第三話 フェルドの町
小さな林を抜けると一気に視界が開け、前方にフェルドの町が見えた。
町は、高さが成人男性の倍以上もある壁で周囲を囲まれていた。防壁のようなものであろう。
カリンの話によると、フェルドの町はこの防壁に囲まれていて、住人たちはその中に住んでいる。人口は約四千人で周辺の町の中では中規模とのことだった。
二人が遠くに見える町を眺めていると、ちょうど町の門が開き、馬に乗った数人の若者が慌ただしく出て行くところだった。
「どこに行くのだろう?」と見ていたが、彼らはどんどん二人の方向に近づいてくる。そして、二人の前まで来ると男たちは馬に乗ったまま、前方をふさいだ。
「カリン、大丈夫か!」
男がシャスターとカリンの間に割り込む。
「お前が畑で追われているのを目撃した者がいてな。急いで向かうところだった」
男は鋭い視線でシャスターを睨み付ける。
「それで、コイツがお前を追っていた奴か?」
その言葉と同時に、男たち全員がシャスターに剣を向ける。
「ちょっと待って! この人は私を助けてくれたの。命の恩人よ!」
「どういうことだ!?」
カリンが必死になって事の顛末を話してやっと全員が剣を下ろした。
「それは大変失礼なことをして申し訳なかった」
男は急いで馬から下りるとシャスターに頭を下げた。
「俺はフリット、カリンの兄だ。シャスターさん、カリンを助けてくれて感謝する!」
フリットは手を差し伸べる。シャスターも手を出すとフリットは両手で大きく感謝の握手をした。
「兄さん、シャスターはお腹を空かせているの。早く町に連れて行って何か食べさせてあげたいの」
「おう、分かった。シャスターさん、俺の後ろに乗りな。カリン、お前も誰かの後ろに乗れ」
さすが馬での移動は速い。あっという間に町に着いた。
馬を降りて門をくぐると、フリットは中央にあるひときわ大きな家の前で立ち止まった。
「ここが俺たちの家だ」
さすが町長の家と言うべきか。大きな庭の一画には馬屋もあり、数頭の馬が繋がれている。フリットは馬屋に馬を預けると、カリンに目を向けた。
「カリン、お前はシャスターさんを居間にお通ししろ。俺は爺さんに話してくる」
「分かった」
カリンに連れられてシャスターは居間に案内された。
「ここに座って待っていてね。私は料理の用意をしてくるから」
カリンが出ていくのを見届けた後、シャスターは椅子に腰かけながら居間をぐるりと眺める。
木材で作られた天井が高い広々とした部屋だった。素朴だがしっかりと造られているのがよく分かる。
しばらく待っていると、扉がノックされ初老の男が現れた。両脇にはカリンとフリットもいる。初老の男は微笑みながらシャスターを見つめた。
「私はフェルドの町長、ハンゼ・シュードです。孫を助けて頂き、ありがとうございます」
町長はゆっくりと頭下げた。
「シャスターと申します。当然のことをしただけです」
シャスターも町長に合わせて礼儀正しく挨拶をした。
「事のいきさつを聞きました。あなた様はカリンの命の恩人だけでなく、町を救ってくれた恩人です。町を代表してお礼を申し上げます」
カリンとフリットも一緒に頭を下げる。
「大したおもてなしは出来ませんが、心ばかしの料理を用意しました」
それに呼応したように、どんどん料理が運ばれてくる。見る見るうちに、目の前に料理が並べられた。
「どうぞお食べになってください」
「お言葉に甘えて、いただきます!」
勧められたのと同時にシャスターは食べ始めた。
テーブルの上にはメインであるポークソテーをはじめチキンのクリーム煮やキノコとジャガイモの炒め物、それにパンやフルーツが並んでいる。
ひとりで食べるにはかなりのボリュームだ。
しかし、丸一日何も食べていないシャスターには関係なかった。みるみるうちに皿に乗っていた料理が消えていく。
そして、最後にワインを一杯飲んで落ち着いたところで、やっと目の前に座っている三人に視線を向けた。
「ご馳走様でした!」
「素朴な料理ばかりで、申し訳ありません」
町長が頭を下げるが、シャスターの胃は大満足だった。
「いえいえ、美味しかったです」
食べ過ぎて苦しくなっているシャスターは壁際に掛けてある時計に目を向けた。時計の針は正午を過ぎている。
あとはこの胃を休ませるためにものんびりと昼寝でもしよう。そして今夜はこの町に泊めてもらって翌朝に出発でもしようか。
そんな考えをしているところへ町長の言葉が聞こえてきた。
「ところで、シャスター様はかなり凄腕の剣士だとか」
町長がカリンに目を向けると、肯定の意味を込めてカリンは大きく頷いた。
