第三十七話 進軍
エルマは夜が明ける前に西領土の領都ノイラへたどり着くことができた。
傭兵たちと別れた後、あまり時間がかからずにノイラへ着くことが出来たのは、疲れていない駿馬に替えたことと、彼の卓越した馬術のおかげだろう。
そのまま城下の街を駆け抜けると、一旦中央の広場で立ち止まった。
「マルバス殿は成功したのだろうか?」
反乱を起こしていればもっと騒々しいはずだ。あちらこちらで戦闘や火災が起きていても不思議ではない。
しかし、城下はいつもと同じ夜明け前の静かさを迎えているように見える。
まさか反乱を起こさなかったのでは、とエルマの脳裏に不安がよぎる。
しかし、城門に近づくにつれ、それが杞憂であることが分かった。城の一番上、バルコニーにマルバスが立っているのが見えたのだ。
その人物は小さく見える程度だった。しかもまだ暗闇の中、誰かもよく分からない。
しかし、エルマにはマルバスだと分かった。
なぜなら、デニムが不在の時にはデニム専用の部屋のバルコニーには誰も立ち入ることが出来ないからだ。
そこに人が立っているということは反乱が成功したということであり、そこに立っているのはマルバス以外考えられない。
エルマは勢いよく城門を潜り抜けると、騎士たちの制止もきかずに馬を城の中まで進める。そして、馬から降りるとそのままデニムの部屋まで駆け上がった。
「マルバス殿、成功したのだな!」
思い切り扉を開けると、エルマは息を切らしながら握手を求めた。
「どうにかうまくいきました」
マルバスも握手をしたが、戸惑いを隠せないようだ。
「エルマ殿は王領にいるはず。一体どうしてここに?」
今度はマルバスの脳裏に、まさか作戦が失敗したのかと不安がよぎる。
「いや、失敗はしていない。ただ、計画が大幅に変更になった。西領土で町の反乱は起こさないことになったのだ」
エルマはまずはマルバスを安心させると、詳細な内容を話し始めた。
エルマの話を詳しく聞いた後、マルバスは少しだけ考える時間を取った。
しかし、最初から結論は決まっているのだ。
「分かりました。ノイラを守備する一部の騎士を残して、全軍を王領に進軍させましょう」
「マルバス殿、助かる!」
そうと決まれば、マルバスの動きは早い。至急の伝令が飛び交った結果、三十分後には城門に西領土騎士団が進軍の開始を待っている状態となった。
命令系統が決まっている騎士団だからこその素早さだった。さらにマルバスの指揮官としての能力が加わっているのでさらに早い。各自が自由に動く傭兵隊には出来ない芸当だ。
「見事なものだな、マルバス殿は!」
だからこそノイラ城の占領も殆ど抵抗もないままスムーズに行われたのか、エルマは改めてマルバスの指揮能力の高さに感嘆した。
「全軍、進軍! 全速で進め!」
騎士たちが土埃を上げながら駆け進む。その先頭に立ってマルバスとエルマは並走していた。まだ陽は上る気配すらない。集合時間には余裕で間に合う。
道中、馬で駆けながらも、マルバスはシャスターのことを考えていた。
エルマからシャスターがラウスを助けたことを聞かされたが、まさか今回のことを全て知っていたかのようなシャスターの行動に驚きを禁じ得ない。
「エルマ殿、うちの騎士団長は一体何者なのでしょう?」
「さあな、俺にも分からない。しかし、今は彼を信じるだけだ。それが一番重要だと思う」
「たしかにそうですね」
二人は顔を見合わせて笑うと、より一層速度を上げて馬を走らせた。
早朝から王都バウムは慌ただしかった。
王領騎士団が城外で待機しているからだ。王領騎士団長ウルもひときわ大きな馬に乗って待機している。
ウルとしては万が一のことを考え王領騎士団二千人を守備として残して、残り八千人を東領土に向かわせようとしていた。
東領土の騎士団は三千人程度しかしないはずだ。しかも、ラウス自身不在の今は烏合の集団だ。
東領土騎士団と戦うだけなら八千人も必要はないのだが、オイト国王からは東領土の領民の殲滅の命令が出ている。四十万人もの領民を殺戮するための八千人であった。
