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第二十八話 町長の手紙

 マルバスたちが内密の話し合いをしている頃、シャスターは自分の部屋の応接室にいた。


 目の前にはフローレがソファーに座っている。この応接室が彼女の寝室であり、ソファーがベッドを兼ねていた。



「今夜もそのソファーで寝るの?」


「はい、その通りですわ」


 ニコッと微笑んだ後、少しだけ意地悪そうな表情になる。


「それとも、シャスター様のベッドで一緒に寝て良いのですか?」


「あ、いや、それはちょっと……」


 慌てて首を横に振るシャスターだったが、ゴホンとわざとらしく咳をするともう一度フローレを見つめた。


「でも、明日からは俺のベッドを使っていいよ」


 シャスターが王都に出発するからだ。

 フローレを連れて行くことはできないが、シャスターがいない間は好きに騎士団長室を使って構わない。


「それでしたら、私も出掛けても良いでしょうか?」


「いいけど、自分の村に帰省するの?」


 シャスターはそれも良いと思った。今まで帰省することも手紙も書くことさえ許されなかったのだ。親だってフローレのことを心配しているだろう。

 だからこそ、しばらく家族と一緒に過ごすのも良いと思ったのだ。いや、それどころかそのまま村に戻っても良いと思った。


 しかし、フローレの目的は帰省ではなかった。


「カリンちゃんに会いに行ってみようと思います。今頃フェルドの人々も不安でしょうから」



 シャスターの機転でフェルドは守られているが、ずっと町から外に出られない、外の情報が入ってこないというのはかなりストレスだろう。

 そこで、シャスターの指示でフローレがフェルドに行けば、住人たちは安堵すると思ったのだ。


「カリンちゃんのことだから、きっと頑張って町の人たちを励ましていると思います。そんなカリンちゃんの手助けができればと思ったので」


「そういうことなら、こちらこそよろしく頼む!」


 シャスターは笑顔で了解した。



 なるほど、炎の中で頑張っているフェルドの人々のことまでシャスターは考えが至らなかった。そこまで考えたフローレに感服すると共に、カリンに会うことを優先したために自身の村に戻れなくなってしまったフローレが気になる。


「せっかく家族に会える機会なのに」


 せっかくの帰省を犠牲するフローレに申し訳なく思う。しかし、そんなフローレから意外な返答が返ってきた。


「私には家族はいません」


 フローレは小さい頃、母を病気で亡くしていた。

 父はフローレが去った後、村長を辞めてひとりで暮らしていたが、つい先日亡くなったと風の便りで聞いたばかりであった。


「そうか……辛いこと聞いてしまってごめん」


「気にしないでください。それに私は有無を言わせず私を領主に差し出した父を許せなかったのです。だから、生きていたとしてもあの村には行くことはありませんでした」


 本心かどうかは分からないが、フローレは明るく笑った。

 さらにソファーから立ち上がったフローレはシャスターに近づきながら、さりげなく自分の手をシャスターの膝の上に置いた。


「それにシャスター様にとって今の私ができる一番大切なことはフェルドに行くことです。だからシャスター様は何も心配なさらず、王都でやりたいことをやってきてください」


 まるでシャスターのこれからのことを全て分かっているかのようにフローレの瞳が近づく。


 当然フローレは何も知らない。

 しかし、機微に聡いフローレはシャスターと一緒に暮らしている内に、少年がただの強い剣士だけではないことを理解していた。

 そんなシャスターが偽物の炎という大掛かりの仕掛けまでしてフェルドの町を助けたのだ。フローレもフェルドの手助けをしたいと心から思っていた。



「それじゃ、フローレにこれをあげる」


 シャスターが魔法の鞄(マジック・バッグ)から何かを取り出す。

 それは綺麗な紋様が施された短剣だった。


「まあ! ありがとうございます!」


 フローレはとても嬉しそうに喜ぶ。


「フェルドの道中もし危ないことがあったら、その短剣を強く握りしめながら心の中で動くように願ってみて。短剣が勝手に動いて敵を斬ってくれるから」


 それは自動短剣オートマティックダガーと呼ばれるマジックアイテムで、持ち主の意思に従って空中を自在に飛び回り、敵を勝手に攻撃をしてくれる短剣だった。戦ったことがない素人のフローレでも賊の四、五人なら充分に倒せる代物だ。


