場していったが。
「その騎士はデニムに色々と質問を受けた後、殺されました」
星華の報告にシャスターは軽く眉をしかめる。
「カリンが言っていたこともあながち嘘ではなかったということか」
作戦に失敗した者は容赦なく殺す、それだけで領主デニムの残虐性がうかがえる。
「星華のことだからデニムについても調べてきたのだろう?」
「はい」
星華は逃げ帰った騎士とデニムの会話はもちろん、城の内部まで調べてきていた。
「さすが星華! 詳しく教えて」
「分かりました。ところで、先ほどため息をついた理由は何だったのでしょうか?」
星華はシャスターが何か落ち込んでいるのが気になっていた。
「もっと寝ていたかったけど、もう無理だということさ」
「何故でしょうか?」
星華の質問が終わるのと同時に、再び部屋の扉が思いっきり開かれる。
「シャスター、すぐに来て! みんなが騎士を倒した詳しい経緯を話して欲しいって」
「こうなるからだよ」
シャスターは肩をすくめた。
当然ながらすでに星華の姿はなく、カリンには何のことか全く分からなかった。
カリンに呼ばれてから正確には十五分後、シャスターは居間の入口に立っていた。
居間には既に町長を始め五人ほどの町の主だった人々が大きなテーブルを囲んで座っている。カリンとフリットも座っていた。
「こんな朝早くから呼び出してしまい、申し訳ございません」
町長が立ち上がり軽く頭を下げる。
「ただ、せっかくなので町の幹部の紹介も兼ねて、ご一緒に朝食でもと思いましてな」
「この町ではこんな早朝から朝食を食べるのですね」などと嫌味は言わずに、「ありがとうございます」とシャスターは形式的に挨拶をした。
それでもシャスターが行うと優雅な振る舞いになる。幹部である一人の女性が目を輝かせている。その女性は町長と同年代だったが、シャスターの容姿の前には年齢は関係ないのだろう。
町長は幹部の一人ひとりを紹介し、それから朝食になった。
朝食は質素だが種類も多く食べきれない程の量だった。色取り取りのサラダやフルーツ、いくつもの卵料理とポテト料理、ハムやソーセージも数種類あった。
ただ、起きたばかりでまだ食欲があまりないシャスターは、一応全ての料理を少しずつ取りながらミルクで胃に流し込んだ。
「毎日こんなに量が多い朝食なのですか?」
「いやいや、今日は特別ですよ。なにせシャスター様は町を襲ってきた騎士たちを倒した後なので空腹なのかと思いまして」
町長のニコニコした笑顔と言葉に少しトゲがあることをシャスター敏感に感じた。その理由は分かっている。町長に確認することなく、騎士たちを勝手に倒したからだ。
だからこそ、シャスターは丁寧に説明を始めた。
「みなさんが寝静まった後、騎士たちが町を襲ってきたのです。それを目撃した俺は当然ながら町長に伝えて指示を仰ぐつもりでした。しかし、騎士たちは今にも夜襲をかけようとしている状況だったので、人々の安全を第一に考えて独断で判断し戦いました」
「シャスターは歓迎会の後、見張りをしてくれていたの!?」
カリンが驚きの声を上げる。
「当然さ。俺は用心棒だからね。深夜の間ずっと町の見廻りをしていた」
大嘘である。
昨夜はすぐに寝てしまい、一度星華に起こされる出来事はあったが、その後はカリンが飛び込んでくるまでぐっすりと寝ていた。
シャスターが寝ている間、町の見廻りをして騎士たちを倒したのは星華であった。
しかし、そんな嘘に騙された幹部たちからは感嘆の声が上がる。
「だから、昨夜の宴会も一人だけ早く切り上げて寝たのね」
「ああ、そのとおりさ」
勝手に整合性を作ってくれたカリンにシャスターは澄ました顔で答えると、またも幹部たちから感嘆の声が上がる。
「ただ、非常時とはいえ町長に確認することなく、騎士たちを倒したことについては弁明しようがありません。出過ぎたことをしたのであれば甘んじて処分を受けましょう」
シャスターは非を認めて軽く頭を下げた。
もちろん悪いとは思っていない。ただこのように形式的なことが必要なこともある。
「シャスター様、どうか頭をお上げください。用心棒として雇ったのは我々ですが、それはあなた様を束縛することではありません。今回のようにご自身で判断して対応していただいて構いませんし、それで問題があった場合は町の幹部である我々の責任です」
