第四十八話 これからも
「それじゃ夕食は一時間後、一階に集合ね」
各々が部屋に入っていく。
カリンも自分の部屋を探して扉を開けた。
「なに、これ……」
カリンはさらに室内の豪華さに驚いた。広すぎる居間と寝室が三つもある。浴室も広い。まるで王様が住むような部屋だ。
これほど広い部屋にひとりで泊まるのは、逆に寂しいくらいだ。
かなり長い時間、部屋の隅々まで堪能したカリンはバルコニーに出た。
十階からだとベックスの街が一望できた。街には色々な建物が建っている。街全体が沈みかけている太陽の夕陽に照らされていた。
「私、凄いところまで来たのね」
カリンは手すりの上で腕を組むとそこに顔を乗せて、しばらくの間美しい風景を眺め続けた。
つい一ヶ月前までは、ただの町娘だった。
それがシャスターに出会ったことによって、こんなにも目まぐるしく状況が変わってしまった。
変わってしまったことで悲しんだこともある。
レーシング王国でフェルドの町の人々、兄や祖父を失った悲しみは今でも胸が張り裂けそうなくらい辛いし、これから先も心の奥に突き刺さったまま消えることはないだろう。
しかし、カリンは悲しんでいるだけではダメだと思っていた。失った人々の分まで前を向いて歩くのだ。
もちろん、その決意を「自分本位」とか「偽善者」と後ろ指を刺されて非難されるかもしれない。しかし、それでもカリンは足を止めずに前に進んでいくしかない。
「自分で決めたことだから……」
カリンの瞳には強い意思が灯ってた。
それに、もしシャスターに出会っていなければ、状況はもっと悲惨だったに違いない。
カリンは農作業小屋で三人の騎士にその場で辱めを受けて殺されていただろう。
さらにラウス王子たちの反乱は成功せず、反乱に加担したフェルドの町をはじめ、多くの町々は滅ぼされ、レーシング王国の人々は今でも苦しめられたままだったはずだ。
それが、カリンがシャスターと出会ったことで、これほどまでに変わってしまったのだ。
たった一つの出会いがひとりの少女だけでなく、一国の運命まで変えてしまうなんて……カリンは感慨深く景色を眺めていた。
「良くも悪くも、シャスターの影響を一番受けているのは私かな」
でも、それは少女にとって心地よい感情だった。
「これからもずっと影響を受けていければいいのに……」
「なに、ボォーとしているの?」
「ひゃ!」
突然の声にカリンは飛び上がった。
振り向くと、隣の部屋のバルコニーにシャスターがいる。
「ちょ、ちょっと、驚かせないでよ!」
心臓が飛び出すほどバクバクしながらカリンが抗議したが、シャスターはそんなことを気にもしていない。
「いやー、カリンが珍しく物思いにふけっていたからさ」
「私だって物思いにふける時ぐらいあるわよ!」
「へぇー、あるんだ?」
「あんた、私のことを何だと……まぁ、いいわ」
カリンは悪態をつくのを止めた。
シャスターの瞳の奥を見て、彼もまたこの美しくも寂しげな夕陽を眺めながら、自分と同じことを考えていたのだと分かったからだ。
そう、フェルドの町のことを。
フェルドの悲劇は、シャスターが悪いわけではないし当然責任もない。
それどころか、幻炎で助けてくれたシャスターに、フェルドの人々は感謝しているはずだ。
しかし、シャスター本人はそう思っていなかった。
自分がレーシング王国に現れなければ、こんなことになっていなかったと考えているのだ。
だが、そもそもシャスターが現れなければ、レーシング王国はさらに悲惨な状況になっていたはずだ。
(貴方には辛い思いをさせちゃったね)
いつもは軽口を叩くし、軽薄そのものだし、イヤミばかりの嫌な奴なのだが、本当は誰よりも正義感を持っていて責任感が強い少年なのだ。
(シャスター、ありがとう)
カリンは心の中で感謝しながらも、敢えて口には出さない。この話はここで終わりにしなくてはならない。シャスターのためにも。
「この街は大きいなって思いながら眺めていたのよ」
カリンは何も気付いていないフリをして、街に視線を戻した。
視界一面に映る街は夜の帷が降りてきたため、ちらほらと明かりが灯り始めている。
「ベックスは大都市だからね。でも、エースライン帝国にはさらに大きい都市がいくつもあるよ」
「えっ、これ以上の!?」
カリンは驚いた。
この都市だけでもレーシング王国の王都の何倍も広いのに、さらに大都市がいくつも存在するのか。
「帝都なんて、ここベックスの十倍以上は広いんじゃないかな」
「えええっ!?」
さらにカリンは驚く。
想像することさえ出来ない規模だ。
「だから、シャイドラやベックス程度で驚いていると、帝都に着いた時にその大きさと賑わいに衝撃を受けてぶっ倒れるよ」
シャスターは微笑みながら話を続ける。
「その逆だってある。このベックスよりも小さい国や、未開の土地で暮らす人々、森や山や砂漠、地下に暮らす人たちだっている」
「世界は広いのね」
カリンはため息を吐いた。
自分の物差しだけでは測りきれないことが、この世界には無限にあるのだ。
そして、それらはレーシング王国に残っていたら決して知り得ることがなかったことなのだ。
もちろん、世界のことを知る必要もなく平穏な暮らしを大切だと思う人々を否定するわけではない。ただ、好奇心旺盛なカリンにとって、一度飛び出してしまった自分自身を再び元の鞘に戻すことは無理だった。
「でも、帝都に着いてフローレ姉さんを治す方法が見つかったら、私はレーシング王国に戻るのよね……」
そこでカリンの旅は終わりだ。今までと同じような生活に戻るのだ。
寂しそうにうつむくカリンだったが、シャスターは笑う。
「そのまま俺と一緒に旅を続ければいいんじゃない?」
「えっ!?」
「もちろん、カリンがレーシング王国に戻りたいのなら止めないけど」
意外過ぎる提案に、カリンは両目を大きく開いた。
「私が一緒に旅してもいいの?」
「もちろん」
「私がいて邪魔じゃないの?」
「まぁ、口うるさいのは勘弁だけど、これからも一緒に旅してくれる方が何かと面白そうだからね」
シャスター気持ちを聞いたカリンは、またもや心臓がドキドキし始めた。
こんなにも嬉しい言葉をかけられたのは初めてだったからだ。
「私もシャスターと一緒に旅を続けたい!」
「そうか。さて、そろそろ夕食だ。行こうか」
「うん」
カリンはもう一度だけ街並みの景色を眺めてから、シャスターと一緒に一階へと向かった。




