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第二十六話 マルバスの長い一日

 マルバスは副騎士団長を解任された後も忙しい毎日が続いていた。


 忙しさの大きな原因はシャスターだ。


 シャスターが発表した新人事……フーゴが相談役になり、マルバスが副騎士団長を解任された人事は急だったため、大所帯の騎士団の実務が追いつけず、騎士団内はかなり混乱をしていた。


 ただ、解任されたマルバスがその混乱状態を収める義務も義理もない。混乱状態を収めるのはフーゴたちの新体制が行うべきだからだ。

 しかし、フーゴは騎士団長派、とりわけ新しく組織された親衛隊ばかりに力を入れており、その他大勢の騎士たちは放ったらかし状態だった。

 そこで律儀で真面目なマルバスは仕方なく、今までどおりに騎士たちを監督していたのだ。


 フーゴたちにしてもマルバスが新体制の運営に介入してくれば断固阻止するであろうが、騎士たちの監督であれば逆にありがたいと思っていた。いずれ親衛隊がひと段落したら、マルバスを切り捨てるつもりだったが、今は大目にみていたのだ。



 だから、その日もフーゴは早朝から騎士たちの訓練を行っていた。

 いつもは夕方まで訓練を行い、それで終わりなのだが、その日に限っていえば夕方以降の方が忙しくなりそうだ。なぜなら、夕方にシャスターから呼ばれており、さらに夜はある人物から呼ばれていたからだ。



 夕方、マルバスは騎士たちの訓練が終わった後、その足でそのまま騎士団長の部屋の扉を叩く。

「どうぞ」の声と共に警備兵が扉を開ける。


 執務室にはシャスターが座っていて、その横にはフーゴが立っている。


「御用でしょうか?」


 マルバスはシャスターの前で頭を下げる。


「うん、伝えておくことがあってね。まずは毎日騎士たちの面倒見てくれてありがとう!」


「マルバス殿の実力は前騎士団長に勝るとも劣らなかったですからな。マルバス殿に任せておけば、騎士団も強くなりましょう」


 フーゴが上から目線でマルバスを褒める。強者の余裕というやつか、とマルバスは苦々しく思った。


「それじゃ、マルバスに何か役職を与えた方がいいんじゃない? その方がマルバスも指導しやすいでしょ」


「いやいや、騎士団長殿。現在のところ新体制になったばかりで慌ただしく、マルバス殿のために新たな役職を作る余裕がありません。それにマルバス殿も役職を持たない方が自由に行動できて良いかと思います」


 慌ててフーゴが適当な理由をつけてシャスターの案を却下した。フーゴとしてはマルバスに役職を与えて新体制に口出しさせることは何としても防がなくてはならない。

 そんなフーゴの見え透いたごまかしに思わず苦笑してしまったマルバスだったが、改めてシャスターに向き合う。


「三者会合が行われることになり、明日からデニム様と一緒に王都に出発することになった」


 もうそんな時期か、とマルバスは思った。

 毎年、騎士団長は領主と一緒に三者会合のため王都に向かうことになっている。その間はマルバスが騎士団長代行として騎士団をまとめていたのだ。

 今年はその役をフーゴがするのだろうが。


「実はな、マルバス殿。今回の三者会合に我々親衛隊もお供することになったのだ」


「なっ!?」


 マルバスは驚いた。

 今まで騎士団が同行することなどなかったからだ。それが同行するとは、三者会合に向かう同行となればそれだけで箔がつく。しかも、騎士団長派の主要メンバーだけで作った組織である親衛隊が同行するとは。


