第九十二話 第九十一小隊 2
第九十一小隊は、遭遇してはいけないレベルの魔物を見つけてしまったのだ。
「ベラス小隊長、アレはかなりヤバい魔物だ。ここから一刻も早く逃げ出した方がいいです!」
第九十一小隊で一番兵歴が長いベテランのマーラスが額から汗を流しながら慌てて提案した。
ここから魔物までの距離は約二百メートルほどだ。しかし、その禍々しさがここからでも隊員たちに伝わってくる。
到底、彼らには手に負えない魔物なのだ。ベラス小隊長も今すぐに逃げ出すことが賢明だと判断していた。
しかし、彼の視線の先には、逃げ出すことができない理由が映っていた。
「……駄目だ。あそこを見てみろ」
ベラス小隊長の指差した先を見て、誰もが愕然とした。
そこは地震の中心地点から離れた、地震の影響をあまり受けていない場所だった。
その場所に一台の馬車が倒れていたのだ。周りには、二、三人の人間が小さな地割れの中から人を引き上げている。
そして、どうやら黒い魔物はその馬車に向かって歩いているようだ。
「なぜ、こんな場所に人が?」とは隊員たちは誰も不思議には思わない。
帝都の大門が閉まる時間に間に合わずに、帝都周辺に寝泊まりする旅人や商人は多い。
通常、そのような者たちは街道沿いにテントを張り、一夜を過ごすことが多いのだが、中には街道から離れた人気のない場所に泊まる者もいる。なぜなら、街道を外れて進むほうが近道の場合もあるからだ。しかも、街道から外れた場所でも帝都周辺地域なら安全が確保されている。
そのため、このような街道から外れた場所に泊まる者たちがいるのだが。
「よりによって、こんな場所に」
マーラスが舌打ちをする。
「どうしますか?」
ハルトラ副隊長が指示を仰いできた。
馬車の人々はわずか数人だ。彼らを見捨てたところで、ベラス小隊長たちが非難を受けることはないだろう。小隊でも対応できないことほどの異常事態だからだ。
この場に待機しながら魔物の動向を見ている。これが本部から受けた第九十一小隊の任務なのだ。
しかし、ベラス小隊長の気持ちは決まっていた。
「彼らを助ける」
ベラス小隊長には全く迷いがなかった。
エースライン帝国の民を守ることが軍隊の本分だ。「どんな犠牲を払っても民間人を守る」それが軍隊のあるべき姿だ。
それを信念として持っているベラス小隊長は、当たり前の行動に出るだけであった。
「馬車の者たちを助けることは、我々が魔物に立ち向かうことになります。しかし、敵は地震を起こすほどの強さです。到底、我々だけでは倒すことはできません。いや、こちらが全滅してしまいます」
ハルトラ副隊長が常識論を述べた。
それは、ここにいる隊員誰もが分かりきっていることだ。馬車の者たちを助けることは、第九十一小隊が全滅することだと。
もちろん、ベラス小隊長もよく分かっている。
「ハルトラ副隊長の言う通りだ。だから、今回の命令に関しては強制はしない。助けに向かうのは、俺一人だけで構わない」
死地に向かう戦いだ。そんな無謀な戦いに小隊を巻き込むことはしたくなかった。隊員たちにはここに残ってもらい、ひとりで助けに向かおうとしていた。
そんなベラス小隊長の決意を聞いて、苦笑いをする者がいた。
マーラスだ。
「ベラス小隊長、随分勝手なことを言いますね」
「ああ。これは俺が決めた自分勝手なことだ。だから、お前たちが従うことはない」
「それが自分勝手だと言うのですよ!」
「!?」
強い口調のマーラスだったが、その理由がベラス小隊長には分からない。
軽くため息をついたマーラスは話を続けた。
「俺たちはエースライン帝国軍の中では底辺の底辺である小隊の隊員だ。隊長や副隊長は別として、俺たち一般兵士はこれからも大して昇進もなく、このまま一兵卒として終わるでしょう。しかし、帝国軍の一員としてのプライドはある。むざむざ民間人が殺されるところを見て見ぬ振りはできないですよ」
マーラスは隊員の代表して意見を述べただけであった。ここにいる小隊全員が軍隊の本分を充分に理解している。
誰もがベラス小隊長と同じ気持ちであった。
「お前たち……」
ベラス小隊長は隊員たちを見渡した。皆決意を決めた強い瞳をしている。
「まぁ、俺たちなら、あの魔物を倒してしまうかもしれませんし」
「おっ、こいつ、一丁前のことを言うようになったな」
新米のフリダンの首にマーラスが腕をかける。
「痛たたた……マーラスさん、痛いっすよ」
そんな二人を見ながら、みんなが笑う。
そんな彼らをベラス小隊長は、半分呆れて、半分は感謝の気持ちで見つめていた。
「よし! それでは作戦を説明する」
ベラス小隊長はその場で作戦を伝えた。




