第九十六話 少年の怒り
リクスト将軍は、あまりにも悲惨な光景を見て唖然とした。
「まさか……」
リクスト将軍は帝都から北西三キロ地点で起きた地震発生場所にたどり着いていた。
そこで彼が見た光景は、一方的に殺された兵士たちが無残に倒されているものだった。
地震発生場所の近くを巡回中の第七十三小隊を向かわせていたはずだ。倒れている兵士たちは小隊の隊員たちであろう。
そして、兵士たちを踏み潰しているかのように屍の上に魔物が立っていた。
「手を出すな」と命令はしていたのだが、魔物に見つかってしまったのだろう。
その魔物は、黒い瘴気をまとった禍々しい漆黒の騎士だった。
「許さない!」
リクスト将軍は心の底から怒りを感じていた。
将軍になり帝都防衛を任されて、まだ一年あまりしか経っていない。軍のトップとなってから大きな戦いは経験していなかった。
しかし、だからこそ目の前に広がる悲惨な光景が許せなかったのだ。直接面識がなかったとはいえ、自軍の部下たちが無惨に殺されたのだ。
アルレート将軍に言わせれば、「兵士が死ぬことは職務上当然のことだ。それで怒るとは、大軍を預かる将軍としてまだまだ甘い」と苦笑されそうだが、それでもリクスト将軍は怒りを抑えきれなかった。
「リクスト将軍!」
そこへちょうど後から派遣した中隊が到着した。およそ三百人の兵士がリクスト将軍の後ろへ控える。
「あの魔物は、いったい……」
中隊を預かる中隊長が、異様な姿の黒い化け物に気付いた。
同時にその周辺で殺されている兵士たちにも気付いて息を飲む。
「おそらく亡魔の騎士です」
気持ちとは裏腹にリクスト将軍の口調は冷静だった。部下たちに無用な心配をかけさせないためだ。
「あれが、亡魔の騎士ですか! 初めて見ます」
「私もです」
リクスト将軍はまだ十五歳だ。だから、兵歴も短く戦った魔物の種類は少ない。しかし、この場合、兵歴の長さは関係ない。
亡魔の騎士そのものが、珍しい魔物なのだ。
「亡魔の騎士は、人里離れた荒野に現れると言います。帝都周辺に現れるような魔物ではありません」
それであれば、なぜ現れたのか。
答えは明白だ。
「中隊長、私が亡魔の騎士を引き付けている間に、死んだ兵士たちを遠くに運んでください」
「しかし、それでは将軍が……私だけでもお供します」
「大丈夫です」
リクスト将軍は微笑んで中隊長を安心させると、馬から降りて亡魔の騎士の元まで歩き出した。
リクスト将軍は亡魔の騎士の前まで来た。両者の距離はほんの二、三メートルだ。
すると突然、亡魔の騎士がリクスト将軍に向かって大剣を振り回しながら襲い掛かってきた。
しかし、リクスト将軍は応戦することなく、亡魔の騎士から距離を取るかのように走り出す。
すると、亡魔の騎士も少年を追いかけていく。
そのまましばらく走り続けたリクスト将軍は、平地で立ち止まると鞘に手を置いた。
その間、中隊の兵士たちが死者を運び出し始めたが、中隊長をはじめ指揮官たちはリクスト将軍と魔物の戦いに注視していた。
中隊長クラスでは、将軍の戦いを間近で見る機会はほとんどない。しかも、まだ将軍になったばかりの最年少の十輝将だ。
どのような戦い方なのか非常に興味がある。
しかし、リクスト将軍と亡魔の騎士の戦いは一方的なものとなっていた。
リクスト将軍と魔物の身長差は倍以上もある。通常、戦いは大きい方が有利だが、この戦いも例外ではなかった。
亡魔の騎士が大剣を振るいながら、リクスト将軍に襲い掛かる。大剣の一振りは突風さえも起こす勢いで、身軽なリクスト将軍は風圧だけで吹き飛ばされそうだ。
激しく剣を振り続ける亡魔の騎士に対して、リクスト将軍は防戦一方になっていた。
「大丈夫でしょうか?」
指揮官のひとりが不安そうに中隊長に声を掛ける。
リクスト将軍が完全に押されている姿を見て心配しているのだ。
黒い魔物はたった一体で、約五十人もの小隊を倒してしまった文字通り化け物だ。いくら強いと言えども、まだまだ小さな少年が敵う魔物ではないと思うのは当然だった。
しかし、中隊長はそんな部下の不安を笑ってみせた。
「心配するな。リクスト将軍をよく見てみろ!」
「……あっ!」
その時、指揮官は初めて気が付いた。
リクスト将軍は鞘に手を掛けたまま、まだ抜刀さえしていないのだ。ただ亡魔の騎士の攻撃を避けているだけだ。
「黒い魔物、亡魔の騎士は五十人の兵士をいとも容易く殺してしまった。確かにとてつもなく強い魔物だ」
「はい……」
「しかし、リクスト将軍であれば、あの魔物が五十体いても、ひとりで簡単に倒してしまうかもしれん」
「まさか!?」
「その、まさかを実行してしまう、それがエースライン帝国の十輝将なのだ」
中隊長自身もまだリクスト将軍の戦う姿を見たことがない。
それでも確信していた。
「必ずリクスト将軍が勝つ」と。




