第二十九話 領境の町
翌日、領主デニム一行が王都に向けて出発した。
デニムは特別製の高級感溢れる馬車で移動だ。中では数人の侍女を侍らせており、残り二台のデニム専用馬車にも他の侍女たちが乗っている。
その後ろをついてくるのが高級文官たちだ。彼らは一台の馬車に四人で乗っている。
そして、デニム一行の列の前列と後列に騎士団の親衛隊が馬で同行し、デニムが乗っている馬車の左右をシャスターとエルマが馬に乗って警護をしていた。
王都に着くのは明日の午後になる。馬を全速力で走らせれば、王都まで半日かからず着く距離なのだが、デニムは馬車移動なのでそんなことはできない。
昼間は馬車をゆっくりと走らせ、夜は街道沿いの町で宿泊することになっていた。
のどかな田園風景を眺めながら、暇そうにシャスターはアクビをしながら馬に乗っていた。
何事もなく一日目の行程が終わろうとしている。
泊まる町は王領との境にある。当然、町の住民たちには領主デニムが泊まることが予め伝えられており、最上級のもてなしをするように厳命されている。
よって、町長を中心にこの数日間死に物狂いで領主デニムへの準備をしてきたのであった。
デニムが町に入る前に、シャスターとエルマ、そして親衛隊が安全確認のために先に入る。
「まあまあ大きな町だね」
町に入るなり、シャスターは率直な感想を述べた。
フェルドの町以上の大きさだ。防御も優れているようで、町の周りを高い壁が囲っている。
「ここはサゲンの町だ。王領との境ということもあり、交易などを行う上で重要な町だから、その分規模も大きい」
エルマが説明をしたが、シャスターは怪訝そうに目を細めた。交易を行っているということは町も豊かなはずだ。しかし、そんな感じには見えない。それどころか全く活気がない。
デニムが通る道は綺麗に掃除されているが、一歩路地に入るとまるで廃墟のような有様だ。
「それはな……」
エルマが視線を促す。その先にはフーゴがいた。
交易で潤っているサゲンをフーゴがほっとくわけがない。数年前からフーゴはこの町をまるで自分の所有物かのように好き勝手に扱っていた。
「金を奪い、女をさらい、住民を殺す。サゲンはフーゴによって蹂躙されている町だ」
本来なら豊かで潤っている町が、こうも無残な状態になっているとは。
「ただ、一つだけ言っておくがな。このような状態の町はサゲンだけではない。サゲンと同じような町や村が西領土にはいくつもある」
エルマは鋭い眼光でシャスターを見つめながら言葉を続ける。
「町や村を管理するのは騎士団の仕事だ。残念ながら俺たち傭兵隊は何もできない。だからこそ、この光景を見てお前がどう思うかだ」
「……」
シャスターは何も答えない。ただ、少年の深紅の瞳だけが冷たく光っていることをエルマは見逃さなかった。
町長宅の居間で大きな椅子に座り踏ん反り返ったデニムの前には町長が平伏してした。居間には他にシャスター、エルマ、文官や侍女たち、それにフーゴもいた。
「長く馬車に揺られているとさすがに疲れた。しばらく寝ることにする。夕食はそのあとだ」
「ははっ!」
デニムの命令に町長は即座に対応しようと居間を出て行こうとする。しかし、それを止めたのはデニム自身だった。
「待て。この町は温泉が湧き出るのだったな。せっかくだ、夕食のあとに風呂の準備もしておけ」
デニムの命令にすぐに返事が来ると思ったが、町長は黙ったままだ。しかも、顔色が真っ青になっている。皆が怪訝そうにしている中、町長はやっと口を開いた。
「申し訳ございません! 数日前から町の温泉施設が老朽化のため壊れておりまして、風呂の準備ができない状態です」
震えながら町長は床に頭を擦り付ける。
それを聞いて表情が強張っていくデニムだったが、デニムが言葉を発する前に怒号が響いた。
「貴様! 領主様へのおもてなしが出来ないとは万死に値するぞ!」