町長の隣に座っている中年の男性が恐縮したように話す。町長に紹介された名前は既に忘れたが、たしか副町長だったはずだ。
「それに今回の判断は最適な行動だったと思います。もし、昨夜騎士たちが襲ってきていたなら……」
幹部たちはお互いに不安そうに顔を見合わせる。多くの住民が殺されていたのは容易に想像ができたからだ。
ただ、逆の見方によっては、シャスターの行動は大きな禍根も残した。
もしも騎士たちによって多くの住民が殺されていれば、変な言い方ではあるがそれで一段落していた。領主にとっては見せしめの殺しであって、その後に住民が恐怖し恭順すれば良いのであるからだ。
しかし、騎士たちを倒したということは、領主にとってフェルドの町が反乱を起こしたことに他ならない。
「今回はシャスター様のおかげで町を守ることができました。しかし……」
「次、襲われたら無理かもしれませんね」
シャスターが副町長の言葉を続けた。
ちなみに敢えて一人の騎士を逃したことは言わない。尾行してデニムの動向を知りたいだけだったからだ。だから、そんな余計なことを彼らに言う必要はない。
「次回は夜襲などせず、白昼堂々と攻めてくるでしょう。それも何十、何百人という圧倒的な人数で、見せしめではなく町を全滅させるために」
シャスターの言葉に多くの者たちが頭を抱える。
領主デニムの性格を考えれば、シャスターの推測が正しいことが分かっているからだ。
「どうしたらよいのだろうか?」
副町長は誰に尋ねた発言ではなかったが、自然と全員の視線がシャスターに向かう。彼しか頼れる人間がいないからだ。
「そもそも、フェルドの町は今後どういう立場で進んでいくのでしょうか?」
シャスターは町の基本方針を聞いた。戦略が決まっていないのに戦術を考えるなど、愚の骨頂だからだ。
「領主と徹底抗戦をして譲歩を引き出すつもりなのか、それとも……」
一旦、話を止めてシャスターは冷たく微笑む。
「戦わずに全面降伏して、皆さん方幹部の首を差し出すか。まぁ、それでも許してはもらえるかどうかは微妙ですけど」
シャスターの言葉に全員が息を飲む。改めて自分たちの置かれている状況が理解できたからだ。
今度は全員の視線が町長に集まる。
「我々の立場は、昨日孫を助けてもらった以前から既に決まっています。徹底抗戦です!」
町長の力強い言葉に「おおー!」と全員から声が上がる。
たしかに徹底抗戦を考えていたからこそ、シャスターを用心棒として雇ったのだ。
さらに言えば、町長には誰にも話していないその先の秘策があるらしい。それまでの間の用心棒契約なのだ。
「分かりました。それならば話は簡単です」
シャスターは全員の顔を見渡した。
「まずは、すぐ攻めて来ても慌てない様に、皆さんは町の全ての門を閉めて人々を絶対に外に出さないように徹底させてください。それとしばらくの間は籠城戦になると思うので、一ヶ月分程度の食料の確保を急いでしてください」
皆が不安がっているなか、シャスターの指示は的確だった。
「大丈夫です。俺がなんとかします」
続くシャスターの言葉は力強く皆を安堵させた。
「分かりました。シャスター様の言うとおりにします!」
幹部たちは立ち上がり、すぐに部屋から出て行った。カリンとフリットも町人たちに伝えるため出て行く。
残ったのは町長とシャスターだけとなった。
「さてと」
シャスターは改めて町長に目を向けた。
「町長さんには昨日教えてもらえなかった今後の秘策とやらを聞かせていただきましょうか」
すでに東から昇った太陽が南に近づく時刻になってきている。人々は籠城に備えて全員が慌しく動き回っていた。
シャスターも町の人々と一緒に働いている、というわけではなかった。シャスターは昨夜警備をしていたという理由をつけてもう一度部屋で寝ていた。
だからといって文句をいう者は一人もいなかった。
夜襲を仕掛けてきた騎士たちを倒したことが町中に一気に広まり、ますますシャスターの人気は高まっている。
そのおかげでシャスターは誰にも遠慮することなく、ゆっくりと二度寝を満喫していた。