「そもそも今まで護衛などは必要なかったはずですが。どうして今回は?」


 よくあのデニムが許可したものだ。マルバスは率直に疑問を問う。


「それはな、騎士団長殿が親衛隊の活躍を領主様にお話ししてくださったところ、ぜひ護衛に連れて行きたいと申してくださったのだ」


 シャスターの代わりに勝ち誇った表情のフーゴが答える。嬉しくて仕方がないのだろう。


「なるほど」


 マルバスは納得……するはずがない。上手く話を合わせはしたが、そんな理由の筈がないと確信した。

 そもそも親衛隊の活躍というが、親衛隊は創設したばかりで活躍などしていない。どう考えても裏がありそうだ。

 フーゴは舞い上がってしまっていて、そこまで気付いてはいないようだが。


「フーゴたち親衛隊が全員いなくなると、残る騎士団の中で一番階級が上なのがマルバスだ。そこでマルバスには留守を頼みたい」


 何やらキナ臭さを感じるが、無下に断ることはできない。


「了解致しました」


 丁寧に頭を下げると、フーゴの顔を見ることなくマルバスはすぐに部屋から出て行った。





 一旦部屋に戻ったマルバスは、軽く夕食を済ますと腹心の部下二人を伴ってノイラの街に向かった。


 マルバスは時々酒場に出掛けている。だからこの日も普段通りに城門を抜けて街に向かった。

 しかし、今日はいつも通っている酒場ではない。


 マルバスは何店かの酒場に行ったことがあるが、今日の酒場は初めてだった。

 街のはずれにひっそりと看板を出している酒場「山猫亭」。

 なぜこんな酒場に来たかというと、これから会う人物に指定されたからだ。マルバスはそもそもこんな酒場があること自体知らなかった。



 自然な行動を装いつつも部下の視線は周囲を注意深く観察している。そんな部下たちに守られながら酒場の扉を開けた。

 中は狭い酒場だった。十人も入れば窮屈になってしまうだろう。そして、酒場の奥には店主らしき人物がカウンター越しに静かにグラスを磨いていた。


「いらっしゃいませ」


 目も合わせない無愛想な店主以外に誰もいない。

 少し早く来てしまったか、と思ったマルバスは椅子に座って待つことにしたが、店主は注文も聞こうとはせず、カウンター越しに後ろを向いて何やら壁を押した。

 するとカウンター背後にある酒を収納している大きな棚が自動で横に動き出し、中から隠し扉が出てきた。


「マルバス様だけお入りください」


 驚く三人を無視して店主は抑揚のない声で言うと、再び何もなかったかのようにグラスを磨き始める。


「これはどういうことだ!?」


 部下が店主に詰め寄ろうとするが、マルバスがそれを制した。


「やめておけ。とりあえず私だけ入ってみる」


「しかし、それはあまりにも危険です」


 部下が止めようとするが、マルバスは笑いながらカウンターの中に入った。


「まさか殺されることもあるまい。お前たちはここで酒を飲んで酔っ払っていてもいいぞ」


 心配している部下たちに軽い冗談を叩きながら、マルバスは隠し扉を開いて中に入って行った。



 中はろうそくの炎で照らされていて薄暗い。足元に気を付けながらしばらく通路を歩いていたマルバスの目の前に再び扉が現れた。


 マルバスは扉の前に立ち止まると、ゆっくり深呼吸してから扉を開ける。


 するとそこは部屋になっていた。

 外の酒場より倍以上広い部屋だ。密閉された部屋で見るからに防音性が高いことが分かる。そして部屋の真ん中には大きなテーブルと二つの椅子が用意されていた。

 そのうちの一つの椅子にはすでにある人物が座っていた。

 その人物、マルバスを呼び寄せた人物は立ち上がると大きく笑った。


「よく来てくれた。マルバス殿」


 気軽そうに握手を求めてきたその人物にマルバスも礼儀的に握手をした。


「いえ。それで今夜は何の用件ですか? エルマ殿」


 マルバスは表情を消して簡単に挨拶をした。元々長居するつもりはなく、用件だけ聞いたらすぐに帰るつもりだからだ。