声の主はフーゴだった。フーゴは剣を抜きながら町長に近づく。
「責任を取って死ね!」
フーゴは剣を振り上げ町長に叩き斬ろうとするが。
「フーゴ、やめろ!」
止めたのはシャスターだった。
「しかし、騎士団長、この不手際には死を与えるしかございません」
不満そうなフーゴは、それでも町長を斬ろうとしている。しかし、シャスターは冷静だった。
「場所を考えろ。この家は今夜デニム様がお泊りになる場所だ。そんな場所で人殺しなどしていいはずがあるまい!」
シャスターの叱咤にフーゴは頭を下げた。確かにシャスターの言う通りだからだ。
フーゴが剣をしまったのを確認した後、シャスターは一歩前に出てデニムの前で頭を下げた。
「デニム様、そもそもこの町の温泉施設が壊れていたことに気付かなかったのは、町の管理を任されている騎士団の責任でございます」
「なっ……」
フーゴが反論しようとしたが、その場で何も言えるはずがない。シャスターは無視して話を進めた。
「そこで、デニム様が夕食を楽しんでいる間に、新しい温泉施設を作ろうと思います。必ずやデニム様に満足して頂けるものを作りますので、今暫く待っていただけないでしょうか?」
シャスターにここまで言われてはデニムも許可しないわけにはいかない。
そもそも、いつものデニムならあの場で激怒し自らの手で町長を殺していただろう。それをフーゴに邪魔をされて、今度はシャスターに代案を受けている。完全に肩透かしをされた感じた。
「いいだろう。ただし、間に合わなかった場合は全員処刑だ」
それだけ言うと、デニムは居間にいる全員を引き下がらせた。しばらくの間、寝るためだ。
シャスターも町長宅から出て思いっきり背伸びをする。太陽はまだ沈んでいない時間で外も明るい。
そんな中、血相を変えて近づいてきた人物がいる。フーゴだった。
「騎士団長! 先ほどの発言では我々に非があるように聞こえました。温泉施設のことを我々には伝えていなかったコイツらが悪いのです」
フーゴは無理矢理引っ張ってきた町長を押し倒した。町長は土埃にまみれながら、申し訳なさそうにしている。
「とはいってもね、我々もまさかデニム様が温泉をご所望しているとは思わなかったし。今から作れば間に合うだろう」
「それは、そうですが……分かりました。おい、お前、早く人を集めろ!」
フーゴに蹴られながらも町長は立ち上がると、急いでこの場に集まっていた町人たちに事情を話す。
彼らは一目散に散って人を集め始めた。間に合わなかったら全員が処刑だ。断る者がいるはずもなく、わずか十分後には腕力に自信がある男たちが三百名ほど集められた。
「よし、お前たち。近隣の林から材木を用意しろ。怠ける者がいたら、容赦なく斬り殺すから急げ!」
フーゴは威圧的に言い放った。それと同時に住人たちが林へと消えていく。彼らはすぐに作業に取り掛かった。
それを見てフーゴは満足そうな表情を浮かべる。親衛隊百人もこの場で待機している。彼らは仕事の手を休んでいる住人がいないか監視しようとしていた。そして、少しでもそのような素振りを見せた者がいたら斬り殺そうとしていた。
そんな親衛隊たちに思いがけない声がかかる。
「えっ、キミたち何しているの? 親衛隊も全員手伝うのが当然だよね」
シャスターは不思議そうに親衛隊を見渡す。
「あ、いや、我々は住民たちを監視しなくては……」
「そんなことは俺がやるからいいよ。今回の件はさ、騎士団にも責任があるのだから率先して手伝うのが当たり前でしょ」
唖然としたフーゴの反論を途中で抑えてシャスターは命じた。
「デニム様は、間に合わなかった場合、全員処刑と言っていたけど、それはキミたちにも当てはまるからそのつもりで。デニム様が夕食が食べ終わるまで、あと四時間もないから急いだほうがいいよ」
