第三話 楽しい朝食
「……そうそう、アイヤール王国でヴァルレインくんを見たわよ」
当然、父も兄も知っているはずだが、エルシーネは話題替えのために話を振ったのだ。
ヴァルレイン・シーリス……水氷系魔法の総本山である伝説のシーリス魔法学院、その正統なる後継者であり、シャスター同様「五芒星の後継者」と呼ばれている少年だ。
そのヴァルレインとシャスターが二年前の交流試合での決着をつけるため、アイヤール王国で戦ったのだ。
そんな二人の戦いはまさに火炎と水氷が暴れまくる凄まじいものだった。
その戦いをエルシーネはペガサスに乗ったまま、上空から見ていた。
「シーリスの後継者殿は元気そうだったか?」
「あ、いえ……私が声を掛けようとした時には、すでにいなくなっていて……」
皇帝の問い掛けに、言葉を濁していたエルシーネを見てエーレヴィンが苦笑する。
「ヴァルレインは、お前のことが苦手だからな」
「そんなはずないでしょ!」
「それじゃ、なぜ逃げた?」
「ぐっ……」
何も言い返せない。やはり、この兄は最悪な存在だとエルシーネは再認識した。
「で、でも、シャスターくんは私と一緒に来てくれたわよ」
「それもお前ではなく、魂眠の解き方を調べるためにエースライン帝国に来たのだ」
「そんなことないよね? シャスターくん」
「あ、いや、その……まぁ何だろうね、はははは……」
シャスターは曖昧に笑うしかなかった。
確かにフローレの魂眠の件がなければ、ヴァルレイン同様に逃走していたからだ。
「お前がいる限り、ヴァルレインはエースライン帝国に立ち寄ることはないだろうな」
「なによ、それ! どういう意味?」
「そのままの意味だ」
「それって、いくら兄上だからといって、言い過ぎじゃないの!」
「言い過ぎではない。シャスターもヴァルレインも前回エースライン帝国に滞在中、お前にいいようにこき使われていたからな」
「こき使ってなんかいないわよ! 私の任務や訓練にちょっとだけ付き合ってもらっただけよ」
「あれのどこが、ちょっとだけなのだ? ヴァルレインが今ここにいないのが全てを物語っているではないか」
二人の言い争いは永遠に続くかのように思われたが、意外にもすぐに終わった。
「イオの後継者の前だぞ。二人ともいい加減にしないか」
皇帝が静かに声を上げたからだ。しかし、それだけで充分だった。兄妹の口ゲンカはピタリと止まる。
「失礼しました。妹のことになると、未だおとなげないところがあるようです」
エーレヴィンは頭を下げた。
しかし、兄とは対照的に、妹は顔を横に向けてふてくされている。
「お前の妹想いは良く分かっている。しかし、それが裏目に出ることもある。忘れるな」
「はい」
「エルシーネも短気は良くないぞ。嫌味を返すくらいの余裕を持ちなさい」
「はーい」
二人を見てシャスターは内心で大笑いをしていた。
エースライン帝国の宰相と将軍が、兄妹ゲンカで皇帝に怒られているのだ。こんなにも面白いネタは他にはない。
先ほどの小言を言われて落ち込んだエルシーネといい、皇族だけの朝食の場はスキャンダルの宝庫だ。
こんなにも楽しい朝食は久しぶりだ。このことを誰に話そうか、シャスターは大喜びしながら悩んでいた。
「すまんな、イオの後継者殿。醜態を見せてしまった」
「いや、お気遣いないように。それに私は口が固いので」
シャスターは微笑みで返した。
この様子をカリンが見ていたら、「どの面が言っているの」と呆れるだろうが、ここにカリンはいない。
兄妹ゲンカが取りあえずひと段落したところで、シャード皇帝はエーレヴィンに視線を向けた。
「さて、シャスター殿とヴァルレイン殿、二人の『五芒星の後継者』が動き出したということは、他の後継者も動き出しているということか」
「おそらくは、とは思いますが……」
今度はエーレヴィンがシャスターに確認するかのような視線を向ける。
「さぁ、どうでしょうね。俺はじいさんから言われて修行の旅に出ているだけなので」
「シャスターは他の後継者に無関心だからな。しかし、二人の後継者が動いているということは、『五芒星の後継者』全員が動き出している、その時期が来たと見るべきでしょう」
「よく分からないけど、そういうものなの?」
「そういうものだ」
エーレヴィンは苦笑した。目の前にいるイオの後継者は本当に他人に関心を持たないのだ。
だからこそ、レーシング王国で魂眠になった少女を助けるため、エースライン帝国に向かっていることを聞いた時は耳を疑った。
しかも、守護者以外の少女と一緒に旅をしているとは……。
「お前が他人のために動くとは、正直驚いたが」
「失礼だなー。俺はいつだって困っている人々の味方さ」
すまして答えるシャスターに、思わずエーレヴィンもエルシーネも苦笑いする。
「それに、レーシング王国でフェルドの町の人々が死んだのは俺のせいだ。被害にあった者を助けるのは俺の責務だ」
この点については、シャスターの心に嘘偽りはなかった。自分の甘さで多くの人々が死んでしまったと後悔しているのだ。
そんなシャスターの心の傷を再び抉るような酷いことをエーレヴィンはしない。話を変えた。
「では、例のファルス神教の祝福者は、なぜお前と同行しているのだ?」
一瞬、無意識にエルシーネの眉が少しだけ動いたが、エーレヴィンは敢えてそれを無視した。
「それはカリンがフローレを救うために一緒に行きたいと言うから」
「お前らしからぬ行動のように思えるのだが……でも、まぁ良い。結果、そのカリン嬢がファルス神教の祝福者という稀有な存在だと分かったのだからな」
エーレヴィンは妹の時のようにツッコむことはしなかった。
なぜなら、目の前の少年は本心で、カリンとの旅の理由を話していることが分かっていたからだ。
他人に関心がないだけでなく、自分自身の色恋にも興味がない少年が多少心配でもあったが、他人がとやかく言うことではない。
エーレヴィンは、矛先をエルシーネに向けた。
「エルシーネ、お前はカリン嬢を自分の手元に置いて置こうとしていたようだが」
「そうよ、悪い?」
「強欲なお前がカリン嬢の高い能力に気付き、彼女を自分の陣営に入れたいと思ったのは本心だろう。しかし、本当にそれだけか?」
「……どういう意味?」
「シャスターからカリン嬢を離したいと思ったのではないか」
「なっ! どうしてそんなことする必要があるのよ!?」
怒り出した妹を見てエーレヴィンはわざとらしく微笑む。
「もしかして、お前はシャスターのことを……」
ここで言葉を止めたのは優しさからではない。更なる妹の反応を楽しむためだ。案の定、エルシーネの顔はみるみる真っ赤になる。照れと怒りの両方でだ。
「違うわよ! 兄上の勘違いも甚だしいわ!」
「私にはそう見えているのだが」
「そんなこと絶対にないわ!」
本気で怒っている妹と、それを面白がってからかっている兄、両者を見つめながら内心でため息をついた皇帝は静かに口を開いた。