 それを分かっているからこそ、マルバスの目の前の人物、エルマはマルバスを座らせると自らのグラスにワインを注いだ。



「こんな不便な場所に呼び出して悪かったな」


「構いません。それに、あなたに呼ばれたなら来ない訳には行きませんから」


 マルバスとエルマは所属が違うので直接の上下関係はない。しかし、エルマは傭兵隊長という重役職に就いている身だ。そのエルマに呼ばれたら行かないわけにはいかない。


 いずれにせよ注意しなければ、とマルバスは思う。


 用件なら傭兵隊の建物に呼べば済むことなのに、わざわざ城下町の酒場、しかもこんな密談をするような場所に呼び出すなど、普通の用件のはずがない。

 マルバスは周辺への警戒を怠らないように気を集中していた。先ほどは部下たちを安心感させるために余裕を見せが、エルマの前で同じことをするほどマルバスはバカではない。


「そんなに警戒しなくて大丈夫だ。まずは乾杯しよう!」


 マルバスが緊張しているのが分かったのだろう。エルマはマルバスのグラスにワインを注ぐ。


 ここまで来て毒殺はないだろう。それに飲まないのも非礼にあたる。乾杯してエルマがワインを飲んだのを確認した後、マルバスも一口だけ飲んだ。

 その瞬間、口の中に芳醇な香りが広がる。


「これは!?」


「美味いだろう!」


 エルマは満足気に笑った。

 たしかに普段マルバスが飲んでいるワインとは明らかに味が違う。このワインは酸味と渋味のバランスがとても良く濃厚な味わいだ。


「美味しいですね」


 マルバスは素直に感嘆した。このほどのワインはどこかの国の名産品に違いない。


「そうだろう。マルバス殿は明日から忙しくなるからな。この美味いワインを飲んで頑張ってくれ!」


 エルマはマルバスに気を遣っていた。しかし、この何気ない一言はマルバスにとって到底看過出来ない言葉だった。


「なぜ、あなたがそのことを?」


 明日から忙しくなることは、つまりマルバスが騎士団の留守役を任されたことを意味している。そしてそのことを知っているのはシャスターやフーゴをはじめ騎士団の一部の者たちだけだ。

 当の本人であるマルバスでさえ、先ほど聞かされたばかりだ。


 それを傭兵隊の隊長が知っているとは。マルバスはエルマを鋭い眼光で睨みつけたが、もちろんその程度で臆するエルマではない。


「傭兵隊には隠密や諜報活動が得意な者もいるのさ」


「我々の言動は把握されていたということですか?」


「そういうことだ」


 エルマはごまかすこともせずにありのままを答えた。騎士団は監視されていたのだ。

 マルバスとしては驚かずにはいられない。

 ただ、よくよく考えればその可能性も充分にあり得ることに今さらながらに気付く。傭兵隊には色々な職業の戦士がいると聞く。例えば、盗賊のようなスキル持ちなら、騎士団の行動を監視するなど簡単なことだろう。

 と、同時にマルバスはあることに思い当たり、ハッとする。


「まさか、この前の騎士団長暗殺未遂事件の犯人を殺したのも?」


「ああ、俺たちだ」


 またも隠すことなくあっさりと認めたエルマにマルバスは驚いた。それにエルマの言葉を肯定すれば、暗殺事件の全ての辻褄が合う。

 つまり、フーゴたち騎士団長派はシャスターに財産のほとんどを奪われたことに腹を立て暗殺を企てたが、そのことを知ったエルマが暗殺者を殺したということだ。


 それが真実だと納得したマルバスだったが、それならばもっと上手くエルマには立ち回って欲しかったと思った。

 エルマがシャスターを暗殺者から助けたのは、これ以上騎士団が混乱することを防ぐためだ。そのことには感謝しなければならない。

 しかし、暗殺者を差し向けたのが騎士団長派ということをエルマに公表して欲しかった。そうすれば、副騎士団長派は騎士団長派を潰せるまたとないチャンスを手に入れることができたのだ。


 もちろんエルマの立場を考えると、そんなことはできないことは分かる。公表したら傭兵隊が日頃から諜報活動をしていたこともバレてしまうからだ。傭兵隊としてはその方が大きなリスクだ。

