第三十二話 お礼のお返し
ウルたちにとっても信じられない光景だった。
どう見ても、ベノンの方が圧倒的な強さで押していたはずだ。それが一瞬の間にシャスターが放った一撃で倒れたのだ。
ベノンは起き上がる気配がない。おそらく気絶したのだろう。
「どういうことだ!?」
「この中で最下位とはいえ、ベノンを負かすとは……」
分団長たちも信じられないという表情だ。
「うろたえるな!」
しかし、ウルの喝が飛ぶとすぐに幹部たちは平静に戻った。
「なるほど。貴様はもう一ランク上の剣速を持っていたのに、それを使わずに防戦をしていた。その防戦の速さを貴様の限界だと思い込んだベノンはまんまと騙された。そしてベノンの気が緩んだ一瞬の隙を狙って、貴様は本来の速さでベノンの腹に一撃を食らわしたのだな」
ウルもベノンが倒されたことに驚いたが、すぐに冷静さを取り戻して戦いを分析したのだ。
「うん。王領騎士団の分団長がどのくらい強いのか知りたかったからしばらく攻撃を受けていたけど、あまり大したことなかったのでさっさと終わらせた」
それを聞いた分団長たちから生意気な小僧へ怒号が飛ぶ。しかし、それを制したのはウルだった。
「面白い戯言を言う小僧だ。それなら二回戦は趣向を変えよう。ヨース、ラクン!」
「はっ!」
呼ばれた二人がシェスターの前に立つ。
「二回戦は二対一で戦ってもらう。これで貴様の得意な速さは活かせまい」
「卑怯な!」とは誰も言わない。何故ならここのルールはウルだからだ。それにここにいる全員がシャスターを殺すことを楽しみにしている。ここでは正々堂々と戦う騎士道精神などないのだ。
それを知ったシャスターはもはや最初から手加減をしなかった。
残忍な笑みを浮かべながら猛獣のごとく襲いかかってきたヨースとラクンをたった二閃……それだけで二人の騎士はシャスターの足元に倒れた。
「そんな……」
誰かが震えた声で呟く。
まさに信じられない光景だった。
ヨースもラクンも王領騎士団のトップに君臨する実力者の二人だ。もちろん、先に倒されたベノンも同様に実力者であったが、二人は最初から油断せずにシャスターと戦ったのだ。
しかも二人掛かりで。
それが一撃も与えることなくあっけなく倒された。
あまりにも素早い動きで。
ベノンで見せた速さでさえ、シャスターにとっては本来の速さではなかったのだ。
残った分団長たちは驚きのあまり声さえ発することが出来ない。ウルでさえ口を開けたまま呆然としていた。
しばらくの間、時が止まったかのような静寂が広がる。
それを破ったのはシャスターだった。
「次は全員でかかってきていいよ」
シャスターの挑発に呆然としていた全員がハッと我に返る。
「な、なにを、貴様!」
ウルはやっと言葉を発した。
「お前たち全員で奴を倒せ!」
ウルの命令で、残っている七人の分団長たちはシャスターの周りを取り囲む。先ほどの二人のように笑みはない。誰もが真剣な表情で剣を握っていた。
それでも七対一ということで、彼らは負けるとは思っていなかった。
小僧は強い、それは先ほどの戦いで誰もが認めていた。しかし、それでも王領騎士団の実力者七人同時では敵うまい。しかも、そのうち四人の武器は魔法の剣だ。
七人は戦闘態勢をとった。
三人が直接攻撃を仕掛けている間に、魔法の剣を持っている四人が剣で斬撃波を放つ。彼らの魔法の剣は魔法の斬撃波を放てるものだった。
鋭い斬撃が波のように四方から襲い掛かれば、いかに素早い動きを得意とする小僧でも動きが鈍るだろう。そこを残りの三人が一斉に攻撃を仕掛ける。
中距離と接近戦の多数同時攻撃だ。小僧はどうすることもできないまま殺されるのだ。
誰もがそう思った。
「生意気な小僧を殺せ!」
シャスターに向かって四方から魔法の剣の斬撃波が同時に襲いかかった。しかし、シャスターは避けようともしない。
「馬鹿か、死ぬ気か?」
ウルが薄ら笑ったが、その表情は一瞬後に凍り付いた。
シャスターが身体を一回転させながら剣で斬撃波を全て防いでしまったのだ。
「うそ、だ……」
四方同時の中距離攻撃、しかも斬撃波を防ぐことなどできるはずがない。あり得ないのだ。