「そこで相談なのですが、もしお急ぎの旅でなければ、しばらくこの町に滞在していただきたいのですが」
「俺に町の用心棒になれと?」
シャスターはすぐに町長の意図を理解した。
カリンを襲った騎士たちが、このまま何もしてこないはずはない。しかも領主直接の命令であれば、再びカリンを奪いに現れるであろう。その時にシャスターにもう一度撃退してもらいたいのだ。
それは可能だが、大きな問題がある。
「俺がいる間は撃退できたとしても、いつか俺はこの町から出て行きます。その後のことはどうするつもりなのですか? 領主がいる限り必ず惨劇は起こりますよ」
シャスターの意見はもっともであった。カリンを奪われない為にはもっと根本的なことを考えないと意味がない。
「ご心配なさることはありません。それについては考えがあります」
「ほぉー」
シャスターは多少大げさに驚いてみせた。町長の両横に座っているフリットとカリンも驚いている。どうやら二人も知らないようだ。
「差し支えなければ、教えてもらえますか?」
「申し訳ありませんが、お教えすることはできません」
「おじいちゃん!」
カリンが非難の声を上げる。自分を助けてもらい、さらにこれから町を守ってもらえるようお願いしているのに、肝心なことは教えないとはあまりにも失礼だからだ。
しかし、町長はカリンの非難を無視して話を進める。
「今後の方針に関しては町でも私しか知りません。それほど内密なことなのです。非礼なことを言っているのは分かっています。それでもシャスター様、どうかそれまでの間、町を守っていただきたい」
町長は深々と頭を下げた。秘密は隠したまま用心棒になれとは虫がいい話だ。
しかし、いくら腕が立つとはいえ、どこの誰かも分からない孫ぐらいの子供に頭を下げているのだ。並ならぬ覚悟で頼んでいるのだろう。
シャスターとしては、ますますその今後の方針が何なのか知りたくなり、興味を持った。
それに、カリンが悪逆非道と罵っているデニムという領主も気になる。
「分かりました。お受けしましょう」
シャスターは微笑んだ。
「おお、ありがとうございます!」
町長はシャスターの両手を握り感謝の意を伝えた。
しかし、シャスターも慈善事業をするつもりはない。面倒なことに巻き込まれるからこそ、それに見合う対価をもらってもいいだろう。
「その代わり、期間は今日から一ヶ月間。用心棒代は一日につき金貨一枚です」
「金貨を一枚も!」
町長より先に声を上げたのはカリンだった。
町人が一日中頑張って働いてもやっと銀貨一枚が稼げる程度だ。その銀貨が十枚で金貨一枚と交換できる。
一日金貨一枚というのは、いくら凄腕の用心棒だとはいえ法外な金額だった。
当然、シャスターも分かっている。彼としては少し吹っ掛けてみて、町長の反応を探ろうとしたのだ。
しかし、予想に反して町長はすぐに快諾した。
それだけ用心棒としてのシャスターが必要なのだろう。あるいは用心棒以外としてシャスターが必要なのか。
それは先ほどの秘密と関係するのか。
(なんとなく面白くなってきた)
今後の展開を楽しみになってきたシャスターは町長にもう一度微笑んだ。
「それでは、しばらくの間お世話になります」
「こちらこそ、宜しくお願い致します。それでは今夜はシャスター様の歓迎会を開きましょう」
町長は喜びながら歓迎会の準備を孫たちに指示した。
その夜、町の大広場で歓迎会が行われた。
大広場の真ん中には焚き火が組まれ、その周りを輪になって人々が踊っている。いくつもの楽器の音が曲として響き渡り、まるで賑やかな祭りのようだ。
シャスターは賓客として上座に座りながら、料理を食べていた。
隣にはカリンが座り、シャスターの食事の世話をしている。しかし、それも長くは続かず、シャスターは町の娘たちに手を取られながら踊りの輪に誘われる。
シャスターは誰もが見惚れるほどの少年だ。特に今は焚き火の炎で金色の髪がますます光り輝いていて、神々しいほど美しい。町の娘たちが一瞬で惚れてしまうのは当然だった。
何人もの娘たちに手を引っ張られながら代わる代わる踊る。その踊る姿も華麗で優雅であった。
「なによ、あんなにデレデレして」
シャスターは別にデレデレしてはいない。娘たちに優しく微笑んでいるだけだ。ただ、カリンの目にはそのように映っているのだろう。
カリンは苦虫を噛み殺したような表情で踊りを見つめていたが、自分が踊りに誘うことはしなかった。何となく負けを認めてしまうようで悔しかったからだ。
ただ、カリンとは異なる視点でシャスターに怒りを覚えている者もいた。
突然、大声で人混みが割れると、ひとりの大男がシャスターの前に飛び出してきた。