「……シャスター様。まだまだ先ですが、多数の馬蹄の音がこちらに近づいてきています」
星華の声が耳元に聞こえてくる。その声でシャスターは目を覚ました。窓から入ってくる陽の光が眩しい。
「ふぁー、よく寝た。今は何時?」
「もうすぐ正午になります」
「えっ、そんなに寝ていた?」
「はい」
町長との話が終わってからすでに五時間も経っていた。シャスターもさすがに気恥ずかしくなり、すぐに起きて着替えた。
「それで、今度は何頭ぐらい?」
「かなりの数です。百頭以上は確かです」
「へぇー、思っていたよりは多いな。それに行動も早い」
シャスターは町長から先ほどの朝食の後、すでに前金として金貨六十枚を貰っていた。
「面倒だし、このまま逃げ出してもいいかな」
町人が聞いたら卒倒するようなことを気軽につぶやく。
「どうせ、この町……というより、レーシング王国のような国は遅かれ早かれ滅んでしまうから、町を助けても無駄かもしれないよね」
シャスターは窓の外をキョロキョロ見ながら、人が近くにいないことを確認する。このまま窓から抜け出して逃げだすことも出来そうだ。
「でも、カリンや町の人たちには良くしてもらったしな……」
窓から手を離して、思い留まるように椅子に座る。
「まぁ、町を守って正義の味方を演じるのもいいかな」
まるでこの状況を楽しんでいるように軽い口調で結論を出した。
天使と悪魔の戦いを独り言で呟いていたシャスターの考えがやっと定まった。
町にとって、幸運にも天使が勝ったのだ。
一部始終を見ていた星華だったが、それについては何も言わない。
「ところで、先程の町長の話の裏付けのために、シャスター様が寝ている間に町長の書斎を調べてみたのですが……」
さりげなく話題を変えた星華が話を続ける。
星華ほどの忍者なら、町長の書斎程度は真っ昼間でも簡単に気配を消しながら諜報活動ができるのだ。先ほど町長が話した秘策が本当かどうか、星華は確認したのだった。
「ああ、あの秘策ね。それで、どうだった?」
「はい、本当でした」
「やっぱり! ひどい町長だよね。まぁ俺としては面白そうだからいいけど」
意地悪そうに笑うシャスターを見ながら、星華は話を続ける。
「そこで、意外なものを見つけました」
その見つけたものをシャスターに渡す。
それはいくつもの手紙だった。シャスターは手紙を一つ一つ読んでいく。
「なるほどね、こっちの方が本当の秘策ということか。町長もなかなかどうして」
シャスターは朝食後、町長からやっと秘策を聞き出した。しかし、その秘策は目眩しであって、さらに本当の秘策があったのだ。
町長にまんまと騙されたシャスターは苦笑するしかない。
シャスターは手紙を一枚だけ抜き取ると残りを星華に返し暫し考え込む。その間に星華は町長の書斎に行き、手紙を元あった場所に上手く戻した。これで一枚無くなったことすら町長は気付かないだろう。
すぐに戻ってきた星華だったが、すでにシャスターの考えはまとまっているようだった。そうなれば次に星華がすることは自ずと分かるので、先に話を切り出す。
「手紙が本物かどうか、手紙の差出人のところに行って確認してきましょうか?」
「うん、そうしてくれると助かる。フェルドを襲ってくる敵は俺だけで大丈夫だから、星華はそっちを調べてきて」
「かしこまりました」
「星華の判断なら間違いはないから、調べるだけじゃなく自分が正しいと思ったとおりに自由に行動して構わないよ」
星華を心から信頼しているシャスターの言葉だった。自分が最善だと思う行動をして良いということだ。
「ありがとうございます。シャスター様の意向に沿うよう努力します」
もともと星華の声には抑揚がない。しかし、少しだけいつもより声が高いようにシャスターには感じられた。
「それでは始めようか。フェルドの町の正義の味方を」
皆さま、いつも読んで頂き、ありがとうございます!
新しいキャラクターが登場しました。
「星華」です。
星華もシャスター同様、まだまだ謎だらけの少女ですが、これからの活躍を楽しみにして貰えたら嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。