ウルの狼狽は分団長も同様だった。誰もが一瞬動きが止まる。そしてシャスターにはその一瞬で充分だった。
接近戦を仕掛けようと近づいて来ていた三人の分団長たちに自ら跳び込み、剣を振るいながら三人ともなぎ倒す。そして間髪置かずに、隙ができた魔法の剣を持つ四人の分団長たちにそのまま襲いかかる。
彼らは中距離攻撃で四方に分散していたのが災いした。シャスターにとっては格好の標的だ。一人ひとりを各個撃破で雑作もなく倒した。
ここまでの戦闘時間はほんの数十秒。
到底信じられない出来事が目の前で起こっている。
「あ、あぅ、あぁ……」
ウルは椅子からずり落ちて口をパクパクさせている。
目の前の有り得ない光景に、思考が追いついていないのだ。
「さてと、残るは騎士団長だけだね」
シャスターがゆっくりとウルに近づく。しかし、それと同時にウルは仰向けに倒れた状態で後ろに下がる。
「よ、よし、お、お前の実力は、よく分かった。親善試合はこれで、終わりだ。自分の部屋に戻るがいい」
やっとのことで声を絞り出して虚勢を張ったウルだったが、シャスターの視線は冷たい。
「なに言っているの!? 俺はあんたと戦えるのを楽しみにここに来たのだからさ。さっき頭を踏まれたお礼を返さないと」
「ひいぃー!」
ウルの声は完全に裏返っていた。
あの時の状況がウルの頭にまるで走馬灯のように流れる。それと共に一つの結末が安易に想像できた。
殺される、と。
それはそうだろう。
大勢の中であんな無様なことをされては。ウルが逆の立場だったら絶対に許さない。
「わ、分かった。お前の実力を認めて、王領騎士団の副騎士団長にしてやろう。副団長なら何でも好き放題できるぞ」
「副騎士団長になんて興味ないよ」
シャスターは剣を抜くとウルの顔面に近づけた。
「わぁ、や、やめてくれ。それじゃ、王領騎士団長をお前に渡す。王領騎士団のトップだ」
「騎士団長殿、おやめください!」
シャスターに倒された分団長たちがやっとのことで起き上がりながら、ウルの発言を止めようとする。
しかし、ウルは意に介さない。
「うるさい! 元はといえば、役に立たないお前たちが悪いのだ。俺は殺されるくらいなら、王領騎士団長の職など喜んで捨てるぞ!」
そう言われては誰も反論できない。
「どうだ。王領の騎士団長だぞ?」
ウルの必死の懐柔に、暫し考えていたシャスターだったが、それもつかの間ですぐに答えを出した。
「分かった。それじゃ、俺が王領の騎士団長だ」
「よ、よし、お前は今日から騎士団長だ」
ウルは心から安堵した。これで小僧に殺されずに済むのだ。しかし、その直後、突然ウルの顔面が苦痛に歪む。シャスターが足でウルの頭を踏んでいるのだ。
「き、貴様、な、何をしているのだ?」
ウルが叫ぶが、シャスターは止める気配はない。
「えっ? だって、王領の騎士団長になったけど、頭を踏まれたお礼を返さないなんて言っていないよ」
シャスターはウルの頭を何度も踏み続ける。ウルの鼻からは血が流れ始めた。
「それにさ、俺はもう王領騎士団長だよ。その俺に対して貴様呼ばわりはどうかと思うけど。キミたちはどう思う?」
シャスターが分団長たちに目を向ける。恐れ慄いた分団長たちは、それでもやっとひとりが口を開いた。
「おっしゃる通りでございます。王領騎士団長シャスター様」
彼らとしては、これほど強い少年に逆らうなど自殺行為以外何物でもない。恭順の意を示す為、十人の分団長たちはシャスターにひざまずいた。
「ほら、分団長のみんなもこう言っているよ」
そう言いながらも足を離さない。ウルの顔は鼻血で血まみれになっていた。
「シ、シャスター様、申し訳ございませんでした。私の非礼なる行為をどうぞお許しください」
「うん、分かればよろしい」
シャスターは笑顔になると、ウルからやっと足を離した。血で真っ赤になった顔を拭くこともなく、ウルはひざまずく。
その後ろには分団長十人がひざまずいたままだ。
「我ら全員、シャスター様に忠誠を誓います」
この瞬間、シャスターは王領騎士団を手に入れた。