それを聞いて親衛隊たちの顔から血の気が失せた。と同時に、全員が林に向かって走り始めた。フーゴでさえ例外ではない。
「けっこう、けっこう」
一人満足しているシャスターは町長が連れてきた建築士と打合せを行うことにした。さらに町中の大工も全員集められた。
その間にも、住民と親衛隊たちが材木を大量に持ってくる。
そして、一時間も経たないうちに何十本もの丸太が集められた。
すぐさま建築士はその丸太を建材にするための製材を大工たちに依頼した。そして、大工たちの指示のもと、住民と親衛隊は作業に取り掛かった。
大工から指示を受けるなんて、本来であれば騎士たちは激怒するところだが、近くにシャスターがいるため文句も言えない。おとなしく言われるまま、各所で大工たちの指示に従いながら材木の製材を始めた。
住民三百人と親衛隊百人もいるとさすがに早い。あっという間に大小の形のことなる建材が出来上がった。
「町のみんな、ありがとう! 大工の人たちを残して他のみんなはここで終わり。あとの建築は我々騎士団でやるからゆっくり休んで」
シェスターの言葉に全員が驚く。
「ちょ、ちょっと待ってください。なぜ我々だけが建築をしなくてはならないのです?」
汗をかきながら疲れきっているフーゴが再びシャスターに食い下がる。しかし、シャスターは平然としたままだ。
「温泉施設の組立にそこまで大人数はいらないさ。そんなにいると逆に指示するのが大変になるからね」
「それでは我々ではなく住民たちを残せば……」
「何言っているの!」
フーゴの言葉を遮ってシャスターが喝を入れる。
「そもそも温泉施設が壊れていることを見落としていたのは騎士団の責任だよ。だったら、我々の手で仕上げるのが当然だよ」
「いや、それは、我々の手落ちではなく……」
「手落ちだよ!」
有無も言わせない。
「ほら、無駄口を叩いている暇があったら、さっさと大工さんの言うとおりに動く。あと二時間ぐらいしか残されていないよ」
シャスターの命令と、何よりデニムの処刑の効果は絶大だった。全員がすぐに風呂場の建築作業に取り掛かい、大工たちの指示のもと慣れない手つきで組み立てを始める。シャスターは椅子に座りながら作業風景を眺めているだけだ。
それでも皆が必死になって頑張ったおかげで二時間弱で出来上がった。
「みんな、お疲れ様!」
風呂場はとてもシンプルな造りだった。
丸太小屋の中が浴室になっている感じだ。浴槽自体も四メートル四方に組み立てられており、デニムと数人の侍女が入るには充分な広さがあった。
「この風呂場を見たら、デニム様もお喜びになるだろう。あとは俺の方でやっておくから、みんなはもう休んでいいよ」
言いたいことだけを勝手に伝えて、シャスターは町長に頼んでおいた温泉を浴槽に入れ始めた。
「町長、あなたたちが手伝ってくれたおかげで助かった。ありがとう!」
シャスターは大きな袋を取り出して町長に手渡した。ズシリと重い袋に町長は思わずのけぞったが、中を開けてさらに驚く。
「こ、これは!?」
「今回の報酬」
袋の中身は金貨がずっしりと詰まっていた。
「あ、ありがとうございます!」
驚きながらも嬉しそうに去っていく町長を見ながらシャスターは笑顔だったが、顔色を真っ青に変えている者もいる。
「き、騎士団長、あ、あれは、まさか我々が持ってきた金貨なのでは!?」
「うん、そうだよ」
フーゴの質問にシャスターはそっけなく答える。
「そ、それは我々の金貨ですぞ!」
フーゴが悲鳴を上げる。
親衛隊は王都の城に入ることができない。彼らは城の周りに広がる城下町に宿泊するのだ。当然、城下町は西領土とは比べ物にならないほどの豪華な宿屋や酒場、そして娼婦館がある。王都滞在を最大限に楽しむ、そのために持参した金貨だったのだ。
「だって、頑張ってくれた彼らに報酬を与えないと、かわいそうでしょ?」
「住民に報酬など渡す必要はないのです! 奴らは我々の命令に従うのが義務なのですから!」