「いいか、町や村で溜め込んでいる財宝は全て奪え」
「はい」
ウルの周囲にいる王領騎士団幹部たちが小さい声で頷く。彼らは昨日、シャスターに見事に負けて、挙げ句の果て騎士団所有の財宝を全て奪われたのだ。
当然、部下たちにはそんな事実を公表出来るはずもなく、幹部たちだけの極秘であった。だからこそ、この戦いは財宝を奪うチャンスなのである。
「東領土の城に突入したら戦いは部下たちに任せて、お前たち分団長全員で宝物庫から財宝を運び出せ」
東領土が溜め込んでいる財宝の量など王領の誰も知らない。誰にも気付かれることなく先に奪ってしまえばいいのだ。そのためにウルは武器運搬と称して荷馬車を十台用意していた。もちろん奪った財宝を運ぶためである。
国王軍とはそのまま王領騎士団のことだ。つまり、騎士団長であるウルが国王軍の司令官となるからこそ、自由に調達が出来るのだ。
用意周到なウルに抜かりはない。あとは一刻も早く戦いに臨むだけだった。
「ウル騎士団長殿、オイト国王陛下とデニム様がお出でになりました」
伝令が二人の出発の準備が整ったことを伝えに来る。そこで、ウルはすぐにオイト国王のもとに向かった。
「国王陛下、ご命令があれば王領騎士団いつでも進軍できます」
オイト国王の前で片膝をついてウルが状況を伝える。
「ウルよ、今回は国王親衛隊も同行させることにした」
オイト国王の突然の指示にウルは一瞬戸惑った。
「なぜ、国王親衛隊を?」とは聞けない。国王が決めたことだ。ウルは頭を下げたが、東領土を占領するのに親衛隊など必要ないはずだ。
国王親衛隊とはウルでも一目置くほどの実力者が揃っている部隊だ。隊員はオイト国王が自ら集めた精鋭の騎士たちであり、その数は二十人ほどだ。
だからこそ、ウルは不可解に思ったのだ。
いかに実力者が集まっているにしろ、二十人の親衛隊は八千人の国王軍の中では微々たるものだ。しかも、強敵を相手に戦うのならともかく、町や村を滅ぼすのに個々の実力など必要ない。
そもそも、公的な場でもほとんど顔を出さず、普段何をしているのか分からない親衛隊のことをウルは嫌っていた。
「安心しろ。親衛隊は儂を守るためだけだ。国王軍はお前に任せる」
「はっ!」
どうやら表情に出てしまったらしい。ウルはうやうやしく一歩下がった。
「ところでデニムよ、ラウスを追って行った者たちはどうした?」
国王の隣にいたデニムは言葉に詰まった。シャスターたち親衛隊とエルマがラウスを追いかけて出て行ったきり未だ戻って来ていないからだ。
「ま、まだラウスを捕まえた報告はありませんが、間もなくだと思います」
「馬鹿者!」と叱咤されることを覚悟していたデニムは冷や汗をかきながら恐縮したが、意外にも国王は激怒しなかった。暫し何かを考えている。
「ウルよ、進撃を始めよ」
「はっ!」
「ただし、どこから攻撃を受けても大丈夫なように警戒しながら進め。王領内であろうともだ」
オイト国王の命令に頭を下げたものの、ウルとしては国王の命令の真意が分からない。それはデニムも一緒だった。
東領土の領民たちにラウスが裏切った情報はまだ伝わっていない。だからこそ迅速に東領土に攻め込めば、未だ何も準備が出来ていない東領土騎士団などすぐに全滅させ、東領土を簡単に制圧出来るのだ。
しかし、オイト国王は周囲に気をつけながら進軍しろと命令した。
デニムとウルは目配せすると、代表してデニムが口を開く
「父上、我々は何処から攻撃を受けるのでしょうか?」
「分からぬか?」
「申し訳ありません」
再び恐縮したデニムだったが。オイト国王は意地悪く笑うだけで答えを与えなかった。
「まぁよい。分からぬのも当然のことだ。しかし、索敵は怠るな」
「はっ!」
全軍を司るウルが進軍に取り掛かるため、国王の前から退出した。
それから少しして号令がかかる。進軍の合図だった。
八千もの騎士たちを乗せた馬が一斉に進み始めた。
各々が思惑を持ちながら。