「おい、旅人。少しくらい強いからっていい気になるなよ!」
シャスターと踊っていた少女の手を乱暴に取ると、自分の後ろに引き離してその少女を怒鳴っている。どうやらシャスターと踊っていた少女はこの大男の彼女らしい。それでは大男が怒るのは無理ないが、だからといってシャスターが悪いわけではない。
しかし、そんなことは関係なく、大男は腰に差した鞘から剣を抜いた。
「きゃー!」
女性たちの怯える叫び声が幾つも響き渡る。音楽も鳴り止み、人々はシャスターと大男の周りから慌てて離れる。
「ゲル、やめろ!」
カリンの兄であるフリットが大声で叫びながら止めようとする。カリンもシャスターに駆け寄る。
「フリット、止めるな! 俺はどうもこいつが気に入らねえ。こんな人形みたいに華奢な奴が本当に強いなんて信じられん。おい貴様、俺と戦え!」
ゲルと呼ばれた大男はシャスターを睨みつける。
ゲルはシャスターよりふた回りほど大きい。シャスターも少年にしては背が高い方であったが、大男はさらに頭一つ分高かった。
さらに筋肉の付き方が比較にならないほど違う。体中のあらゆる筋肉が隆起しているようだった。
誰が見ても、ゲルの方が圧倒的に強く見えるだろう。
そんな大男が殺気を持ったまま剣を抜いているのだ。
「やめろ!」
もう一度フリットがシャスターと大男の間に入り叫んだ。
「うるせえ! フリット、お前から戦うか?」
「ほう。俺と戦いたいか」
今度はフリットも剣を抜く。二人が睨み合う。一触即発の状況だった。
「兄さん……」
カリンは兄が負けるとは思えない。フリットの強さは町一番だからだ。
だが、怪力ではゲルの方が上だ。兄は負けないにしろ、重傷を負うことは避けられないだろう。
そんな緊張した状況の中で、フリットは少年に背中を軽く叩かれた。
「いいよ。俺が戦うよ」
シャスターはそのままフリットの前に立つ。
「俺が売られたケンカだ。フリットのケンカじゃない」
「しかし、これでは町の秩序が……」
フリットはなおも戦おうとするが、シャスターは頭を横に振った。
「それに住人の中には、この大男のように俺が本当に強いのか不安に思っている人々も多いだろうし、ちょうど良い機会だ」
シャスターは焚き火の前までゆっくり歩くと、細長い薪を拾う。
誰もが何をしているのか理解出来ぬまま、シェスターは細長い薪を大男に向けた。
「さあ、勝負しようか」
その場にいる全員が呆気に取られた。この旅人は剣の代わりに薪で戦おうというのだ。
「ふ、ふ、ふざけるな!」
馬鹿にされたと怒り狂ったゲルがシャスターに剣を振りながら飛び掛かる。
シャスターはその斬撃を何度も避けながら、一歩一歩円を描くように同じ場所をグルグルとまわりながら下がっていった。
「どうした? 避けるだけが上手いのか」
ゲルは余裕の表情でニヤけた。
「どうだ、お前たち? こんな奴よりも俺の方が強いぞ!」
町人たちに聞こえるように大声で叫ぶ。
ゲルに賛同する人々やよそ者のシャスターをあまりよく思っていない人々からは、ゲルに向けて喝采が飛ぶ。それに気を良くしたゲルはさらに剣さばきを加速していった。
シャスターはぎりぎりで避けなら、反撃することもできずに同じ場所を何度も回りながら後退している。
そんな状況がしばらく続くと、ゲルの賛同者だけではなく誰もがシャスターが追いつめられていると思った。
カリンでさえ、シャスターが劣勢であることがわかる。
「お兄ちゃん!」
「ああ、しかし……」
カリンが言いたいことはフリットにもよく分かった。
二人を止めて欲しいのだ。このままではシャスターが殺されてしまうからだ。
しかし、ゲルの動きが速く、二人の仲裁に入るタイミングがつかめない。
「くそー、どうしたらいい」
フリットが悩んでいる間にもゲルはますます勢いづき、反対にシャスターは追い込まれていく。
誰もがシャスターが殺されてしまうと思っていた。
戦っている両人以外は。
「なぜ当たらない?」
汗をびっしょりと流しながらゲルが剣を振り続ける。
大男にはすでに笑う余裕はなかった。それどころか、疲れ切って苦しそうな表情に変わってきている。
それはそうだろう、もう戦い始めて十分以上経過している。
しかし、一切攻撃をせずに避けているだけのシャスターは汗ひとつかいていない。
「もう疲れたの?」
「な、なんだと!」
さらに十分が経過する。
この時点になると、人々の中にも気付く者が出てきた。ずっと避けながら逃げ回っているシャスターの方が圧倒的に余裕があるのではないかということを。
