第二十八話 イルザーク将軍の報告
エースライン帝国の北部は北西から北東にかけてホールン山脈が広がっており、そのまま国境となっている。
イルザーク将軍はそのホールン山脈中央付近の国境都市ルズに城を構えて北部一帯を守護していた。
今朝早く、その城門に一人の少女が現れた。
ホールン山脈は、自然の魔力が密集し様々な気候や環境変化を引き起こす「魔法特異地域」であった。そのため、夏の時期でも吹雪が吹き荒れる万年極寒の地だ。
しかし、その少女はローブとマントだけの薄着で現れたのだ。そして、一言「ここの将軍に会わせて」と言い放った。
年齢は十代前半から半ばくらいだろうか。当然ながら、怪しいと思った守衛たちは少女を取り押さえようとしたが、忽然と少女は消えてしまったのだ。
それから一時間後、イルザーク将軍が五千の騎士たちと共に城に戻ってきた。昨夜から夜間訓練のため、近くの演習場へ出向いていたのだ。
城に戻ってきたイルザーク将軍は、魔法の投影を使用して帝国会議へ参加するため、そのまま執務室に向かった。そのため、謎の少女の報告を聞いたのは、帝国会議が終わり昼食を食べる直前となってしまった。
「奇妙な話だな」
イルザーク将軍は守衛からの報告書に目を通したが、少女が消えてしまったのなら何もすることはできない。
警戒レベルを一段階上げるように指示をしてから、会議で朝食を食べ損ねた分を取り戻すかのように昼食をしっかりと食べ終えた。
その後、部下たちとの打合せもあり、正午をかなり過ぎてからやっと休息の時間を取ることができた。
「少し休むことにする」
昨夜から寝ていないイルザーク将軍は、後のことを部下たちに任せて自室に戻った。
そして、そのまま寝ようと寝室の扉を開けた途端、驚愕した。
ベッドに見ず知らずの少女が寝ていたからだ。
一気に眠気が吹き飛んだイルザーク将軍だったが、寝室の床に無造作に投げ捨てられたマントを見てさらに驚いた。
マントには五芒星が描かれていたからだ。
イルザーク将軍は十数年間ずっと戦場を駆け回っていた根っからの武人であり、帝都に戻ることはほとんどない。しかし、そんなイルザーク将軍でも五芒星が描かれているマントの意味は知っている。
しばらくの間呆然としてしまったが、自分の頬に大きな張り手を食らわして正気に戻ったイルザーク将軍は片膝をついてその場で頭を下げた。
すると少女はその張り手の音があまりにも大きかったせいか、目を覚ましてゆっくりとベッドから半身を起こした。
「ふぁー、よく寝た」
大きなあくびをしながら両手を伸ばした少女は、視界に片膝をついている男がいることに気が付いた。
「おはよう。えーと、あなたは?」
「私はこの地を預かっております、イルザークと申します」
「将軍なの?」
「はい」
「良かった。この城で一番豪華そうな部屋だったから、ここかなと思ったけど、見事に当たった!」
「……」
「さっそくで申し訳ないけど、お腹が空いているの。食事の用意をしてくれるかしら?」
「分かりました」
端から見たら奇妙な光景に違いなかった。寝起きの少女の前で、帝国の最高武位である将軍が頭を下げているのだ。
常識外の出来事に目眩を覚えながらも辛うじて踏み止まることができたイルザークは、食事の準備のため自室から立ち去った。
そして、腹心たちを呼ぶと事の顛末を話した。彼らは驚きのあまり呆然としたが、そこはイルザーク将軍の腹心だ、すぐに平常心に戻ると準備に取り掛かった。
それから三十分後、イルザーク将軍の部屋には豪華な料理が並べられていた。
「わぁー、美味しそう!」
少女は料理を食べ始めた。
帝国最北端といえども、国境都市ルズは人口二十万人の巨大都市だ。イルザーク将軍が在中する城にも多くの料理人がおり、並べられた料理はどれも一級品だった。
食べ終わった少女は余韻を楽しむかのようにゆっくりと食後の紅茶を飲み干した。
「ごちそうさま。美味しかった!」
「それは何よりです」
「さてと、それじゃそろそろ行くね」
少女は椅子から立ち上がるとそのまま部屋から出ようとしたが、ふとイルザーク将軍へ振り向く。
「ねぇ、ここから冥々の大地ってどうやって行くの?」
少女の無邪気な笑顔に反して、イルザーク将軍は全身から汗が吹き出した。
(なぜ知っているのか!? いや、まさか、そんなはずはない)
少女の向かおうとしている冥々の大地は、先ほどの帝国会議で話し合われた場所だ。
しかも、エースライン帝国の最高幹部だけが参加した会議だ。イルザーク将軍も幾重にも結界が張られた執務室から一人での参加であり、腹心さえも聞くことはできない極秘の会議だった。
とすれば、少女が冥々の大地へ行くのは、たまたまの偶然か。
しかし、そんな甘い妄想はすぐに打ち砕かれた。
「北東部にあるクーゼンっていう国境都市って、ここから直接ホールン山脈を越えて行くのと、南の大陸街道から迂回して行くの、どっちが近い? まぁ、どっちからでも帝都エースヒルから向かうパーティーよりも早く着けると思うけど」
その言葉で、イルザーク将軍は奈落の底に落とされた気持ちになってしまった。
「……執務室にいらしたのですか?」
「違うわよ。ここから話を聞いていただけ」
幾重にも張られた結界だったが、この少女の前では無意味だったようだ。結界を破ることなく、話を聞くことができるからだ。イルザーク将軍は大きく肩を落とした。
「心配しなくても大丈夫。私が勝手に聞いたのだから、シァード皇帝には私から謝っておくし、あなたにも責任はないと言っておくわ」
少女はイルザーク将軍の立場を心配してくれたのだろう。
「そうそう、道中に食べるお弁当も用意してくれると助かるわ」
「……わかりました」
それから一時間後、少女は猛吹雪の中を躊躇することもなく、冥々の大地に向かって進み始めた。