 かなり高価な物だと知ったフローレは返そうと思ったが、シャスターは応じなかった。


「もし何かあったら困るし。お守りだと思って持っていて」


「ありがとうございます! 一生大切にしますね」


 フローレはもう一度シャスターに感謝を伝え、好意の視線で深紅の瞳を見続けた。



「うん。ところでさ、何となくなんだけど……」


「どうかしましたか?」


 と言いながらも、フローレの瞳がさらに近づく。


「ちょっと近すぎるかなと思って……」


 シャスターは控え目に言ったが、顔だけでなくフローレの身体ごとシャスターにくっついてくる。

 そして、ついにはフローレの大きな胸が潰れるくらいに密着してきた。


「明日からしばらく会えないなんて悲しすぎます」


 こうなってはシャスターが抵抗し逃げ出すことは不可能だ。蛇に睨まれたカエルのように動けないシャスターは為すがままの状態になってしまった。


「シャスター様、今夜だけは私のものに……」


 ついにフローレの唇がシャスターの唇に重なり合う。


 その直前。




「ただ今戻りました」


 抑揚のない声が部屋に響いた。

 星華だった。



「星華、お帰り!」


 フローレの唇に触れないよう慌てて離れたシャスターは、安堵したかのように星華に向かって微笑んだ。


「お邪魔でしたでしょうか?」


 目の前に現れた星華は一応申し訳なさそうに尋ねるが、声の抑揚がないため目の前の状況を肯定しているのか否定しているのか分からない。


「い、いや、そんなことないよ……ねぇ、フローレ?」


「えっ!? あ、はい……そうですわ、星華さん」


 急いで身体を離した二人が不自然に笑い合うのを怪訝そうに見つめながら、星華は任務の報告を始めた。



「エルマ隊長とマルバスが手を組みました」


 星華はマルバスの後を追っていたのだ。シャスターが留守になることを知って、何か動き出すかと思ったからだ。


 そして、その勘は見事に当たった。


「つまり、傭兵隊と副騎士団派閥が組んだということか」


 まだ心臓が激しく鼓動しているシャスターだが、星華の前では努めて冷静になろうとしていた。


「シャスター様やデニムたちが居ない隙に、ここノイラで反乱を起こすようです」


 親衛隊も同行して王都に行く。となれば、残された騎士団をマルバスが掌握するのは造作もないだろう。

 そして、そこに傭兵隊が加われば、西領土のほとんどの戦力が一つにまとまるのだ。反乱が成功することは疑いない。


「こうなると、フローレがフェルドに行くのは正確だったね」


 もし、フローレをこの騎士団長室に残したままだったら、危険が及ぶ可能性があるからだ。

 もちろん、マルバスのことだ。反乱で女子供を手にかけることは厳格に禁止するはずだ。しかし、万が一ということもある。


 色々と思案しているシャスターに対し、星華は無表情のまま、さらにもう一つ大きな情報を付け加えた。



「二人の密談には盟主となる人物も同席していました。第二王子ラウスです」


「え、まさか、ラウス様が!?」


 驚きの声を上げたのはフローレだった。

 フローレはシャスターから色々な情報を教えてもらっていた。それらの会話から、エルマ隊長の裏切りはあり得ることだし、マルバスの反乱もいつか起きると予想はできていた。

 しかし、その裏にデニムの弟で東領土領主のラウスがいることはフローレの想像を超えていたのだ。


「あ! いえ、すいません。お二人の会話を邪魔してしまいまして」


 とっさに大声を出してしまったことに気付いたフローレは申し訳なさそうに急いで頭を深く下げた。


「驚くのは当然のことさ」


 シャスターは気にも留めていない様子で笑っている。フローレの反応は至極当たり前の反応だからだ。

 デニムとラウスは兄弟だ。まさか弟が兄の領土を奪おうとしているなんて想像しがたい。

 だが、シャスターは驚いていなかった。

 知っていたからだ。