しかも、シャスターは華麗な足さばきで徐々に逃げるスピードを上げていたのだ。当然ながらゲルはそんなことには気づかずに調子に乗って攻撃を続けていた。
つまり、最初から主導権を握っていたのはシャスターだったのだ。
「重量のある人間が激しく同じ場所を動き回り続けると、急激に足首に負担が掛かる」
突然シャスターが攻撃に転じた。薪でゲルの右足首を叩いたのだ。
それほど強く叩いたわけではないが、大男は崩れるようにその場に倒れこんだ。しかもすぐには起き上がれない。
「しばらくじっとしていた方がいい。無理に立ち上がろうとすると足の骨が折れるよ」
ゲルの足はすでに限界を超えていたのだ。
そのことを自分が勝っているという気持ちの高揚で気付かなかったゲルと、気付かせなかったシャスター、どちらが勝者かは一目瞭然だった。
人々から歓声が上がった。
当然ながらシャスターの勝ちだからだ。
勝負はついた。
シャスターは持っていた薪を焚火の中に投げて、その場から立ち去ろうとする。
しかし、突然ゲルが起き上がり、両手でシャスターの首を絞めつけた。
「お、おれの足なんて、ど、どうなってもいい。お前をこのまま絞め殺してやる!」
ゲルは苦痛に顔を歪めながらも両腕を上げ、そのままシャスターの首を絞め続ける。シャスターの体は地面から浮いていた。
「さ、さいごの最後で、油断をしたようだな」
ゲルは両手でますます強く締め付ける。完全に殺すつもりだ。
シャスターはすでに意識がないようで全く動かない。
「お願い、もうやめて!」
カリンが悲鳴を上げながら二人のもとに駆け寄る。
しかし、大男は両手を離さない。首を締めて窒息死させる、そんな生ぬるいものではない。首の骨を折るつもりなのだ。
誰もがシャスターはもう駄目だと思った。
しかし次の瞬間、意識を失っていると思っていたシャスターの両足が振り子のように大きく後ろに反れたかと思うと、今度はその反動で勢いよく前面に突きあがる。そして、そのままシャスターの両足のつま先がゲルのアゴを思いっきり蹴り上げた。
「ぐふぉ!」
両手を離す余裕もないままゲルは再び倒れこんだ。
あまりにも強い蹴りだったため、今度は立ち上がるどころか、そのまま意識を失ってしまった。それもそうだろう、急所であるアゴに強打を与えれば誰もが失神する。
今度こそ勝負はついた。
シャスターが勝ったのだ。
しかし、あまりにも衝撃的な光景に人々は呆気に取られ、町中が静まり返っている。
そんな中で、シャスターはゆっくりと立ち上がった。
「いやー、死ぬかと思った」
シャスターは首を軽くなでた。ただし、言葉とは裏腹に表情は大して苦しそうには見えない。
「よかった。本当によかった!」
カリンは自分でも気づかないうちに涙を流していた。ホッとした安堵の涙だった。
「へぇー、俺のことを心配してくれていたの?」
シャスターはカリンに笑いかける。
「当たり前でしょ! 私の命の恩人がその歓迎会で死んだら笑い話にもならないわ」
カリンも泣きながら笑った。笑いながら、だんだんと気持ちを落ち着かせることができた。
そして、気持ちが落ち着くと冷静にもなれる。
あれほど強くゲルに首を絞めつけられて死の一歩手前までいたのに、たいしたことないはずがない。助かった後でも、普通なら呼吸するのもままならず、すぐに立ち上がることは不可能なはずだ。
それなのにシャスターは何事もなかったかのように立ち上がって普通に会話をしている。
(つまり、ゲルとの闘いでシャスターは全く本気を出していなかった?)
カリンはますますシャスターという少年がとてつもなく強いことを再認識した。そして、そのことは町中の人々にも理解出来た。
静まり返っていた町人の中から、少しずつ拍手と歓声が上がり始める。
そして、すぐにそれはシャスターを讃える大歓声になった。
「あんた、本当に強いな!」
フリットが握手を求めながら感嘆する。そこに町長も現れた。
「ゲルが大変失礼なことをしました。全ては町長である私の責任です。どうかお許しください」
「別に文句言うつもりはありません。それに、町の人々にも用心棒の強さを分かってもらえたでしょう」
シャスターは町人たちに一目置かれる存在になった。これで、町に何か起こった場合、人々に指示や命令を出しやすい。
「そう言ってもらえると助かります。それにしても、まさかここまでお強いとは……これでフェルドの町も安泰です」
町長はホッとしたように笑い、シャスターも一緒に笑った。
「いえいえ、強さが分かってもらえて良かったです。そこで、今回の責任の代わりと言っては何ですが、用心棒代は金貨一枚から二枚に上げてくださいね」
シャスターはさらに大きく笑った。