 しかし、それでもエルマに何かしらのアクションをして欲しかったとマルバスは考えてしまっていた。



「マルバス殿、あまり自分に都合の良いように考えないほうがいいぞ」


 まるでマルクの心の声を聞いていたかのようにエルマは諌める。


「……その通りですね。エルマ殿、騎士団長を助けていただきありがとうございます」


 確かにこれ以上望むのは、無い物ねだりの自分勝手な主張だ。反省をしてマルバスは頭を下げる。

 しかし、それでも一つだけ疑問が残る。


「エルマ殿、なぜそれほどの機密情報を私に話したのですか?」


「それは俺たちと同じ目的のマルバス殿を同志に引き入れたいからだ」


「!!」


 エルマの言葉を聞いて、理解力が速いマルバスはすぐに意図を理解した。


 エルマの言葉は二つの事実を意味している。



 一つは、エルマが副騎士団長派の最終的な目標を知っているということだ。

 副騎士団長派は騎士団を清廉潔白な騎士団に変革し、最終的には領主デニムを倒して領民を助けることを目標としている。

 当然そんなことを知られたら、マルバスたちは処刑が確実だ。だからこそ、それを知っているのは一部の幹部のみで内々密のことだった。

 しかし、エルマが諜報活動をしているのなら、副騎士団長派の内密な話し合いも筒抜けだろう。

 マルバスは内心、冷や汗をかいていた。自分たちの置かれている状況が非常に危険だったことに今更ながら気付いたのだ。


 さらに、その危険極まりない一つ目の事実よりも、二つ目の事実の方がさらに重大だった。

 二つ目の事実は、目の前にいるエルマたちの目的もマルバスたちと同じだということだ。そうでなければ、同志に引き入れたいという誘いの言葉は出ないからだ。



「あなたがた傭兵隊も我々と同じ考えだということですか?」


 マルバスは慎重に言葉を選びながら話した。一歩間違えれば反逆罪で処刑されてしまう内容だからだ。

 しかし、そんなマルバスとは対照的にエルマの表情は明るい。


「マルバス殿、単刀直入に聞こう。領主デニムをどう思う?」


 領主に敬称も付けずに話した時点で、エルマの態度は明らかだが、それでもマルバスは躊躇していた。


「答えられないか、まぁ仕方あるまい。それじゃ俺の考えを話そう。デニムは最悪の領主だ。あいつのために多くの者たちが殺されている。俺はあいつを殺したい」


 マルバスは大きく目を見張った。エルマの言葉は明らかに反逆罪だ。誰かに聞かれでもしたら大変なことになる。


「この部屋は防音設備があり、外に会話が漏れる心配はない。それに、この部屋の周囲は盗賊スキルを持つ者が見張っている」


 先ほど諜報活動をしていると話していた盗賊だろうか。それなら安心だが、問題はそこではない。


「いいのですか、エルマ殿。今の話を私が領主に伝えたら、あなたは即刻死刑ですよ」


 マルバスは脅しをかけてみたが、エルマは全く気にしていない。


「そうしたいのなら、構わない。俺たちも副騎士団長派の内密の会話を領主に伝えるだけだ。密談したこの映像記録があれば、領主は俺たちの方を信じるだろう」


 エルマは手鏡のような丸い物を出した。それは映像を録画できるマジックアイテムで、副騎士団長派を潰す証拠としては充分過ぎるものだった。


「まぁもちろん、そんなことをするつもりはない。ここまでの話を聞けば、マルバス殿なら必ず我々の仲間になってくれると信じているからな」


 エルマの言葉には嘘偽りはない。そもそもマルバスに対して嘘をつく意味がない。


 そう結論したマルバスは苦笑いを噛み締めた。これ以上相手の腹を探っても意味がないし、そもそも同志の誘いを受けた時からマルバスの答えは決まっていた。



「……分かりました。我々はあなたと手を組むことにします」


「理解してくれたようだな。よろしく頼む!」


 二人は力強く握手をした。


 傭兵隊と副騎士団長派の同盟が締結されたのだ。

 エルマは笑いながら、席を立ち上がる。



「それでは我々の仲間を紹介しよう。我々傭兵隊が賛同している人物であり、我々の盟主である人物を!」


 エルマの後ろの壁の扉がゆっくり開く。

 入ってきたのは、細身の背が高い男性だった。髪色は薄い茶色で切れ長の目をしている。


 マルバスはその人物を以前に一度だけ見たことがあった。遠くから少しだけ見ただけであったが、間違えるはずがない。


「あ、あなたは……、いえ、あなた様は!」



 驚いたマルバスは急いで椅子から立ち上がり、片膝をついて頭を下げた。


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