「シャスター様の推測通りでした」


 星華の声のトーンが少し高いようにフローレには感じた。


 シャスターは以前、星華からエルマと盗賊ギダの会話の報告を受けた時、状況証拠から彼らの後ろ盾が東領主のラウスだと気付いたのだ。


 エルマが受け取った「あのお方」からの手紙には計画が数年遅れると書いてあった。

 計画が何だかは分からない。しかし通常、計画が数年も遅れるということは、何か予定外の大問題が突然起きたということだ。

 そして、この直近で起きた大きな出来事といえばフェルドの大炎上だ。さらに星華がフェルドの町長の部屋から手紙を見つけている。


「その手紙の差出人が東領主ラウス王子だった」


「そんな……」


 手紙の内容はフェルドを中心に多くの町で反乱を起こすことが書かれていた。


「つまり、エルマ隊長が受け取った手紙の、数年遅れてしまう計画とは、このことだったのさ。そうなれば、必然的に『あのお方』とは、東領主ラウスということになる」


 フェルドの町長が保管していたラウスからの手紙には、一切エルマ隊長のことは書かれていなかった。

 つまり、町長はエルマ隊長がラウスの味方だということを知らなかったはずだ。

 そのためシャスターも三者の関係に気付くのが遅れた訳だが。


「もし仮に町長から反乱計画の秘密が漏れたとしても、エルマ隊長には害が及ばないようにしていたわけだ。ラウス王子は抜け目がない人物だね」


「まさかラウス様がそんなことを考えているとは……」


 フローレはラウスを見たことはない。しかし、デニムの侍女だったフローレの元には様々な情報が流れてきていた。

 その中でラウスは温厚で慈悲深い人物だと聞いていた。だからこそ、反乱など大胆なことを起こすとは思えなかったのだ。


「慈悲深い領主かどうかはともかく、父や兄の無慈悲な支配を許せないと思っているのは確かなようだね」


「反乱を止めましょうか?」


 星華が指示を仰ぐが、シャスターは頭を横に振った。


「いや、星華は何もしなくていいよ。どうせ多くの町を巻き込んだ反乱なんて成功しない。というより、反乱を成功させないし」


「え、何故ですか!? そのまま反乱を成功させた方が良いのではないですか?」


 二人の会話を聞いて、フローレは戸惑う。



 西領土各地で町の反乱が成功し、デニムの支配から西領土が解放される方が領民たちにとって幸せなことは疑いない。

 しかも、エルマ隊長やマルバスたち、さらに東領土領主のラウスがバックについているのだ。反乱が成功した方が良いに決まっている。


 それなのに、目の前の二人は反乱が失敗する算段をしている。フローレには理解出来なかった。


「フローレ、それはね……」


 そこでシャスターは言葉を止めた。何かを思いついたような表情をする。


「フローレ、ごめん。これ以上話せないけど、でもラウスが西領土を手に入れられることを俺も祈っているよ」


 矛盾したことを話しているシャスターだったが、フローレは最初からシャスターを心から信じている。

 シャスターは何か考えがあって行動をしているのだ。


 だから、フェルドの件だってフローレに真実を話してくれたのだ。今回の件だって、いつか真実を話してくれるとフローレは思っていた。



「分かりました。私はこれからもずっとシャスター様を信じています」


「!?」


 それはあまりにも急なことだった。



 不意を突かれたシャスターは何も出来なかった。不可抗力だった。


 一人だけ笑っているフローレはシャスターの唇から自分の唇を離すと、無邪気そうに微笑む。


 そして、そのままソファーで横になって寝てしまった。


 その光景を見た直後、星華はすぐにその場から消えている。



 シャスターだけがしばらくの間、ポカーンと口を開けて窓の外に広がる星空を眺めていた。



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