第三十六話 戦いの前夜 2
シャスターは月夜の中、のんびりと街道を馬で歩ませていた。
「ラウスはもう合流できたかな?」
「おそらくは」
シャスターの影に潜んでいる星華が静かに答える。
フーゴたちがサゲンに向かった後、近くの茂みに隠れていたラウスはシャスターに感謝を伝えると、誰もいなくなった橋を渡って東領土に戻った。
東領土の領土境には八千もの騎士が集結している。そしてラウスの号令とともに朝十時に王領に進軍を始める予定だった。
同時に西領土からもエルマとマルク率いる西領土軍が進軍する手筈となっている。
「それにしても、行き当たりばったりの旅も悪くないね」
深淵の森で迷いレーシング王国に来てしまい、そこで様々な人々と出会った結果、成り行きで今の状況になっている。それが偶然なのか必然なのかは分からない。しかし、自分が関わることによって一つの国の未来が動き始めているのだ。
「正直、旅に出るのは面倒だった。しかし、今なら少しは良かったと言えるかな」
少し照れながら話すシャスターだったが、もちろんまだ全てが終わったわけではない。これからが本番の決戦なのだ。
「王都が戦場になるのでしょうか?」
ラウス軍と西領土軍が王領に攻め込んでくることを国王たちは知らない。そして、気付いた時にはもうラウス軍と西領土軍は王都の目と鼻の先に来ているはずだ。となれば、王都での攻城戦になると星華は考えたのだが。
「いや、そうとも限らないかもね」
シャスターは楽しそうに微笑んだ。彼の頭の中ではいくつものシナリオが展開されているのだ。
しかし、どのシナリオでも両軍が激突することは明白であった。
「ラウス軍を勝たせますか?」
星華のストレート過ぎる問いにシャスターは頭を横に振った。
「いや、俺たちがそこまで手を貸すのはやめておこう」
ラウス軍を勝たせたい気持ちは大きい。ラウスが国王になる方がレーシング王国にとって明るい未来になることは間違いないからだ。しかし、そのために自分たちが介入し過ぎるのも良くないと思っていた。
レーシング王国の問題は当事者たちが解決するべきであって、部外者である自分たちが出しゃばることではない。
「まぁデニムだけは何とかしておこうか。一応俺は奴の部下だからさ。上司の過ちを諫めるのも忠臣としての役目だからね」
星華に対して笑いかけると、シャスターはそのままのんびりと馬を進め始めた。
ラウスが逃げ出した直後のバウムの王城は混乱していた。それはそうだろう、王弟が反乱を企てていたが発覚したのだから。
「ラウスの関係者は一人残らず捕まえよ!」
ラウス討伐の陣頭指揮をとっていたデニムは意気揚々としていた。将来、国王の座を取り合う相手が自らリタイアしてくれたのだ。デニムにとってこんなに嬉しいことはなかった。
場内の騎士たちはデニムの命令でラウスの部下を捕まえるために動き回っている。
しかし、命令を出してから一時間が経過しても、誰一人捕まえることが出来ずにいる。
「役立たずどもが!」
無能な騎士たちに火炎球で焼き殺したい衝動に駆られたが、騎士たちは王領騎士団でありデニムが自由に殺生する権限がない。
なんとか我慢したデニムは、報告しに来た騎士に嫌味を言うだけに留めオイト国王の部屋に向かった。状況報告をするためだ。
オイト国王は夕食の最中に逃げ出したラウスを討伐する指示を出した後、謁見の間で休んでいた。
自分の子供が反乱を起こす状況に普通なら心を痛めるのだろうが、オイト国王は違った。自分を裏切ったラウスへの怒りで、はらわたが煮えくり返っており、裏切り者にどのような罰を与えるかを考えていたのだ。
必ず罰を与えなくてはオイト国王の気が済まない。ラウスが生きていようが死んでいようが関係なくだ。
「東領土の領民を全員殺せ!」
「は?」
謁見の間に入るなりの国王の命令にデニムは真意が掴めなかった。そんなデニムをオイトは睨み付けると、飲んでいたワインのグラスをデニムに向かって投げつけた。
「儂の言ったことが理解出来ぬ貴様は馬鹿か!」
間一髪で避けた壁にグラスの破片が飛び散る。
「ラウスは儂を裏切った。絶対に許す訳にはいかぬ。だから奴の所有するものを全て失わさなければ儂の気が収まらんのだ」
それでやっとデニムは真意が分かった。と、同時にデニムの背中に冷や汗が流れる。東領土には四十万の領民がいるはずだ。それを全員皆殺しにしろと命じているのだ。
残虐非道のデニムでさえ、この命令には戸惑った。
「どうした、儂の命令が聞けないのか?」
「いえ、滅相もございません」
即座に答えたデニムにオイトは満足そうに頷く。
「明日、王領騎士団で東領土に進軍せよと伝えろ。行く先々の町や村を全滅されながら、東領土を蹂躙しろと」
「御意!」
先ほどまで躊躇していたデニムであったが、既に迷いは消えていた。よくよく考えれば、デニムにとっても東領土は邪魔な存在だからだ。
東領土が自分の統治している西領土よりも豊かだなんて許されるはずがない。ましてや自分よりも弟のラウスの方が優っているなど決して認めることはできない。
だからこそ、東領土を滅ぼすことができる国王の命令はデニムにとっても望むべきものなのだ。
それが分かった途端、デニムの心の奥から歓喜さえ湧いてくる。
「父上も行かれるのでしょうか?」
「当然だ」
「それでは、ぜひ私もご一緒させてください!」
デニムは羨望した。こんな機会は二度とないと思ったからだ。
「構わぬ。多くの東領土の者たちが殺されて、ラウスがこの世かあの世か知らんが、悔しがる姿が目に浮かぶわい」
そう言いながら声を上げて笑うオイト国王と一緒にデニムも高らかに笑う。
「それでは早速、ウル騎士団長に勅命を伝えてきましょう」
デニムは足取り軽く部屋から出て行く。
その姿を見届けた後、オイトは再びワインを飲むために立ち上がったが、ふいにデニムが持ってきた魔法の鏡に何気なく目が向いた。相変わらずフェルドの町に火柱が立ち燃え盛っている映像が映っている。
だがその時、急に鏡の中に不思議な映像が映ったのだ。
それは一瞬のことだったので目の錯覚かもしれなかったが、猜疑心の強いオイト国王は鏡の前に立ち、鏡の縁を強く握る。
「ほほう、これは面白い」
オイト国王は薄気味悪く静かに笑い、ワインを飲み干した。