フーゴがすごい形相でまくし立てるが、シャスターは微笑むだけだった。
「まぁ、もう渡してしまったのだから仕方がないよね」
「それでは、我々の滞在費はどうなるのですか!」
「各自、多少のお金は持っているでしょ。それで何とかして」
親衛隊たちは体の疲労だけでなく精神的にもどっと疲れが出て、その場で倒れこんだり動けない者が続出した。
しかし、シャスターから「こんな無様な姿をデニム様が見たらどうするだろうね」などと言われたら、急いでこの場から離れるしかない。
そして、全員が視界から消えたところでタイミング良くデニムが現れた。
「デニム様、風呂の準備ができております」
シャスターが恭しく頭を下げると、デニムは丸太小屋の中へ入る。
その瞬間、デニムがシャスターを手招きする。
「良くできた風呂場だ。気に入ったぞ!」
「ありがとうございます」
「俺の風呂の後にお前も入浴することを許す」
デニムに賞賛されて、またもやシャスターの株は上がった。それを遠くから眺めていたフーゴたちは地団駄を踏む。
「ちきしょー! 俺たちが必死になって造ったのに、あの小僧め、美味しいところだけ持っていきやがって」
「しかも、我々が明日から豪遊するための資金まで奪われてしまいました。しかも、あの大金を町長に渡すとは!」
「フーゴ殿、私は悔しくて仕方ありません」
怒りに震えた騎士たちが交互にフーゴに懇願する。
「皆の気持ちもよく分かる。だが、ここで焦っても仕方がない。あの小僧が余裕でいられるのも今日までだから、もう少しだけ我慢してくれ」
「フーゴ殿、それはどういうことですか?」
騎士に尋ねられ、フーゴは自慢気に話し始めた。
「簡単なことだ。王領ではあの小僧より強いお方が、小僧を叩きのめそうと首を長くして待っているのさ」
「あの小僧よりも強いお方……まさか!?」
騎士たちはある人物の顔を思い出して驚く。
「まさか、ウル様が、あの小僧を……」
「ああ、その通りだ。以前から懇意にしてもらっていてな。今回の件を話したら喜んで協力してくださるとのことだ」
その瞬間、全員の表情が明るくなる。
ウルは一万人もの王領騎士団の騎士団長だ。しかも剣の実力はレーシング王国一と言われている猛者でもある。格式も実力もシャスターよりもずっと上なのだ。小僧など簡単に倒してくれるだろう。
しかし、どのようにしてウル騎士団長と懇意になったのか……誰もが不思議に思いながらすぐにその答えに気付く。
フーゴは以前からウルに賄賂を送り続けていたのだ。ウルはプライドが高く、それでいて金の亡者との噂だった。そんなウルを懐柔することはフーゴにとって雑作もないことだろう。
本来はいつかフーゴ自身が西領土の騎士団長になるために口添えのつもりの賄賂だったのだろうが、今回の件で使わない手はない。
「ウル様に小僧を殺してもらう予定だ」
「殺すのですか?」
フーゴの作戦を聞いて他の騎士たちは焦った。
「小僧はデニム様のお気に入り。殺すのはまずいのではないですか?」
騎士の言うことはもっともだった。しかし、フーゴには考えがある。
「確かに殺すのはまずい。しかし、それが事故だったら話は別だ」
つまり、ウルには練習試合等でシャスターを殺してもらう予定なのだ。もちろん建前では、殺すつもりはなかったが、たまたま当たりどころが悪く深傷を追って死んでしまったことにする。
そうすれば、いくらデニムでも国王の信頼の厚いウル騎士団長を罰することはできない。
「うまく考えたものですな」
騎士たちが笑う。シャスターさえ死ねば、親衛隊たちはフーゴの下で今まで以上に略奪を欲しいままにできるのだ。それを思えば今日の重労働など大したことではない。
「ああ、小僧の命もあと僅かだ。それまで皆の者辛抱だ」
「おぉー!」と歓声の後、全員残忍な笑みを浮かべながら解散した。




